第13話 魔獣襲撃

 舜が目覚めた時には、もう夜が明けていた。川の近くだからか僅かに霧がかっており、早朝特有のシンとした空気が、起き抜けの肺に心地良かった。


(もう、朝か……。良く寝れたのか、な……?)


 ベッドや布団もない野宿に近い環境であったが、意外にも熟睡していたようだ。硬い地面で寝た事による体の痛みも、それ程気にならなかった。まだ若干のだるさは感じたが、外の空気は爽快だし、このまま寝てるよりは、起きた方が体調にも良さそうだ。


 大きく伸びをして、身体をほぐしながら天幕から出ると。避難民の女性達もちらほら起き出している頃だった。少数だが、小さい子供も混じっていた。


 避難民達は舜に気付くと、慌てて平伏した。舜が普通にして欲しいと頼むと平伏はしなくなったが、それでも興味深そうな好奇の視線や、ひそひそ話のような物は絶えなかった。気にはなったが、物珍しいのは事実だし、露骨に警戒や敬遠されるよりはマシだと思う事にした。


(ちょっと複雑だけど……やっぱりこの外見のお陰かな)


 舜は昔から、自分の外見が好きではなかった。この外見のせいでいじめに遭い、結果あのような事件を起こしてしまったのだから尚更である。


 しかしこのイシュタールの、そしてクィンダムの現在の状況を考えると、いくら神託があったと言っても、「男」というだけで、あからさまに警戒されたり、最悪排斥はいせきされたとしても不思議は無かった。


 間近で舜と接していたレベッカ達でさえ間違えていたのだから、避難民達は恐らく舜の事を女性だと思っているのだろう。だからこそ好奇の視線程度で済んでいるのだ。


 レベッカ達もいたずらに舜の性別の事を触れ回っている様子は無いし、恐らく舜と同様の懸念を抱いたのだろう。ならばとりあえず自分も、今の段階では男だとバレないようにした方が良さそうだ。


 舜がそう結論付けた所で、そのレベッカがやってきた。昨日、体を洗って休息も取った事で、心なしか肌の張りも増しているようで、柔らかな朝日の中、そのビキニアーマー姿は一段と輝いて見えた。


(き、昨日でだいぶ慣れたつもりだったけど……やっぱりまだまだ刺激が強いな……!)


 舜の内心も知らぬげに、レベッカが声を掛けてきた。


「おはよう、ヒイラギ殿。昨晩は良く眠れたようで何よりだった」


「お、おはようございます……。お陰さまでだいぶ疲れも取れました」


「うむ。それは良かった。食事を摂ったらぼちぼち出発する予定なので、ヒイラギ殿もそのつもりで準備をしておいて欲しい」


「あ、はい、解りました。因みに食事って昨日のアレですか……?」


 昨日の苦味を思い出して、舜がゲンナリしながらも尋ねると、レベッカは申し訳なさそうに頬を掻いた。


「済まん。王都まで行けば、もう少しマシな物が食べられるだろうから、今はアレで我慢してくれ」


 こんな状況であるし、舜も解ってて確認しただけだ。とりあえず空腹は満たせるので充分だ。ありがたくヤズルカの実を頂戴すると、昨晩と同じく水を片手に、頑張って完食した。空腹は最大の調味料とは良く言ったもので、腹さえ減っていれば食べるのに問題は無さそうだった。元々好き嫌いは余り無い方である。





 他の女性達もあらかた食事を終えたようで、野営を引き払うと再び王都に向かって移動となった。特に何事もなく進んでいたが、昼に差し掛かった頃、〈魔獣〉の襲撃を受けた。



 見た目は、巨大なサイの胴体に、サメの頭がくっついたような奇怪な怪物で、その巨体からは想像も出来ないようなフットワークで、女性達の集団に狙いを定めて襲いかかってきた。こちらは人数だけで言えば数百人規模の集団なのだが、〈魔獣〉はお構いなしに単体で向かってきた。


 動物園で見た成体のアフリカゾウ並の大きさで、それが地響きを立てながら迫ってくる様は、実戦を経験して度胸がついた筈の舜も、思わず身をすくめてしまいそうになる程の、とてつもない迫力であった。


 避難民達が、その恐ろしい姿を見て、パニックに陥りかけていた。戦士や衛兵達が何とかなだめているが、いつ決壊してもおかしくない状況だ。



「くっ! 鋼陸鮫こうりくざめか……! このような時に……!」



 レベッカが歯ぎしりしている。名前を聞いた舜は、急いで転送知識を検索する。鋼陸鮫。その名の通り表皮は鋼のような硬さで、武器による攻撃に対して非常に高い耐性を持っている。レベッカ達には相性が悪そうだ。事実この魔獣の襲撃には、ひたすら隠れてやり過ごす事が基本となっていた。


 しかし今は見晴らしの良い平原で、しかも守るべき避難民達がいる。逃げる訳には行かない状況だ。


「衛兵は市民を守れ! 戦士隊は迎撃用意!」


 レベッカが素早く指示を飛ばす。それに応じてヴァローナ達を含む聖女戦士隊アマゾーンの面々が急いで迎撃態勢を整えているが、迫り来る魔獣の巨体の前に、それは如何いかにも頼りなく映った。


(こういう時にこそ俺の出番じゃないのか!? 今働かないで、いつ働くんだ!?)


