第9話 初めての実戦

               ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 



 ――ゾーマの放った牽制の火球を、やはり結界のような物で防いだ〈御使い〉。しかしその直後、ほぼ時間差なしで突っ込んできたゾーマの刺突を、〈御使い〉は辛うじて避ける。慌てて距離を取ろうとする〈御使い〉だが、それを許すゾーマではない。電光石火と言って良い速度で繰り出される刺突に対して、〈御使い〉は防戦一方となった。


〈御使い〉も身体強化の魔法を発動しているらしく、速度では負けていなかったが、どうにも動きがつたなかった。


「た、隊長……何か、ヤバくないですか……?」


 〈御使い〉が眷属を全滅させた時は歓声を上げていたヴァローナだが、再び雲行きが怪しくなってきた事で、不安から声が震える。レベッカもその意見には同意であった。


 〈御使い〉は信じがたい事に魔法を行使し、遠距離戦では圧倒的な強さを見せたが、接近戦は余り得意では無いようだ。というよりその動きは素人同然と言って良く、余りにも無駄が多かった。強化された身体能力で何とかしのいでいる、という状況だったが、それもいつまで持つか怪しいものである。


(くそ……! やはり御使いなど当てにならなかったんだ! ええい、何だその動きは! 今の隙に反撃出来ただろう! 何やってる! その身体能力は飾りか!?)


 未だ糸にはりつけにされたままのレベッカは、〈御使い〉が苦戦しているのを、見ている事しか出来ない。なまじ戦士として腕に覚えがあるだけに、もどかしさの余り気が狂いそうな程であった。


 不安と焦燥に包まれた女達に出来る事は、ただ〈御使い〉の勝利を祈って、見守る事だけであった……。




                ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ……どれ程の時が経ったのだろう。蜘蛛くも男の攻撃を辛うじて躱し続けているしゅんには、永遠のように感じられる時間であったが、実際の時間はそこまで長くはないだろう。


「あははは! 魔力は大した物だけど、接近戦は素人同然のようだねぇ!」


 蜘蛛男の耳障りな声が聞こえる。反論している余裕は無かった。それに事実、舜は素人であったのだから、反論したくても出来ない、というのもまた確かだった。当然ながら魔法を使った事自体初めてであり、身体強化による速度向上の感覚に付いていくのがやっとの状態であった。


(仕方ないだろ! こっちは日本で生まれ育った、ただの高校生だぞ!?)


 同じ条件で、こんな実戦に即座に適応出来る奴がいたら、是非お目に掛かりたいものである。幼馴染の莱香らいかなら……どうだろう。彼女の家は全国でも有名な剣道場で、莱香はその跡取り娘であった。或いは彼女なら、もう少しましな動きが出来たかも知れないが、今ここにいない人間の事を考えていても始まらない。


 何とか反撃の糸口を掴みたいが、素人の舜では、そもそもどれが隙なのかもよく解らない。闇雲に反撃すれば、それこそこちらが致命的な隙を作ってしまうだろう。そう思うと、怖くて中々反撃も出来なかった。結果、一方的に繰り出される攻撃を何とか躱し続けるだけに留まっていた。


 こちらから攻撃出来なければ、いつかはやられるだけだ。ジリ貧な状況に舜が焦っていると――唐突に変化は訪れた。


「くそ……! さっさと、倒されろ、よ……!」


 蜘蛛男もまた焦れていたのだろう。背中から生える四本の触腕とレイピアによる一斉攻撃がきた。5つもの凶器が舜を同時に襲う。


「うわっ!?」


 舜は慌てて後方に飛び退いて、攻撃を躱す事に成功した。すぐに追撃に備えるが、予想に反して蜘蛛男は追撃してこなかった。


 いぶかしむ舜の見ている前で、蜘蛛男は苦しげな呻き声と共に、身体を震わせていた。


(……? どうしたんだ? 何だか、調子が悪そうだぞ……?)


