第15話 神官長リズベット

「舜? 舜!? どうしたの!?」


 名前を呼ばれて、舜はハッと辺りを見渡す。見慣れた風景。莱香が通う女子校と舜が通う高校の通学路の共通部分だ。もうしばらく先の交差点で2つの高校へ続く道へと分岐している。1年の頃は、こうして莱香と途中まで一緒に通学していたのだ。


「莱香……? あれ、俺何してたんだっけ……?」


 目の前にはこちらを呆れたように見つめる、一つ上の幼馴染、九条くじょう莱香らいかがいた。



 莱香は文武両道に秀でた才媛で、母校では生徒会長も務める、近隣でも有名な美少女であった。目鼻立ちのはっきりした美貌に、黒髪のポニーテールが映える。今も道行く通行人――主に男――から、ちらちらと視線を向けられているが、本人はどこ吹く風といった様子だ。


「ちょっと、大丈夫? しっかりしなさいよ! 今日から2年生でしょ?」


 莱香に言われて、舜はそうだったかと思い直す。


「2年生……? ああ……そうか。高校の2年生って事だよね?」


「当たり前でしょ。まだ寝ぼけてるの? 全く……ただでさえその可愛い顔と声のせいでからかわれやすいんだから、もう少しシャキッとしなさいよね! 女に飢えた男子校連中のエジキになりたくないでしょ?」


 おどけたように言ってくる莱香の言葉に、ブルッと怖気が走る。


「冗談でもそういう事言わないでよ……。実際、洒落にならないような目で見てくる奴とかいるんだからさ……」


「え!? うそ、ホントに……!? な、何かあったら、すぐ私に相談しなさいよ!? 舜は私が守るから!」


「……冗談だよ。本気にしないでよ、全く……」


 実際は冗談では無かったのだが、いくら女顔とはいえ舜も高校生男子だ。幼馴染の女子に守ってもらうというのは、男としてのプライドが許さなかった。それでこんな風に誤魔化ごまかしたのだ。――誤魔化してしまったのだ。



「そ、そうなの? 朝からビックリさせないでよ、もう!」


 これは実際にあった出来事。この時には既に松岡に目を付けられていたのだ。もしこの時、つまらないプライドを捨てて莱香に相談していたら、あの悲劇を回避する事が出来ていたのだろうか……?


「ん……? あの悲劇? 何の事だ……?」


 唐突に頭に浮かんだ考えに舜が戸惑っていると、隣を歩く莱香が再び声を掛けてきた。



「おいおい。俺達にあんな事しておいて、もう忘れたってのか? そりゃあ無いんじゃねえか? なあ、シュン?」


「ッ!?」

 莱香とは全く違う、野太い男の声が間近で聞こえた。驚いた舜が振り向くと、そこには足と脇腹から大量の血を流し、幽鬼のように青白い顔をした松岡まつおか英樹ひできが立っていた。



 松岡だけではない。同じように胸や腹、首などをえぐられ、制服を赤黒く染め上げてゾンビのごとき容貌と成り果てた、松岡の取り巻き4人の姿もあった。


 思わず後ずさる舜。同じ距離を松岡達が詰めてくる。


「どこ行くんだ? 俺達はもうどこにも行けないってのによ……」


「あ……あ……」


「なあ、俺達はお前のせいであの虚無の世界で苦しんでるってのに、何でお前だけのうのうと生きてんだよ? ずるいじゃねぇか……」


「……っ!」

 舜は何も考えられず、無我夢中でその場から逃げ出した。走る。必死で走る。足は鉛でも入れられたかのように重く、腰は今にも抜けそうなほど力が入らない。それでも舜は必死で走った。



 いつの間にか場所が変わり、舜は自分の家の中にいた。それを疑問に思う事もなく、居間のドアを開ける。そこにはソファに座って、こちらに背を向けている父親がいた。


 舜は必死で父親の元に駆け寄った。親に対するわだかまりなど、どこかに吹き飛んでいた。


「と、父さん……! 助けて……!」


 呼び掛けながら、父親の肩にすがろうとする舜。父親がゆっくりと振り向いた。


「助ける? 何で僕が君を助けなくちゃならないんだよ。僕を殺したくせに……」


「っ!?」

 振り返った父親は、焼けただれた蜘蛛くも男に変わっていた。蜘蛛男は立ち上がって、舜の方へ詰め寄ってくる。


「僕らが元は人間だと知ってたくせに……! 自分の力に酔いしれてたんだろ!?」


「ひっ……! ち、違う! お、俺は……俺は、自分を、皆を守る為に……!」


「綺麗事言ってんじゃねぇよ。だったら何で親なり警察なりに相談しなかったんだよ? ……認めろよ。ホントは殺したかったんだろ? 殺す為の言い訳が欲しかっただけなんだよ、お前は」