 舜はこの世界の人間を助ける為に来たのだ。それに撤収や野営の時は、何も出来ずに世話になりっぱなしだった。一宿一飯の恩義というやつもある。

 

「レベッカさん! ここは俺に任せて下さい!」

「ッ!? ヒイラギ殿!?」


 レベッカが驚いたように舜の方を振り向いたが、その時には舜は、戦士達の前に躍り出ていた。


(魔獣は火を嫌う……。ならコレだ!)


 昨日、眷属や蜘蛛男をほふった火球の魔法。かざした両手の前にたちまち巨大な炎の塊が形成される。


(……!?)

 魔法は完成したが、舜は言い様のない違和感を覚えた。昨日と同じ魔法……だが、昨日とは何かが違う。そんな感覚。


(今は考えてる暇はない……!)


 魔獣はもうかなりの至近距離まで迫っている。火を見て一瞬驚いたようだが、それよりも目の前に群がる獲物に対する衝動の方が勝ったようだ。これ以上近づかれると、巻き添えを考慮して威力を抑えなければならなくなる。


「う、おおおぉぉぉ!」


 気合の掛け声と共に、火球の魔法を放つ。的が巨大なので外す心配はない。瞬の身長ほどもある特大の火球が、迫り来る魔獣に向けて炸裂した。


 まるで巨大な火柱が立ち昇ったと錯覚するような凄まじい爆発と轟音が鳴り響き、レベッカ達は勿論、舜自身も思わず目を背けた。爆発の衝撃と熱風の余波が、こちらにまで届き、皆顔を庇うような前屈みの姿勢で耐えていた。


「…………」


 魔獣の足音は聞こえてこない。舜は恐る恐る顔を上げた。爆煙が晴れると……驚くべき事に魔獣はまだ生きていた。だが顔と前足の前面が焼けただれて、ひどい有様になっていた。


 咄嗟に身構えた舜だったが、魔獣は流石に戦意を喪失した様子で、哀れっぽい鳴き声――その巨体に似合わず、キィ、キィという甲高い声――を上げながら、もと来た丘の向こうへ消えていった。



(物凄い頑丈さだな……。でも、撃退は成功、かな……?)



 女性達は皆、固まったように静まりかえっていた。もしかして引かれたか、と舜が心配し掛けたその時、女性達から一斉に爆発的な歓声が上がった。兵士達は勿論だが、それよりも避難民達の方が熱狂的な歓声を上げている様子だ。彼女らは初めて舜の――〈御使い〉の力を目の当たりにしたのだ。


 皆が舜のもとに駆け寄ってきて、口々にお礼や賞賛の言葉を投げかけてくる。戦士や衛兵達が、昨日の二の舞いにならないよう気をつけてくれているので、舜も多少余裕を持って接する事が出来た。やや引きつりながらも、笑顔でお礼に応えていく。


 しかしその裏で、先程魔法を放った時に感じた違和感は、拭い去れないまま舜の意識にこびり着いて残っていたのだった……。



****



「ヒイラギ殿? あの……何か顔色が真っ青ですけど……大丈夫ですか?」


 魔獣を撃退した後は大きなトラブルも無く移動ははかどり、夕方に差し掛かった所で、2回目の野営の準備が進められていた。舜の食事と寝具を持ってきたヴァローナが、舜の様子がおかしい事に気付いた。


「い、いえ……。余り、大丈夫じゃ、ない、かも……です」


 あの後も違和感は消える事なく、それどころか増々大きくなってきているように感じた。最初は慣れない長旅の疲れでも出たのだろうかと思ったが、この不調の原因は明らかにあの魔法を使った後からだった。


 この感覚は……そう、家の風呂で長時間浴槽に浸かっていた時に起こるアレ……いわゆるのぼせ・・・や、湯当たりと呼ばれる症状にかなり近い感覚だった。それも相当酷いやつだ。


(き、気持ち、悪い……! た、助けて……!)


 視界がグルグルと回って、平衡感覚が失われる。物凄い嘔吐感に襲われ、とても立っていられず、その場に崩れるように倒れ込んでしまう。同時に胃の中の物を地面にぶちけていた。


「う、うわぁ! ヒ、ヒイラギ殿! ヒイラギ殿ぉ! ど、どうしちゃったんですかぁ!?」


 パニックに陥ったヴァローナが駆け寄ってくるが、それに応える余裕もなく、瞬の意識はそのまま闇に沈んでいった……。

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