「くそ、くそ! 何なんだ、お前は!? 何故まだ強化魔法が切れない!? 一体どれだけの魔力を保有してるんだ!?」



 ……言われて気付いた。そういえば転送知識でも、強化魔法はかなり魔力の消費量が多く、余程上位の進化種でなければ長時間の継戦は不可能だった筈である。自覚は無かったが、舜自身はかなり魔力の保有量が多いようである。少なくとも目の前の蜘蛛男のようにへばりそうな気配は、今の所なかった。


(え……。て事は、こいつ、魔力切れって事か?)


 女性達はまだ動けないようなので、完全に魔力が枯渇した、という訳では無さそうだが、少なくとも強化魔法を発動させての戦闘は不可能のようだ。


「くそがぁ!」


 破れかぶれに蜘蛛男が襲いかかって来るが、先程までとは比較にならない程、遅い。いや、遅く感じた。軽々避けると、蜘蛛男は体勢を崩したまま、へばっていた。



(これ……攻撃のチャンス、なんだろうか……?)



「何をしている! さっさと攻撃しろ! 敵は隙だらけだろうが!」


 舜がまだ迷っていると、あの最初に目が合った茶髪の女性が、舜に攻撃を促してきた。その居丈高いたけだかな命令口調に、舜は思わずムッとしてしまう。


(何だよ。捕まってるくせに偉そうに……! 俺はあんた達を助ける為に来たんだぞ……!)


 反射的にそう思ったが、取り敢えず今はこの蜘蛛男を何とかしなくてはならない。攻撃しても大丈夫そうなので、今まで攻められていた鬱憤と、女戦士へのムカつきを併せて、腹に――顔は気持ち悪くて殴れない――思い切りパンチをお見舞いしてやった。


 ただのパンチではなく、強化魔法で極限まで強化されたパンチだ。逆に強化魔法の切れた蜘蛛男の無防備な腹に、強化鉄拳がクリーンヒットした。


「ぐぶぇぇっ!」


 口から気色悪い体液を撒き散らしながら、蜘蛛男が崩れ落ちる。止めに火球の魔法を発動させようとすると、蜘蛛男が手を上げて、降参のポーズを取ってきた。


「ま、待て、待ってくれ……! 解った、僕の負けだ! 大人しく退散するから、命だけは……!」


 その哀れっぽい声に、倉庫跡での松岡の命乞いを思い出して、思わず動きを止めてしまった舜。あの時は一種の興奮状態にあった。けど今は……? 命乞いする相手に一方的に止めを刺せる程、舜は非情ではなかった。


「っ! 馬鹿っ! 動きを止めるな!」


 茶髪の女戦士から警告が飛ぶが、それより一瞬早く、蜘蛛男が舜の首筋にその牙で噛み付いていた。


「っ!?」

 反射的に振り払って、距離を取った舜だが、すぐに異変に気付いた。頭が……手足の先から、強烈なしびれが襲ってきた。と同時に、息が苦しくなり、いくら息を吸っても、肺に酸素が取り込まれないような……呼吸困難に陥っていた。


「ふ、ふふ……止めを躊躇ちゅうちょするとは、とんだ甘ちゃんだね。お礼に僕の毒牙をプレゼントしてあげたよ。すぐに死ねるから、それまで苦しんでいると良いよ」


「お、おい!? しっかりしろ! 死ぬな、馬鹿者!」


 凄まじい苦しみと急速に薄れていく意識の中で、蜘蛛男の嘲笑う声と、女戦士の焦ったような声、対照的な二つの声が舜の耳に届いた。


(う、るさい、な……。甘ちゃん、だの……馬鹿だの……言いたい、放題……)


 舜は全力で転送知識を検索していたのだ。そして最適な魔法を見つける。


(解、毒……)


 薄れゆく意識の中で、必死に魔法をイメージする。効果は即座に現れた。舜の身体が一瞬発光したかと思うと、次の瞬間には、あれだけ舜を苦しめていた、体内を巡る毒は綺麗に浄化されていた。



「ふう……間に合った」


 何事もなかったように立ち上がる舜。蜘蛛男は――ついでに女戦士も――唖然としていた。思わぬ不覚を取ってしまったが、逆にこれで遠慮なくこいつを倒してやれる。舜は再び火球の魔法を発動させる。