「!!」


 いつの間にか松岡達が後ろに来ていた。おぞましい幽鬼達に取り囲まれる舜。蜘蛛男が追い打ちを掛ける。


「そうだよ。僕だってもう本当に退散するつもりだったのに、君は容赦しなかった……。魔法で人が殺せるか試したかったんだろ?」


「違う! 違う! 俺は……!」


 舜は思わず耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んでしまう。幽鬼達は更に舜を責め立ててきた。耳を塞いでいる筈なのに、幽鬼達の呪詛じゅその言葉は、明瞭に舜の耳へと入ってきた。


「「殺した! 殺した! 殺したかった! お前が憎い! お前も虚無の世界へ戻ってこい! 苦しめ! 苦しめ! 苦しめ……」」






「やめろおぉぉっ!」






「ヒイラ……がっ!?」

「いっ!?」


 幽鬼達を振り払うように、勢い良く体を起こした舜は、ガツン! と何かに頭をぶつけた。いきなりの衝撃に頭を抱えてうなっていると、同じような唸り声を上げながら、レベッカが声を掛けてくる。


「ヒ、ヒイラギ殿……! 目を覚ましたのだな……! 良かった……のだが、いきなりの洗礼だな」


 見ると額を押さえたレベッカが、若干恨めしそうに舜を見下ろしていた。


 舜は慌てて、現状を確認する。どこかの建物内の一室のようだ。白っぽい飾り気のない内装で、どこか病院を思わせた。その連想はあながち的外れでもないようで、室内には清潔な寝台がいくつも並べられていた。舜はその内の1つに寝かされていたのだった。


(夢……だったのか……)


 あれは舜の深層意識が見せた幻だったのか。自分では克服したつもりで、敢えて目を逸らしてきた罪の意識が、あのような夢となって現れたのかも知れない。松岡達の呪詛が頭に残っている。


(違う……! 殺したかったなんて……そんな事は絶対にない! 俺は……!)


「……ヒイラギ殿? どうした? 打ちどころでも悪かったか? それともまだ体調が優れぬか?」


 レベッカが舜の様子を見て、心配そうに声を掛けてくる。舜はハッとして、思わず固く握っていた拳を緩めた。


「あ……ごめんなさい。は、はい、もう大丈夫なようです。ご心配をお掛けしました」


「そうか……。ふう、一時はどうなるかと思ったぞ? まあ、とにかく無事で良かった」


 そう言ってレベッカは肩の力を抜く。どうやら大分心配を掛けてしまっていたようだった。薄っすらとだが、レベッカが自分を背負って、必死にどこかへ向かっていた事は認識していた。


「あ、ありがとうございました……。でも……どうして、俺なんかをそんなに心配してくれるんですか? まだ会って間もないのに。……俺が〈御使い〉だからですか?」


 まだ悪夢の残滓ざんしを引きずっていたらしく、恩人に対して、ついそんなひねくれた質問をしてしまう。


 レベッカは目を吊り上げると、舜の頭に拳骨を喰らわせてきた。

 無論、手加減はされていたが、結構な衝撃に舜が目を白黒させていると、レベッカが怒ったような口調で声を上げる。


「御使いだとか、会ったばかりとか、そんな事は関係ない! 二度とつまらん事を口にするな!」


 強い口調で叱責しっせきされ、舜は思わず萎縮してしまう。


「ご、ごめんなさい……」


 若干ふてくされて心にもない事を言ってしまった事への後悔と、きっと失望されたというショックで、舜が泣きそうになっていると、語調を緩めたレベッカが、今度は穏やかな口調で語りかけてくる。


「済まなかった。ただ、私にそういう打算など一切無かったことは確かだ。それにヒイラギ殿だって、私達を何度も助けてくれたじゃないか。そのお返しだと思ってくれればいい」


