第11話 戸惑いと誤解

 舜が町外れにある大きな森を見張っていると――この森を抜けた更に先にラークシャサ王国がある――やがて撤収の準備が終わったのか、リューンの街からレベッカ達が出てくるのが見えた。その後ろには、衛兵達、更には街の住民だったのだろう、平服姿の女性達が大勢付いてきていた。その数は……おおよそ500人程度。大勢ではあるが、リューンの街の規模を考えるとかなり少ない数字だ。


 あの街はどう見ても2,3千人は住めそうな規模の街である。しかも住民達には共通する特徴があった。


 それは全員が女――それも若い女性、もしくは幼い少女ばかりである、という事だ。男性は勿論の事、ある程度年齢を重ねた中年以上の女性の姿が無かったのである。


(……やはり破滅の日カタストロフってやつのせいで? 転送知識の記憶は確かみたいだ。でも王都の様子も見てみないと、まだはっきりした事は言えないよな……)


 舜が思考を巡らせていると、レベッカが近づいてきた。


「ヒイラギ殿、お待たせした。すぐに出発したいと思うが宜しいか?」


「はい。俺は大丈夫ですけど……随分早かったですね?」


「……こんなご時世だからな。皆、有事を想定していて身軽なのだ。特にここのような前線の街ではな……。後は、このミリアリアが上手く説得してくれたのも大きいな」


 そう言うと、レベッカは両脇に控えていた2人の女戦士を紹介した。


「丁度良い。この機会に正式に紹介しておく。聖女戦士隊の副長のヴァローナと、ミリアリアだ」


「先程は失礼しました、ヒイラギ殿!」「……宜しく」


 ヴァローナはあげっぴろげな態度だが、黒髪の女性――ミリアリアはまだ若干、舜を警戒している様子だった。突然現れて、魔法まで使った舜を警戒するのは当然だ。いくら神託があったとは言え、それを直接聞いた訳では無いのだから、致し方ない事だろう。


 ヴァローナや他の兵士達が信じ切っているのは、やはり実際に進化種と戦いそれを斃した、という事実を目撃しているのが大きい。その意味では、あの状況に送り込まれた事は、むしろ幸運と言えたかも知れない。舜も否応なしに実戦を経験した、という意味でも。


 そう考えると、ミリアリアはかなり慎重で疑り深い性格と言えるが、このような人物もいた方が組織としては間違いがないだろう。


「えっと……シュン・ヒイラギです。フォーティア様という神様? からこの世界に送り込まれた人間です。……宜しくお願いします」


 何を言うべきか迷った舜だが、既に神託とやらが為されている以上、変に隠すことも無いだろう、と、端的に自己紹介する。ここでごちゃごちゃ地球がどうとか言っても混乱させるだけだろうし、今は関係ないので、すっぱり省く。取り敢えずこことは別の世界から来た、という事が解ってもらえれば充分だ。



「では、互いに紹介が済んだ所で、早速イナンナに向かうとしよう」


レベッカの号令によって、一行は王都イナンナへと出発する。真ん中に一般市民。それを囲むように衛兵達が、更にその前後を挟むようにして聖女戦士隊が二手に分かれて、先導と殿しんがりを務める、という布陣で進んでいく。基本的には後方を警戒しながら進むことになるので、殿の方が役割は重大で、2人の副長が先導、レベッカと舜は殿という形で分かれた。


持てるだけの物資は、街でかき集めた荷台を多数の「神機」が牽引する形で運搬していた。この物資の警護も殿の役目だ。「神機」に関しては、予め転送知識で知っていたのと、馬や牛のような既知の生物に酷似した外見――色は白一色であったが――をしていたので、それほど抵抗なく受け入れる事が出来た。


 殿として後方を警戒しながら、一行に付いていく舜だが、むしろ初めて見る異世界の情景の方に心奪われていた。


 舗装されていない踏み固められた街道。その街道に沿って小川が流れている。ダムで堰き止められ干上がった川や、人工河川くらいしか見たことの無かった舜は、その小川の流れが作り出す自然な造形に感動を覚えていた。街道から外れれば、そこには草原が広がり、その先はなだらかな丘陵が続いていた。人工物と言えるのは、街道に沿って設置された手製の柵くらいである。現代の、しかも都会で暮らしていた舜には、滅多にお目にかかれないような、雄大な自然の情景であった。


