第8話 御使い

 ――顔に風を感じた。あの幻想空間には風は吹いていなかった。フォーティアに突き飛ばされ、「ゲート」を潜ったしゅんは、その眩しさから思わず閉じていた目を、ゆっくりと開いた。


 ……蜘蛛くもがいた。それもそんじょそこらの蜘蛛ではない。胴体部分だけで舜の身長くらいありそうな、化け蜘蛛だ。しかも一体ではない。数える気にもならない程ウジャウジャと巨大蜘蛛が溢れかえっていた。



(うわあ! え、ええ……? 何これ、どういう状況……!?)



 焦った舜が思わず辺りを見回すと、ドーム状に張り巡らされた蜘蛛の巣のような物が目に入った。どうやらこの中に閉じ込められている状態、らしい。


 そしてそのドームの内側の壁に、並ぶようにして大勢の女性達がはりつけにされていた。その女性達の一部には見覚えがあった。正確には転送された知識の中にあったのだが。


(確か……聖女戦士隊アマゾーンだっけ? 神膜内に入り込んだ敵を撃退する精鋭部隊。でも、皆捕まっちゃってるみたいだけど……。これってもしかしなくても滅茶苦茶ヤバい状況なんじゃ……?)


 女戦士達は皆、呆然と舜の方を見ていた。その中の一人と目が合った。茶色い髪の長身の女戦士。


(この人知ってるぞ……。確か……)


 フォーティアから転送された知識の中にあった、重要人物の情報。その中の一人の筈だ。確か名前は……



 「やれやれ。何事かと思えば、女が一人現れただけか……。びっくりさせてくれるね、全く。何者か知らないけど、丁度いい。良く見れば結構可愛いし、君も僕の奴隷になって貰おうかな」


 舜の思考を遮るように、奇怪な声が聞こえた。言語は頭の中に入ってくると自動的に翻訳されるようだ。何を言っているのかは不思議と、はっきり理解できた。声のした方に目を向けると、そこに巨大蜘蛛よりも更に奇怪な生物がいた。


(……これがリアル・スパイダーマン? 気色悪! ……い、いや、そんな事考えてる場合じゃない! こいつが進化種プログレスって奴か。しかも流暢に喋ってるから〈貴族ノーブル〉って事で良いのかな……? それでこの巨大蜘蛛達が眷属……)


 フォーティアから転送された知識は、早速フル稼働状態であった。舜は刹那の間に、現在の状況を的確に認識していく。蜘蛛人間は女性達を捕まえてろくでもない事をしようとしていた最中らしく、舜にもその毒牙を向ける気満々のようだ。


 自分がこの世界、〈イシュタール〉で何が出来るようになっているのかは、転送知識が教えてくれていた。とは言え、準備期間も練習も何もない、ぶっつけ本番。本当に自分に出来るのか、正直不安だったが、そんな悠長な事を言っている余裕は無さそうだ。やらなければやられる。ならば――


(やるしかない……!)


 幸い、敵は異形かつ悪逆な怪物達であり、平和な世界に暮らしていた舜でも、良心の呵責なしに倒す事が出来そうではある。



「んんー? 何かやる気みたいだけど、武器も持ってない君に何が出来るのかなぁ?」



 蜘蛛男が舜を嘲笑うように、眷属の蜘蛛達をけしかけてきた。一番間近にいた数匹の蜘蛛が、舜に向けて襲いかかってくる。嫌いな人間にとっては、小さいものでもおぞましく感じる女郎蜘蛛が、人間より巨大な身体で素早く走り寄ってくるのだ。その精神的嫌悪感は相当な物で、舜は思わず目を閉じて、蜘蛛に向かって両手を突き出す。空気中を漂う〈魔素〉が、体内を循環するのを舜は確かに感じた。


(頭の中で……燃え盛る炎をイメージ!)


 この世界における『魔法』は、あくまで便宜上の呼び名であり、実際には魔素に具体的な形や指向性を与えて利用する為の、「技術」に過ぎない。魔素に親和性のある進化種――つまり男性であれば、程度の差こそあれ誰でも使える能力なのだ。


 転送知識の教えてくれた通りにすると、突き出した手の先に熱を感じた。目を開けると、舜の両手の先に、巨大な火の玉が形成されていた。業火のように燃え盛る火の玉はしかし、舜の手には僅かな熱しか感じられなかった。いかなる原理か『魔法』は、その使用者を傷付ける事は決して無いのだ。


(ほ、本当に出た……! 成功だ!)