「ま、待て! 今度こそ本当に退散するから……!」


 流石に舜もそこまで馬鹿ではない。こいつは生きて逃げれるチャンスを自ら潰したのだ。舜に魔法を止める気がないと解ると、蜘蛛男は囚えている女性達の下に走った。人質にでも取るつもりだろうが、そうはさせない。


 強化魔法の切れた蜘蛛男の走りは遅い。少なくとも舜には遅く見えた。これなら……問題なしだ。


「これで終わりだ!」


 舜が火球を放つと、それは真っ直ぐ蜘蛛男へと飛んでいった。蜘蛛男は結界を張る魔力も残っていなかったらしく、火球が直撃した。


「おごわあああぁぁぁっ!」


 周囲を巻き込まないよう範囲調節された火球は、正確に蜘蛛男だけを焼き尽くす。耳を覆いたくなるような断末魔を残し、蜘蛛男は跡形もなく消滅した。



 ――こうして、舜が〈イシュタール〉に降り立って、否応なく巻き込まれた初めての戦闘は、舜の勝利で無事、幕を閉じたのであった。




                 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ――ゾーマの魔力によって構成されていた糸のドームがゆっくりと崩壊していく。同時にレベッカ達を拘束していた粘着糸も崩れ落ち、消滅していった。皆、信じられないように、自由を取り戻した身体を確かめたり、付近にいた者と無事を喜び合っていた。


(た、助かったの、か……? し、信じられん。本当に、〈御使い〉だと言うのか……)


 レベッカもまた、久方ぶりに自由に動く身体を、不思議なものを見るように眺めた。実際に拘束されていた時間はそこまで長くはない筈だが、レベッカには永遠のように感じられていた。何も出来ずに、ただ見ているだけ、という状況は、自らの強さに自負を持っていたレベッカにとって、それだけ耐え難い状態であったのだ。


 気が抜けたように、地面に座り込む〈御使い〉の姿が目に入った。女達が歓声を上げて、〈御使い〉の元へ駆け付けていく。ヴァローナもその中に混じっていた。と言うより、率先して駆け出していた。


 ミリアリアが、レベッカに声を掛けてくる。彼女もまた、信じられない物を見るように、〈御使い〉を呆然と眺めていた。


「隊長……。私達、夢を見ているんじゃない、ですよね……?」


「ああ……。安心しろ。紛れもなく現実だ……」


「〈御使い〉……。本当に現れたんですね。正直、リズベット様が、ただ気休めを言われただけかと思っていました……」


「そうだな……。私も似たような物だ。だが、認めるしかあるまい」


「そうですね。ただ魔法を使っていたのは気になりますが、大丈夫でしょうか……? 魔法は、男の……悪しき力です」


「今は何とも言えん。少なくとも私達には判断できん……。リズベットに会わせよう。あいつなら〈御使い〉について、もっと色々な情報を持っている筈だからな」


「……そうですね。ではイナンナに? リューンの街はどうしますか?」


 レベッカは少し離れた位置にある、リューンの街を見やる。「境目」がこれだけ近くに来ているのであれば、もうここは危険地帯だ。住民をそのままにしておく訳には行かないだろう。


「……取り敢えず街の住民は、イナンナまで護送するしかあるまい。衛兵達も含めてな。幸か不幸か、住む場所も仕事も沢山余っている事だし、問題ないだろう……」


「……畏まりました。では私は一足先に街へ行って、住民達に事情を説明してきます。隊長は、〈御使い〉殿をお願いします。……一応、私達の命の恩人ですから、お礼は言っておくべきでしょうね」


レベッカも、もどかしさの余りつい暴言を吐いてしまった事を思い出した。


「済まん、助かる。こちらの事は任せておけ」

「……では」


 それだけ言うと、ミリアリアは作り出した「神機」にまたがって、リューンの街へ駆けて行った。それを見やってから、レベッカは〈御使い〉の方へと視線を戻した。と言っても、既に大勢の女達に囲まれて〈御使い〉の姿は見えなくなっていたが……。


(……さて、では〈御使い〉とのご対面と行くか。一体どのような人物なのか……正しく見極めねばな)


 そしてレベッカは、ヴァローナ達に揉みくちゃにされている、〈御使い〉の元へと歩いていった。


                 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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