第16話 破滅の日
――そして舜はリズベットから、倒れた原因が神膜内で魔力が枯渇した為だという事と、その応急処置の方法について聞かされた。
その方法とは、魔獣の肉で
魔獣の肉は魔力を含んでおり、その出汁を飲ませる事で、少しずつ魔力を回復させていた、らしい。魔力を含む魔獣の肉は食用には適さず通常廃棄される物であったが、神託を受けたリズベットは、或いはこのような事態も起こり得る可能性を考慮し、狩った魔獣の肉を一部保存していたのであった。
あの恐ろしい悪夢から逃れられた理由が、何かの秘薬や秘術ではなく、出汁スープという事実に、何とも情けないような気分になったのは余談である。
――そうこうしている内に、ヴァローナ達が無事王都に到着したという報告が届いた。
「よし、それでは我々は連中を迎えに行ってくるが、ヒイラギ殿はどうする? 今日はまだ休んでいるか?」
レベッカの言葉を受けて、舜は思案する。正直、体調は思ったほど悪くない。ついでに王都の様子を見ておくのも良さそうだ。
「いえ、もう大丈夫なので、一緒に行かせて下さい。ヴァローナさん達にも心配掛けたでしょうし、顔を見せるくらいはしておきます」
「うふふ、それは良かったですわ。ではご一緒に参りましょう。ヒイラギ様のお姿を見せておくだけでも、国民達の不安解消になりますしね」
リズベットも賛成してくれたので、舜は寝台から降りて靴を履く。一日中寝ていたせいか、立ち上がった時少しふらついたが、すぐに常態に戻った。これなら大丈夫そうだ。
療養室の扉を開けると、そこは大神殿の中庭のような場所であった。開け放たれていた窓から察していたが、時刻は朝方のようであった。
中庭を抜けると本殿となっていて、そこには大きな4体の女神像が安置されていた。どれも緻密に作られており、その表情までもがはっきりと見て取れる程だ。その内の1体が舜の目に止まった。
(……フォーティア様?)
それは正しく、舜を蘇らせこの世界に送り込んだ、女神フォーティアの姿に他ならなかった。舜が気を取られているのを見たリズベットは、得心したように舜に説明してくれる。
「……勇気の神、フォーティア様ですわ。と言っても、ヒイラギ様は、私達よりもご存知かも知れませんが」
「あ、はい……確かに、そうかも知れませんね……」
(そう言えばフォーティア様はあれからどうなったのだろう? それにあのテスカトリポカ、だっけ? あいつは一体何だったんだ……)
転送知識には無かった、何か尋常ならざる事態が進行している……そんな予感を舜は抱いた。
とは言え、今ここで
「他の3体の像は?」
「フォーティア様の姉妹神ですわ。三女である節制の神テンパランシア様、末妹の正義の神ユスティジア様、そして長女である知恵の神サピエンチア様……。次女であられるフォーティア様と並んで、この世界をお創りになったと言われている神々……」
(姉妹神……? そういえばあのテスカトリポカは、フォーティア様の姉妹の事についても言っていたような……)
また暗い方向へ思考が逸れそうだったので、慌てて舜は努めて明るい口調で言った。
「なるほど、興味深いですね! さあ、それでは早くヴァローナさん達を迎えに行きましょうか!?」
「あ、ヒイラギ様!?」
強引に話題を切り上げて、神殿の入口に足早に向かう舜に呆気に取られていた2人は、慌ててその後を追った……。
****
初めて見る異世界の街は……王都イナンナは、一言で言えば……寂れていた。前時代的な木造や石造りの建物が立ち並び、大通りは石畳によって舗装されていた。道路脇には街路樹が等間隔で植えられており、カラフルな色合いの建物と並んで、街を
広場に行くと、水が湧き出る噴水のような物まであった。道や建物に沿って細い水路が引かれており、驚いたことに上下水道に該当する設備が存在しているとの事であった。勿論、地球の都市のような完璧な物ではないようだが、それでも街の清潔さや衛生面の管理に相当寄与しているのは間違いなかった。
更にここは神膜の中心。神気は最も強く働いており、神官達が定期的に下水道を浄化している事で、疫病などの恐れもほぼ無いらしい。
華やかでよく整備された美しい街であった。街並みだけを見るなら、発展した大都市そのものであった。
……そう、街並みだけを見るのであれば。
街はそこに住まう人間、利用する人間がいて初めて「街」として完成する。確かにこの街にも人はいる。しかし街の規模に比して、その数はあまりにも少なかった。
元々このイナンナには十万人以上の人間が暮らしていたという。その人口が生活出来る都市に、現在の人口は……2万人以下。実に九割近い人口減少である。通りを歩く人影もまばらな理由は明らかであった。
そして更に追い打ちを掛けるように、ただでさえ少ない人口に加えて……活気という物が一切なかった。通行人は皆、うつむき加減で暗い表情をした女性ばかりで、外で遊んでいる子供もいなければ、客引きをしているような屋台や露店の類いも皆無。広場も閑散としており、何の催し物も開催されていなかった。もうじき日中に差し掛かる時刻としては、驚くほど静かで……停滞していた。
むしろ出歩いている通行人よりも、巡回している衛兵の数の方が多いくらいである。
街並みの奥には王城が鎮座していたが、そちらも静まり返っており、まるで誰も住んでいない無人の城であるかのように見えた。
「……知識として知ってはいましたが……こうして実際に目の当たりにすると、想像以上に大変な状況のようですね……」
その寂れた光景に何とも言えない物悲しさを感じた舜は、リズベット達を振り返った。
「お恥ずかしい限りです……。あの忌まわしい
――破滅の日。それはこのイシュタール全土に住まう者達にとって、あらゆる意味で運命の転換期となった大災厄であった。
ある日、世界に突如として発生した、血のような禍々しい色をした薄い霧のような物……。それは恐ろしい勢いで増殖し、瞬く間に世界全土を覆い尽くした。この世界に現代の地球のような密閉・遮断の技術がある筈もなく、世界中の人間達は例外なく……『霧』を吸う事になった。
『霧』を吸った人間の反応は、まずとある要素によって大きく2つに別れた。それは年齢である。一定以上の年齢の人間は男女の区別なく、皆死に絶えたのである。――リズベット達自身の体験や、難民達からの証言等で、大体30歳前後が、境界線だった事が判明している。
一般的な封建社会だったこの世界の国々に対して、それは単なる人口の激減だけではない、致命的な打撃をもたらした。政治、軍事、文化、産業……。あらゆる分野でそれらを牽引してきた熟練者達が、軒並み死亡したのである。それも対策など立てようもない程の短期間の内に。
残されたのは知識も経験もまだまだ未熟な若者達だけ……。それでもまだ被害が
だが……悪夢はある意味ではここからが本番だったのだ。『霧』は、更に残された若者達を2つに選別した。
『霧』は、女性には何の影響も及ぼさなかった。ねっとりと絡みつくような霧は、不快ではあるものの、それによって変調を来たすような女性はいなかった。しかしこの『霧』は、男性に対しては劇的な反応をもたらした。
この霧を吸った男性は例外なく、動物と人間を掛け合わせたような異形の怪物へと変貌したのである。そして肉体だけではなく、精神をも異形にする作用があったのか……変貌した男性達は、女性達をただの獲物と
それが結婚したばかりの自分の新妻であろうが、将来を誓いあった恋人であろうが、仲の良い姉や妹であろうが、はたまた生まれて間もない自分の娘であろうが……お構いなしであった。
自分達を襲う更なる異常事態に、女性達の多くはパニックになり、この最初の数日間の間に多くの女性が殺され、または捕えられてしまった。
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