第19話 終末の足音
女神像の安置されている本殿の奥に、リズベットの執務室はあった。質素倹約を絵に描いたような実用一点張りの部屋で、応接セットらしきやや高価そうな家具一式の他には、殆ど贅沢品と呼べるような物は無かった。
3人でその応接セットのソファに向かい合って腰掛ける。口火を切ったのは、やはりこの部屋の主であるリズベットだった。
「さて、こうしてヒイラギ様を無事に王都にお迎えする事が出来ました。レベッカも無事に戻ってきてくれましたし、ここで今後私達が取るべき方針を定めなくてはなりません」
現在のクィンダムは、人的資源の不足から、殆どリズベットとレベッカ、そして女王の3人の意向によって意思決定が為されている状態であった。その事に対する不平不満は現在の所、出ていなかった。この苦境と言うのも生ぬるい現状においては、あえてリーダーシップという責任を背負いたがる者は誰もいなかった。皆、誰か優秀な人が決めてくれた事に従っている方が楽なのだ。
幸か不幸か、皆が政治や軍事の素人であった事や、人口が極めて少なく、しかも若い女性しかいない国である事で、皆が実力を認めるこの3人の合議制で国を回せてしまっていた。現在は女王が床に臥せている事で、そのポジションに舜が入った形だ。
「方針と言っても、どうすれば良いのだ。魔素の圧力が強まっている原因も解らんし、手の打ちようが無いぞ?」
「ええ、今まではそうでした。でも今はヒイラギ様がいる……」
レベッカの苦言を受けて、リズベットが舜の方に視線を向ける。
「如何でしょうか、ヒイラギ様? 何か現状を打破する良いお知恵はありますでしょうか?」
リズベットは、舜がフォーティアから知識を授けられている事を知っている。この世界を救う、という目的を持って舜は送り込まれたのだ。現状を打破する何らかの知識を有していると期待するのは当然だろう。
そして実際に舜には、その知識があった。
「……そうですね。リズベットさんの想像通り、俺は魔素の圧力がどんどん強まっている理由を知っています。そしてどうすればその圧力を弱める事が出来るのかも……」
舜の言葉に、リズベットはホッとしたように胸を撫で下ろし、レベッカは驚いたように目を剥いた。
「そ、その方法とは……!?」
レベッカが先を促してくる。舜は頷いてその原因を述べる。
「……
「要石だと? 何なのだ、それは!?」
「仕掛けそのものは単純です。要石は……一種の魔力の中継点です。魔素の拡散源と言い換える事も出来ます。それを神膜の外、つまりはこの大陸の至る所に設置して魔素の圧力を強めているのです」
「い、至る所? それはつまり……」
「はい……一つではありません。現時点で13個の要石が、大陸に散らばって設置されているようです」
「なっ……!」
「しかもこのまま何もしなければ、今後更に要石を増やされて、更に魔素の圧力が強まる事が予想されます。無論、簡単に作れる物ではないようなので、相応の時間は掛かるでしょうが、その未来は確実に訪れます」
「……!!」
レベッカもリズベットも絶句してしまう。当然の反応だろう。魔素の圧力の強まりが意図的な物である事が証明され、しかもこのままでは破滅が確定していると断言されたも同然なのだ。
「……ここにいるのが私達だけで良かったですわ。このような話が外部に漏れたら、このクィンダムはその時を待たずして自壊してしまいますね……」
リズベットの懸念も尤もだ。ただでさえ危うい均衡を保っている状態なのに、そこにこのような巨大な重りを投じられたら、天秤は一気に振り切れる。下手をすると絶望の余り、集団自殺でもされかねない。
「……つまり現状を好転させるには、その要石とやらを何とかしなくてはならないという事か?」
レベッカの確認に舜も頷く。
「はい……。幸い、と言うか、皆さんなら要石自体を破壊するのにそれ程苦労はいらない筈です。問題は……」
「……進化種がそれを守っている、という事だな?」
レベッカが舜の言葉を予測して引き取る。しかし舜はかぶりを振った。確かに要石を守る進化種は大いに問題だ。しかし最大の問題は別にある。いや、確かに進化種も関係している事ではあるが……
「レベッカ。ヒイラギ様は先程、要石は〈どこ〉にあると言いましたか?」
「どこってそれは…………あっ!」
そう。それこそが最大の問題。要石は全て、神膜の外に設置されているのだ。しかも1つではなく、この大陸中に。それの意味する所は……。
「……この神膜を……クィンダムを出て、遠征をしなければならん、という事か……」
今まで女性達が、強大な力を持つ進化種と曲がりなりにも渡り合ってこれた理由は、神膜があったからこそだ。神膜とその中に満ちる神気の加護を受けた、いわばホームグラウンドでの防衛戦だったからこそ、女性達は戦ってこれたのだ。
神膜の外――つまり魔素の満ちる大陸は、逆に進化種のホームグラウンド。つまりこちらにとってはアウェーになるのだ。比較的安全な神膜内での戦いよりも格段に厳しい戦いになる事は確実だ。
しかしそれはあくまで女性達の問題であって、舜に関してはその限りではない。進化種と同じく魔法を操る舜にとっては、神膜の外もまたホームグラウンドとなり得るのだ。その事に思い至ったらしいリズベットが、更に沈んだ調子になる。
「……私達も共に戦うと誓ったばかりなのに、結局ヒイラギ様に全てを委ねるしかないのでしょうか……?」
「し、しかし、ヒイラギ殿が魔法を使えると言っても、それは相手も同じなのだ。外にはより強力な〈貴族〉だっているだろうし、流石に1人で行かせる訳には……」