「レベッカさん……」


 舜は自分を恥じた。気持ちを切り替えると、居住いずまいを正して、正式にレベッカに礼を言った。


「レベッカさん。今回は本当にありがとうございました。ご迷惑をお掛けしました」


 ん、気にするな、とレベッカが鷹揚おうようにうなずく。この話題が無事に終わった所で、舜は気になっていた事を質問する。


「それであの……ここはどこで、俺はどうやって助かったんですか? そもそも何が原因だったんでしょうか……?」


「ふむ? まあ、当然の疑問だな。まずこの場所だが……ここは王都イナンナにある、大神殿の療養室だ」


「王都に? それじゃあヴァローナさん達は……?」


「私だけヒイラギ殿を連れて先行したのだ。ヒイラギ殿は丸一日以上眠っていたから、もうじきあいつらも王都へ到着する頃だろう」 


 丸一日以上眠っていたという事実と、自分が既に王都の中にいるという事に、舜は驚いた。自分で思っていた以上に、重篤な状態だったらしい。


「そうですか、丸一日も……。あの症状は一体何だったんですか? どうも魔法を使ってから違和感があったんですが……」


「うむ、それは……」





「それに関しては、わたくしからご説明致しますわ」





 ――聞き覚えのない……それでいて聞く者に安心感を抱かせるような、穏やかで包容力に満ちた声だった。舜は声のした方を見て――思わず言葉を失ってしまった。


 療養室の入り口に、1人の女性が佇んでいた。年の頃は、レベッカと同年代だろうか。ただし受ける印象は正反対で、レベッカが「動」とするなら、この女性は「静」といった所だ。声と同じく、その顔や表情も柔和で落ち着いた雰囲気を醸し出していて、全てを包み込んで優しく癒やしてくれそうな……そんな印象を舜に抱かせた。


 ――聖母――。



 それが舜の正直な第一印象であった。恐らく女子大生程度の年齢と思われる女性に対して、ある意味では失礼な印象であったかも知れないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。 


 女性は豊かな金髪を三つ編みで一つ束ねにして背中に垂らしており、それも聖母という印象を補強していた。



「む、リズか。……そうだな。お前から説明してもらった方がいいか」


 レベッカとは知己の間柄のようで、特に驚いた様子も無かった。リズと呼ばれた女性は、にっこりと微笑むと2人のいる寝台まで歩いてきた。


「お初にお目に掛かります、シュン・ヒイラギ様。私はリズベット・ウォレス。このクィンダムにて神官長を務めさせて頂いております」


「あ……は、はい。宜しくお願いします……」


「ふふ、そんなに緊張なさらないで下さい。貴方あなたの事は、フォーティア様から直接、〈神託〉という形で伺っておりますわ。ようやくこうして直接お目に掛かれて私、感無量でございますわ」


 確かに最初、後光でも差していそうな雰囲気に飲まれたのは事実だが、リズベットが近くに寄ってきた事で、舜はそれとは別の意味での緊張にさらされる事になっていたのだった。



(レ、レベッカさんも大概だったけど……この人も相当ヤバいぞ……!)



 身長はレベッカよりやや低いが、それでも160台後半くらいはありそうだ。戦士のレベッカに比べると筋肉量こそ少ないが、その肉付きの良い身体は女性らしい丸みを帯びて、非常に肉感的な印象を与えた。また着ている法衣を押し上げるその双球は、レベッカの物より明らかに大きく、重みによって垂れる事のない、絶妙なバランスを保っていた。


 そして更に追い打ちを掛けるように、着ているその法衣らしき物がまた凶悪だった。


 布地面積の少ない純白の衣装は、両胸は隠しているものの、その中央部分が大きく開いていて、首元のブローチで一つに束ねられていた。丈も短く膝くらいまでしかない上に、身体の前後に当てた布地を、金属製の腰帯で留めているだけという形なので、側面から見ると横乳や足の付け根まで完全に剥き出しであった。


 スリットという概念を超越しているので、歩くだけでも当然、両足の太ももが付け根まで露出されてしまう。前に垂らされた布が、辛うじて股間を隠しているという有様だった。幸いお尻のがわは、布が横にも広がっているのでお尻が露出してしまう事はないが、やはり後ろ側も丈自体は前と同じくらい短いので、後ろから見たとしても、太ももは半ば以上見えてしまうだろう。


 その極端に布地面積の少ない法衣に、金色に輝く薄い金属製の篭手と、脛当て、腰帯、そしていくつかの装飾品が華を添える。靴はサンダル状で、足部が露出していた。


 ――因みに金色の金属はオリハルコンと呼ばれる、ミスリルと同じくらい軽くて、更に硬く、より神気の伝導効率が高いという超希少金属であった。


(ヤ、ヤバい……! レベッカさんで慣れたと思ってたけど、これはまた違う意味で凄い破壊力だ……!)


 ましてやリズベット自身は、聖女然とした微笑みを浮かべる、落ち着いた優しげな美貌の女性だったので、露出衣装とのギャップの破壊力が凄まじい事になっている。


「ヒイラギ様? それでは症状についてのご説明を差し上げたいのですが、宜しいでしょうか?」


「あ……え、ええと……はい、宜しくお願いします……」


 そしてやはりリズベットも、自らの姿が異性に与える影響という物に対して、自覚が無いようだった。



 ……実は、これは単に女性達が鈍いというだけではなく、露出衣装なのはあくまで神気効率の観点からである、という事と、思春期と呼べる時期には既に異性の目が無かったという事、そして舜自身が余り『男』を感じさせない外見である、という事など、様々な理由が重なっての無頓着ぶりなのであったが、流石に舜もそこまでは理解が及んでいなかった。

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