第12話 クラインフェルター症候群
「その……済まなかった。ヒイラギ殿は女性だとばかり思い込んでいたのだ……」
その後、何とか交代で水浴びを済ませた舜は、神妙な顔つきのレベッカから謝罪を受けていた。ヴァローナも横でウンウン頷いている。ミリアリアは哨戒の任務に戻っていた。
「ホントですよぉ! 私なんか抱きついちゃいましたよ! 確かに胸の感触は無かったですけど、きっと凄く小さいんだな、とか、失礼な事考えてましたよ!」
その時の事を思い出しているのか、ヴァローナは若干頬を赤く染めていた。
「て言うか、ヒイラギ殿が悪いんですよ! そんなに可愛い顔と声してるから、普通間違えちゃうじゃないですか!」
(可愛くて悪かったな! こっちだって好きでこの顔に生まれた訳じゃないんだよ!)
理不尽なヴァローナの言い分に、舜が若干ムッとしていると、レベッカが取りなすように再び謝罪した。
「やめろ、ヴァローナ。ヒイラギ殿は何も悪くあるまい。私とて、リズベットの神託に一部誤りがあったのでは、と思い込んでいたのだからな。我が身の不明を恥じるばかりだ」
再び頭を下げるレベッカ。ヴァローナもそれを見て、恥じ入ったように謝罪してきた。舜もかえって恐縮してしまう。
「い、いえ、良いんです。こちらも、その……見てしまって、すいませんでした……」
「――っ! おほん! こ、これまでの事はお互い忘れる事にしよう。……だがこれで、ヒイラギ殿が魔法を使える理由が解ったな。」
あからさまな話題の転換ではあるが、あながち無関係な事でもない。舜も気まずい会話を続けたくなかったので、喜んで便乗させてもらう。
「確かこの世界では、男性にしか魔法は使えないんですよね?」
「うむ……。その代わり、我々は神術を扱う事が出来るが、魔法に比べるとかなり限定的な力でな……」
神術は、神の加護を擬似的に再現した力である為、防御や浄化、回復といった、害悪から身を守る力に特化しており、攻撃的な運用はほぼ出来ない。武器に
「でも……ヒイラギ殿が男性なら、何で進化種になっちゃわないんですか? 魔素に触れた男性は皆、変わっちゃったのに……」
「ふむ……確かにな。〈境目〉には魔素も入り込んでいた筈。それに神膜内で神気を吸っているのに、何ともないのか? 魔素で生きる進化種にとって神気は毒となる筈だが……。それとも異世界人には適用されないのか? いや、でもそれなら魔法を使える筈が……」
ヴァローナの疑問を受けて、レベッカも思案顔になる。それらの疑問に対する答えは、転送知識の中にあった。フォーティアが舜を「最適」だと言った理由が……。
クラインフェルター症候群という症状がある。人間の性別は、簡単に言えば、X染色体とY染色体という2つの性染色体の組み合わせによって決定される。X染色体が2つ、「XX」となると女性、X染色体とY染色体が1つずつ、「XY」で男性となる。
大雑把に言えば、X染色体は女性の因子、Y染色体は男性の因子と言えるのだが、
クラインフェルター症候群の特徴として、
イシュタールにおいては、〈魔素〉がY染色体に反応する事で〈進化〉が促されるが、舜は通常の女性と同じ数の女性因子――X染色体を持っていた事で、神気にも親和性があり、肉体や精神の変質から守られていたのである。それでいてY染色体も持っているので、魔素による魔法の行使が可能、という、言わばいいとこ取りの状態であったのだ。
尚、これとは逆に男性の因子、Y染色体が通常の男性よりも多い、「XYY」……即ちスーパー男性と呼ばれる人間も存在している。
しかしこの世界イシュタールは、神が直接作り出した世界であるからか、これらの染色体異常は存在せず、魔素による影響に例外は無かった。
「……どうも俺は特殊な体質みたいなんです。その……男性なんですけど、女性の因子も持ってると言うか……。とにかく魔素や神気に関しての心配は無用って事で大丈夫です」
とりあえず専門的な話は避けて、ざっくり説明するに留めた。今は関係がないし、舜が進化種になってしまう心配がないという事が伝われば問題ないだろう。
「ふむ……そうなのか? まあヒイラギ殿がそう言うなら、我々としてはそれを信用するしかあるまい。実際に今の所、問題は無さそうだしな」
あっさり納得するレベッカ。専門的な話は避けて正解だったようだ。
「さて、とりあえずの疑問が解けた所で、そろそろ休むとしよう。夜間の見張りは我々が交代でやっておくから、ヒイラギ殿はゆっくり休んでくれ」
見ると、避難民達は大方寝具に
天幕の1つを借りて、毛布に包まる。イシュタールには日本のような明確な四季が無く、場所によって気候や気温はほぼ固定されているようだ。このクィンダムがある地域は比較的温暖な気候であったが、それでも昼夜による気温差はある。やや肌寒く感じた舜が毛布に包まっていると、疲れからか、すぐに眠気が訪れた。