2人が懸念に満ちた苦しげな表情で、舜の方を見やる。完全に、舜が1人で行くと言い出すように思い込んでいる様子だった。舜は彼女達の心情を察して苦笑した。
「2人とも落ち着いて下さい。流石に俺も進化種がウジャウジャいる所に1人で特攻する気はありませんよ? と言うより、むしろ皆さんにはどうしても協力して貰わなければなりません」
えっ!? という感じで、2人が顔を上げる。
「魔力の塊とも言える要石は魔法や武器では破壊できないんです。要石を破壊する唯一の方法……それは神気を流し込む事だけです。魔法と対極の力である神術でのみ要石は破壊できるんです」
「そ、それでは……」
「はい。フォーティア様が女王様を通して皆さんに神術の力を授けたのは、この為でもあったのです。……むしろこちらからお願いします。要石を破壊する為に、皆さんの力を俺に貸して下さい」
まだ半信半疑の様子だったリズベットに対して、舜は頭を下げた。沈黙は一瞬。次の瞬間には、レベッカが決意に満ちた表情で大きく頷いた。
「そうか! 我らの磨いてきた力は無駄では無かったのだな!? 私は――私達はこの世界を救う為の力になれるのだな!?」
「勿論です。皆さんの力なくしては成功しません」
舜が再度頷くと、レベッカはまだ呆然としていたリズベットを促した。
「リズ! いつまで呆けている! そうと決まれば作戦を立てねばならんだろう!? お前がそんな様子では決まる物も決まらんぞ!?」
リズベットはその言葉にハッとしたように、己を取り戻した。舜の方を見て改めて大きく頷く。
「ヒイラギ様、お見苦しい所をお見せ致しました。まさか私達の力を本当に必要として下さるとは……。このリズベット・ウォレス、持てる力の全てを尽くして戦い抜く事を誓いますわ」
リズベットはその豊かな胸に手を置いて、深々と頭を下げたのだった――。
****
「神膜の外に出て、進化種の領域で戦う事になりますので、
リズベットが冷静に現状を分析する。
「ヒイラギ様。その要石の破壊に必要な神気の量や強さなどもお解りになりますか? 出来れば少数精鋭が望ましいのですが……」
リズベットの懸念は尤もだ。この作戦に重要な要素は、進化種の領域で戦い抜く事が出来る……つまりは純粋な「強さ」が求められる。実力が足りていない者を何人連れて行っても、無駄死にさせるだけだ。
「大丈夫です。リズベットさんやレベッカさんくらいの神力があれば、近付く事さえ出来れば、お一人でも破壊は可能です。それにどのみち潜入という形になると思いますので、大勢で行くよりも少数精鋭の方が効率が良い筈です」
当然だが舜も、大勢の〈貴族〉を一度に相手にするような事態は極力避けたい。要は要石さえ破壊できればいいのだ。リズベットもその意見に賛成のようだ。
「ならば話は簡単です。私とレベッカが要石破壊の任務に同行させて頂きますわ。他の者達には通常通り、国の運営と神膜内の防衛を担当して貰います」
リズベットの言葉にレベッカが驚く。
「ちょっと待て、リズ。まさかお前も行くつもりか!? 駄目だ、危険すぎる! お前はこの国にとって必要な人間だ。ここは私に任せて……」
「この作戦が失敗に終われば、どの道この国は滅びるだけです。ならば座して待つ気などありませんわ。それに替えが利かないという意味ではあなただって同じでしょう? 単身で〈商人〉と渡り合える戦士など他にいませんわ」
「いや、しかしだな……」
「それに戦士としての技量はあなたに及ばなくても、神術の扱いではこの国で私の右に出る者はいない、という自負がありますわ。私も同行した方が要石の破壊はより確実になります」
「むむ……」
レベッカが唸る。リズベットの言う事に一理あるのは認めるが、感情が納得できないという感じだ。舜はリズベットに口添えする。
「レベッカさん。ここはリズベットさんにも同行してもらいましょう。敵地では何があるか解りませんし、要石破壊の手札は多いに越した事はありません」
リズベットが驚いたように舜を見る。舜としてはリズベットの気持ちを
「ヒイラギ様、ありがとうございます。……さて、レベッカ。この話はこれで終わりです。良いですね?」
「む……ええい、勝手にしろ! 後で後悔しても知らんぞ!」
レベッカが不承不承ながら折れた事で、同行者の選定は済ん……ではいなかった。実はもう1つ、重要な課題が残っていた。
「……実はお二人に加えて、もう一人同行をお願いしたい人物がいるのです」
レベッカ達が怪訝な表情になった。
「もう一人? 後は神膜外での戦いに耐えられそうなのはヴァローナとミリアリア位しかいないが、あいつらでは少々厳しいと思うぞ? それにあいつらには、私が不在の間、神膜内の防衛を任せたいのだが……」
「神官達も同じ状況です。戦闘能力という観点から、今回の任務に同行できそうな者は正直……」
舜はかぶりを振る。
「……ロアンナ・ウィンリィという女性の事をご存知ですか?」
途端に2人の動きが止まる。
「……ふん、『狩人』か。ああ、知ってはいるぞ。確かに実力という意味では申し分ないだろうがな……」
「ヒイラギ様がその名をご存知という事は、まさか彼女も……?」
2人の反応はあまり
「はい。今回の作戦……というより、今後も何かとその人の力が必要になってくると思います」
フォーティアから授けられた知識には、クィンダムの重要人物として、女王ルチア・ランチェスター、神官長リズベット・ウォレス、戦士長レベッカ・シェリダン、……そして後1人「狩人」ロアンナ・ウィンリィ、の4人の名が挙げられていたのだった――。
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