(きれいだ……)


 素直にそう思った。この景色だけを見ていると、とても滅亡の危機に瀕している世界とは思えない程だ。時刻は夕方に差し掛かろうとしており、徐々に赤みを増してきた夕日が牧歌的な景色を照らしていた。


 因みにこの世界にも、地球と同じように太陽と月があり、太陽はマルドゥック、月はティアマトと言うらしいが、地球育ちの舜には今一ピンと来ないので、便宜上、太陽と月と呼ぶことにした。


 その時、前を歩いていたレベッカが、舜の方を振り返って訪ねてきた。


「ヒイラギ殿。もう少し進んだ先に、川が広くなっている場所があるので、今日はそこで野営する事になると思うが、宜しいか?」


「あ……はい」


 つまりもう少しで休憩出来るという事だ。身体強化魔法を発動しての戦闘をこなしていた舜は、実は結構疲れていたのだ。強化魔法は魔力だけでなく、体力もかなり消耗する。他にも今日は色々あり過ぎて、精神的にもクタクタだったので、正直な所、野宿でも何でも早く休みたかった。


 それまで街道に沿って流れていた川はそこで終わっていて、そこからは幾つかの小さな支流へと分かれていた。流量の変化によって堰き止められた水が、巨大な貯水池を形成していた。どうやらこの付近で野営となるようだ。物資から寝袋や毛布などの寝具が配られ、あちこちで簡易な天幕が設営されていく。この辺の雑用は主に衛兵達の仕事で、聖女戦士隊は哨戒担当のようだ。


 既に神気の満ちる神膜内でありながら哨戒を要する理由は、〈魔獣〉である。


 魔獣は野生動物などが魔素の影響で変異した怪物の総称で、元になった動物によって、様々なバリエーションが存在する。進化種に比べて神膜内で活動できる時間が長く、神膜内に平然と侵入して衝動のままに暴れまわるので、この地に暮らす女性達にとっては、無視できない脅威となっていた。


 幸い頻繁に別種同士で喰らい合ったり、進化種にも牙を剥いて狩られたりするので、そこまで数が多くないのが救いであった。魔獣は元の動物と同じく火を嫌うので、いくつもの焚き火が用意される。


「ヒイラギ殿。大体の準備は終わったので、休憩に入ってくれ。この保存食が異世界のヒイラギ殿の口に合うか解らぬが……」


 そう言ってレベッカから青い色の木の実のような物を渡された。ヤズルカという木から採れる果実で、味は最悪だが、これを食べるだけで、とりあえず生存に必要な栄養は確保できるという優れ物だ。日持ちもするので保存食や携帯食としては重宝されていた。


 飲料水は川から汲まれてきた水だ。汲まれた水は神術によって解毒されて、後はそのまま飲んでも問題ない状態になる。リューンの街の領主代行だった神官が中心となって、水を浄化していく。



 水の入った桶を側に置いて、舜はヤズルカの実をかじる。


(うげっ! 苦っ……!)


 思わず吐き出しそうになるが、必死に水で飲み下す。――水は非常に爽やかで美味しかった。それに勇気づけられた舜は、何とかヤズルカの実を完食する事に成功した。


「あはは! 大変そうですねぇ、ヒイラギ殿。でも初めてで全部食べれたのは凄いですよ? 中には吐き出しちゃう奴もいますから」


 近くで見ていたヴァローナがそう言って笑う。



「さあさ、食事が済んだら、楽しい水浴びの時間ですよぉ? 今日の戦闘での汚れを落としたいですから、念入りに洗っちゃいましょうね?」


「……え?」


 ごく自然にヴァローナが舜の手を取って誘導していくので、何も考えずに引かれるままになっていた舜は、何か聞き捨てならない単語を耳にしたようの気がして、思わず足を止めた。


「み、水浴びって……?」


「向こうの岩場の陰が、丁度皆から見えない位置になっていますので、あそこまで行きますよ。もう隊長とミリアは一足先に入ってるようですから、私達も急ぎましょう」


 ますます聞き捨てならない状況を聞いてしまった。つまりこのまま行けば、水浴び中のレベッカ達と鉢合わせするという事だ。


(い、いやいや……! 何でこの人、平然と俺を連れてこうとしてるの!? まさかこの世界って〈そういう〉文化なの?)


