第14話 レベッカの決断

                  ◆◇◆◇◆◇◆◇



「隊長! 隊長ぉ! ヒ、ヒイラギ殿が、大変なんです……!」

 レベッカが野営の準備を進めていると、酷く慌てた様子のヴァローナが駆け込んできた。


「ヴァローナ!? 落ち着け! 大変とはどういう事だ!?」


「どうもこうも、いきなり倒れちゃったんですよ! 顔色も真っ青だし、ゲーゲー吐いてるし、明らかにヤバそうで……!」


「何……!?」

 レベッカはすぐさま作業を中断して駆け出した。近くにいたミリアリアもついてくる。



 ――シュンは天幕の中で、毛布に包まって寝ていたが、ヴァローナの言ったとおり、蒼白な顔で浅い呼吸を繰り返しており、明らかに尋常な様子ではなかった。レベッカは咄嗟に駆け寄り、シュンの熱や脈拍を確認する。


(これは……脈が遅い? それに体温も下がっているような……)


 詳しいことは解らないが、かなり危険な状態であるように見えた。レベッカはヴァローナに状況を確認する。


「一体何があった!? お前、ヒイラギ殿に何かしたのか!?」


「な、何もしてませんよ! 食事を持っていったら、急に倒れちゃって……! 私にも何がなんだか!」


 ミリアリアがシュンを診察している。神官には医術者としての側面もあり、元神官のミリアリアも医術の心得がある。ミリアリアなら何か解るかもしれない。一縷の望みを掛けて、レベッカが見守っていると、やがてミリアリアが顔を上げた。


「どうだ……? 何か解ったか?」


「……何分、初めてのケースなので断言は出来ませんが……一度だけこれに近い症状を見たことがあります」


「それは?」


「……進化種プログレスです」


「……何だと?」

 レベッカは耳を疑った。



「以前、略奪に来た〈鳥獣種ビースティアン〉の〈市民〉と戦った時に、魔法を撃ち尽くしたらしいそいつが、今のヒイラギ殿のように、急に苦しみ出して、嘔吐しながら倒れたんです。勿論進化種ですから顔色までは解りませんでしたが……」


「魔法を……?」


 神膜の外――つまりこの大陸の大部分――では、進化種は幾ら魔法を使っても、大気に満ちる魔素から無限に魔力を供給出来る為、基本的に魔力が枯渇こかつするという事がない。勿論、一瞬で吸収出来る訳では無いので、絶え間なく使い続けるのは難しいが、完全に枯渇してしまう事は絶対にない。


 しかしこの神膜内に限っては、大気に満ちているのは神気であり、魔素が存在しない為、魔力を外部から供給する事が出来ず、魔法を使い続ければ魔力はすぐに枯渇してしまう。


 その結果どうなるのかは、ミリアリアが見た進化種という訳だ。酸欠ならぬ〈魔欠〉状態に陥ってしまうのである。


「…………」

 レベッカはシュンが現れてからの行動を思い返していた。ゾーマやその眷属との戦いで、シュンはかなり多くの魔法を使用していた。その後はすぐに撤収の準備を進めて、神膜内に入ってしまったので、シュンはろくに魔力を回復する暇も無かったのだ。


 そこへ更に今日の鋼陸鮫の撃退に使用した魔法が止めとなり、シュンの魔力は完全に枯渇してしまった、という事なのだろう。


「尤もその進化種は、その後すぐに痙攣けいれんして死んでしまったのですが、ヒイラギ殿はそれに比べると、やや症状が軽いようではありますが……」


 神膜内は進化種にとっては、恐るべき死の空間なのだ。略奪や襲撃も彼らにとってはハイリターンであると同時にハイリスクでもあり、そう頻繁にやって来ない理由もここにあった。


 恐らくシュン自身が言っていた神気にも適性があるという特殊な体質が、死の症状を緩和しているのだろう。だがこのまま放置すればかなり危険な状態である事に変わりはない。


「……回復の見込みは?」


「もし魔力の欠乏が原因だとするなら、神膜外に出て魔素を吸わせる以外にありません。しかしここからでは……」


 既にかなり王都に近い所まで来ている。神膜は王都イナンナを中心に、円を描くように巨大なドーム状に展開しているので、ここからでは神膜外に出るのは相当な時間が掛かる。それまでシュンが持つかどうか……。


「……ヴァローナ、ミリアリア。私はヒイラギ殿を連れて、一足先に王都へ急ぐ。ここはお前達に任せる。通常のペースで移動を続けろ」


 ヴァローナが怪訝けげんな顔をする。



「王都へ? で、でも、魔素を吸わせないといけないんじゃあ……?」


 ミリアリアが何かに気付いたようにハッとした顔を向けてくる。


「……まさか、リズベット様に?」


「うむ。ここからでは例え全速力で駆けたとしても、神膜の境目まで一日近く掛かってしまう。ヒイラギ殿の状態からすると、非常に危険な賭けだ。それよりはこのままイナンナに直行して、リズベットに任せた方がいいだろう」


 ミリアリアは納得しているようだが、ヴァローナは懐疑的だった。


「リズベット様が必ず対処法をご存知とは限りませんよ!? もし治療出来なかったら……!」


「……私はあいつを信じる。〈神託〉を受けたあいつは、誰よりもヒイラギ殿について詳しい。このような事態も、きっと想定している筈だ」


 希望的観測ではあるが、根拠がない訳でもない。少なくとも、今のシュンに丸一日の強行軍を強いるよりは、可能性が高い筈である。


「こうして話している時間も惜しい。これは決定だ。私はヒイラギ殿を連れて今すぐに発つ。後は任せるぞ」


「畏まりました」「……了解です」


 ヴァローナはまだ納得していなそうだったが、言った通り時間が惜しい。レベッカは隊長権限で方針を決定すると、自分の「神機」を作り出す。そしてシュンを自分の背中に背負うように括り付けると、「神機」にまたがった。


「……では済まんが先にイナンナに向かう。お前達は急がずに追ってきてくれ」


「はい、こちらの事はお任せ下さい。……ヒイラギ殿を頼みます」


「うむ……では」

 ミリアリアの返事を受けて、レベッカは「神機」に指令を送る。「神機」は甲高い馬のような鳴き声を上げて走り出した。レベッカは一心不乱に「神機」を駆る。



 ――目指すは王都イナンナだ。



                   ◆◇◆◇◆◇◆◇

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