(ふう……。今日は、本当に、疲れた……な……)
野宿に近い状況で上手く眠れるか心配だった舜だが、疲れは不便さを補って余りあるようだった。今日あった様々な出来事を振り返っている内に、いつの間にか寝入っていたのであった……。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ヒイラギ殿、眠ったみたいですよ。何だかんだで、かなり疲れてたみたいですねぇ」
シュンの様子を見に行っていたヴァローナが戻ってきた。今は他の兵士達が見張りをしてくれているので、ミリアリアも戻ってきていて、聖女戦士隊のトップ3が揃っている状況だった。
「そうか、ご苦労だった。……しかし驚いたな。ヒイラギ殿が本当に男性だったとは」
「ホントですよ! どう見ても女性にしか見えませんよね!?」
ああして服を着ていると、解っていても女性にしか見えないから驚きである。しかし上半身の薄い胸板をしっかり見てしまったからには、信じない訳には行かないだろう。
(最初から男だと解っていればな……)
水浴びの件を思い返すと、羞恥がぶり返してくる。まだレベッカが10代の少女だった頃に
(ヒイラギ殿は気に入っていないようだが、あのような外見である事が幸いしたな)
女性と見紛うようなシュンの声や外見の為、男だと判明した後も、それ程態度を変えることなく接することが出来ていたのは確かだ。もっと男っぽい外見であったなら、羞恥なり警戒なり、何らかの負の感情が表に出てしまっていただろう。
「……ミリアリア。まだヒイラギ殿の事が信用できんか?」
ミリアリアはどうも意図的にシュンと距離を取っている節があった。ヴァローナが積極的にシュンの関心を買おうとしているのとは、対照的とも言えた。
「……いえ。ヒイラギ殿個人に関しては、思う所は無いのです。嘘を付いている様子もありませんでしたし……」
「魔法の事か……?」
「……はい」
ミリアリアは元神官であり、戦士の中では最も神術の扱いに長けていて、その力で進化種の魔力感知や索敵などを担当する事が多かった。その為、人一倍魔力やそれによって行使される魔法に対して忌避感を持っていた。いや、この場合、危機感と言い換える事も出来た。
「魔法が使えるという事は、魔素の影響を受けているという事……。いつ、何の拍子に進化種に変わってしまうか誰にも解りません。本人は特殊な体質と言っていたそうですが、本当にそれを鵜呑みにして安心してしまって良いものかどうか……」
「ミリア……」
ヴァローナが心配そうにミリアリアを見ていた。普段脳天気な彼女も気休めを言う事は出来ない。何故ならその答えは誰にも解らないからだ。そしてそれはレベッカも同様であった。
「……お前の
「! そうなんですか……!?」
ミリアリアが驚いたように顔を上げる。
「ああ。今度の戦いでは奇跡が起きるとか何とか……。その時は一笑に付して取り合わなかったのだが、今思うと、あれはヒイラギ殿の事を言っていたのかも知れん」
「かも知れんって言うか、もろにヒイラギ殿の事じゃないですか! そういう事はもっと早く言って下さいよ、隊長!」
ヴァローナが呆れたように抗議した。レベッカは申し訳なさそうに頬を掻いた。何分、色々あってレベッカ自身もすっかり忘れていたのだ。
「済まんな。リズベットが意味深な事を言うのはいつもの事なので、つい忘れていた。あいつの神力は化け物じみているからな。神託を受けた事といい、ヒイラギ殿の事を予期していたとしても、それほど不思議は無いな」
「そうですか……リズベット様が……」
ミリアリアの表情が若干明るくなる。ミリアリアは元神官、つまり元は〈神官長〉リズベットの部下だったのだ。リズベットの能力に関しては、ここにいる誰よりも理解し、信頼を寄せている。
「うむ。あいつなら我々の懸念にも答えてくれるだろう。それまでヒイラギ殿の事については、保留という事で……いいな?」
「解りました」
リズベットがシュンの事を把握している可能性が高い、という事実を知って、ようやくミリアリアも安心したようだ。ヴァローナもミリアリアの態度が軟化したのを見て、ホッとしているようであった。
「さあ、暗い話はここまで! 私達も今の内に身体を休めちゃいましょうよ!」
「そうだな。交代の時間までにしっかり休んでおけ。明日も早いからな」
ヴァローナの言葉を受けて、レベッカも話を切り上げる。疲れているのはシュンだけではない。レベッカ達は命がけの戦闘を含め、一日中活動していたのだ。内心は流石にクタクタであった。
見張りの交代があるので、睡眠時間は貴重だ。ミリアリアも勿論異存はないようで、皆そそくさと自身の天幕へと入っていった……。
◆◇◆◇◆◇◆◇
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