「い、いや、俺は後でいいから……!」


 足を止めた舜を訝しむように見てくるヴァローナ。何故そんな事を言うのか解らない、という風情だ。


「水の事を心配してるんですか? 大丈夫ですよ。神膜内の水は魔素に毒されてませんし、とても綺麗で気持ちいいですよ?」


「いや、そういう事じゃなくて……」


 押し問答の声が聞こえたのだろう、岩場の向こうからレベッカの声が聞こえた。


「む? ヴァローナか? 何をのんびりしている。お前も早く済ませろ」


「はいはーい。只今参ります! ほら、ヒイラギ殿も早く!」


 ヴァローナに引っ張られて慌てる舜。まさかここで強化魔法を使う訳にも行かず、結局ヴァローナに押し切られて、現場に到着してしまう。いや、心のどこかに期待があったのかも知れない。




(う、わ……!)


 予想はしていたが、やはりそこにいたのは一糸まとわぬ姿になった、レベッカとミリアリアの2人の美女であった。辺りはすっかり暗くなっていたが、月明かりに照らされて、2人の白い裸体は夜の闇の中にくっきりと浮かび上がっていた。


 元々露出の高いビキニアーマー姿だった事もあり、均整の取れた美しい身体をしている事は解っていたが、やはり全裸となると破壊力が違う。特に長身のレベッカは、ミリアリアが腰の辺りまで水に浸かっているのに対して、下腹のかなり危うい位置まで水面が下がっていた。もう少し浅い所に上がってきたら、隠すべき花園が完全に見えてしまいそうな程だ。


 下は辛うじて水面に隠れているものの、上はそうは行かない。程良く鍛えられた胸筋に支えられた見事な双球が、惜しげもなくさらされていた。ミリアリアの方はレベッカに比べると、大分慎ましやかだったが……。


「――――っ!」


 幼馴染の莱香も、流石に舜に裸を晒した事はない。つまり舜は物心ついてから初めて、女性の裸を生で見てしまったのだ。動揺しながらも、ついまじまじと凝視してしまったのも致し方ない所ではあっただろう。


「む、ヒイラギ殿も一緒か。丁度良い。今のうちに旅の汚れを落としておくと良い」


 そしてやはりレベッカ達も、舜がいる事に何ら動揺はしていなかった。こうなってくると、自分一人があたふたしているのが、むしろおかしいのかと感じてきてしまう。


「ほら、ヒイラギ殿! ちゃっちゃと汗を流しちゃいましょう!」


 見るとヴァローナはさっさと鎧を脱いで――何分、軽装なので着脱が速い――、ザバザバと水の中に入っていく所だった。やはり舜の前で裸になる事に躊躇している様子はない。


(……良いんだな? 良いんだよな? ここは日本とは違う異世界だし、風習も違うって事なんだよな? よ、よし! 郷に入っては郷に従えだ!)


 理論武装して自分を納得させた舜は、思い切って服に手をかけた。心臓は早鐘のように打っており、ある意味で進化種と戦った時より、精神的な重圧を感じていた。


「で、では、失礼します……」



 ――異変は、舜がYシャツを脱いで上半身裸になった所で起きた。



「「「え……?」」」


「……え?」



 女性達の呆けたような声に、舜が訝しんで顔を上げると、レベッカ達が揃って硬直しているのが目に入った。


「お……男……?」


 レベッカから呆然としたような疑問の声が発せられる。他の2人も言葉はないものの、表情を見る限りレベッカと同じ心理状態のようだ。


「は、はい……男ですけど……え?」


 訳も分からず舜が間の抜けた返答を返すと、我に返った3人は一斉にその身を肩まで水の中に沈めた。



「み……み……見るなぁぁぁっ!」



 その美貌を羞恥に染めたレベッカが、半ば悲鳴に近い叫び声を上げた。舜は唖然として、上半身裸のまま呆然とその場に突っ立っていたのだった……。

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