「なっ……!? それは……魔法だと!?」


 蜘蛛男が驚愕の叫びを上げる。人間の女にしか見えない舜が発動させたのだから、驚くのも無理はない。しかし舜には敵がショックから立ち直る時間を与えてやる義理は無かった。


「いっけぇぇぇぇっ!」


 舜が両手を勢い良く振り下ろすと、火の玉は指向性を持って、前方の蜘蛛の群れに向かって発射され、轟音と共に炸裂した。

 前列にいた蜘蛛は火の玉に触れるや否や、一瞬で焼き尽くされ、火の玉は勢いを弱める事なく、蜘蛛が密集している中央付近で爆発。中心部とその周辺に居た蜘蛛達は炸裂した爆炎に巻き込まれ、やはり一瞬で黒焦げとなった。



(す、すごい……。まるで爆弾でも投げつけたみたいになってる……)



 自分がやった事ながら、予想以上の威力に、舜自身が呆然としてしまう。「爆心地」は焼け野原のように、草が燃やし尽くされ、地肌が露出していた。今の一発でウジャウジャいた蜘蛛の半分以上が消し飛んでしまった。


(女の人達を巻き込まなくて良かった……。威力や範囲の調節は必要だよね……。でも、まずはここを切り抜けないと)

 


「な……な……何だ、その威力は!? あり得ない! 何故劣等種である女が魔法を使える!?」



 蜘蛛男がわめいている。奴自身は、蜘蛛軍団の後方にいた為、被害をまぬがれたようだ。


(女じゃないよ! それに何が劣等種だ。お前らのその姿の方がよっぽど気持ち悪い、下等っぽい姿だろ!)


「くそっ! 全方位から掛かれ!」


 蜘蛛男の指示で、残った眷属達が散開し、広範囲から一斉に攻め寄せてくる。先程の火球を放ったとしても、広範囲に散らばった敵を一発で殲滅するのは不可能。その間に残った眷属が、舜の下に到達出来ればいい、という作戦のようだ。


(広範囲に攻撃できる魔法は……これか!)


 舜は素早く転送知識の中から、最適な魔法を選択する。先程の経験から、囚われている女性達を巻き込まないように、慎重に頭の中で効果範囲をイメージする。


(狭い範囲での、氷の……嵐を、イメージ……)


 舜が頭上に掲げた手の中に、先程とは真逆の冷気を感じる。上空に巨大な真っ白い球体が浮かんでいた。その球体の中で猛吹雪が荒れ狂っているのを感じる。魔法が完成した事を悟った舜は、殺到する眷属達に向かって、薙ぎ払うように横一線に手を振るった。



 ――舜の視界が真っ白に染まった。そして視界が晴れた時、そこにあったのは、数十体の蜘蛛の氷の彫像であった。そして次の瞬間には、全ての彫像が粉々に砕け散った。一瞬、女性達を巻き込んでしまったかと心配した舜だが、どうやら範囲の調節は上手く行ったようで、女性達には全く被害は無かった。


 これで敵の眷属は全滅させた。残るは蜘蛛男だけだ。蜘蛛男は目の前の現実を認められないようで、激しい癇癪かんしゃくを起こしていた。



「ふざけるな! ふざけるなぁ! 何なんだ、お前は!? こんな事がある筈ない! こんな……女が、僕以上の魔力を持っているなんて……絶対に認めないぞ!」



 蜘蛛男の手に、放電現象のような物が発生する。あれは……確か、電撃の魔法。初速が速く、回避は非常に困難な魔法だ。ならば――


(自分の周囲……バリヤーを張る、イメージ……)


 結界の魔法。幻想空間でフォーティアも使っていたアレだ。まあフォーティアが使っていたのは神術なので、厳密には魔法では無いのだが、イメージは同じだ。


 魔法はイメージに指向性を持たせる「技術」ではあるが、イメージすれば何でも出来る訳ではない。使える魔法の種類や系統などは厳然と定められていた。そう、まるで何者かの意思が介在しているかのように……。


 舜はあくまで、転送知識の中から最適な魔法を選択しているのであった。


 蜘蛛男の手から電撃がほとばしる。指向性を持った雷は、光の速度で舜に回避の暇も与えずに炸裂する。固唾を呑んで見守っていた女達から悲鳴が上がる。しかし――


「ば、馬鹿な……。僕の魔法を……」


 舜は無事であった。その周囲を半透明の膜のような物が覆っていた。電撃が来る前に展開が間に合った結界の魔法は、傷一つ無く舜を保護していたのだ。女達から今度は歓声が上がる。


「ぬぅわあああぁっ!」


 奇声を上げながら、蜘蛛男が突っ込んできた。手にはいつの間に作り出したのか、魔力の武器――レイピアのような刺突剣――を握っていた。遠距離が駄目なら、近接戦闘で、と言う事だろう。


 牽制の火球を数発放つと、その後に追随するように、凄まじい速度で突進してきた。尋常な速度ではない。恐らく身体強化の魔法を併用しているのだろう。


(近接戦闘! 俺に……出来るのか!?)


 地球では、戦った経験なんて、あの自殺直前の乱闘くらいだ。つまりは素人である。だがやはり悠長に考えている暇は無かった。舜は、自身も身体強化の魔法を発動させて、蜘蛛男を迎え撃った――

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