第7話 強襲の毒蜘蛛

 最後の進化種プログレスが斃れた事で、残っていた眷属も全て消滅した。今ここにリューンの街を巡る攻防は、人間の――つまり女性の――勝利で幕を降ろしたのであった。



 レベッカは今度こそ肩の力を抜き、戦闘態勢を解いた。と同時に今までの疲労が一気に押し寄せたかのように、今度こそ膝をついてしまった。



「隊長、ホントにお疲れ様でした! 負傷者や被害状況の確認は私とミリアでやっておくので、隊長はゆっくり休んでて下さい」


 ヴァローナがそう声を掛けて、兵士達の方へ歩いていった。本来ならそれも隊長たる自分の役目だが、流石に疲労困憊が過ぎたので、ここはお言葉に甘えさせて貰う事にする。



 ぼんやりと部下達の様子を確認すると、皆自分と似たような状況で、疲労と緊張の反動による虚脱で、へたり込んでいる者が殆どであった。勝利の雄叫びを上げる元気すら無いようだった。



 部隊の状況を大雑把にだが確認し終えたミリアリアが報告に来る。



「ほぼ全員が負傷していますが、幸い死者は出ていません。……隊長が〈商人〉を一手に引き受けてくれたお陰です」


「そうか……。それは何よりだった。それと何度も言うが、お前達の、いや皆の働きがあればこその戦果だ。それを忘れるなよ?」


「隊長……」



 〈市民〉相手に歯が立たず、結局レベッカに助けられた事を気に病んでいる様子だった。レベッカの言葉は偽りない本心であったが、本人がどうしても納得出来ないのだろう。ミリアリアはこれで結構プライドが高い。ヴァローナなどは、生き残れれば何でも良いというスタンスなので、気にしている様子は無い。



「……不甲斐なく思うなら、今以上の努力をして結果を出せ。結局強くなるしか解決策は無いぞ」


「……っ! 解り……ました。必ず……もっと強くなって見せます!」


「ふ……その意気だ」



 レベッカ達を含め、兵士達もようやく気力が戻ってきた所に、リューンの街の衛兵達が歓声を上げて駆け寄ってきた。聖女戦士隊アマゾーンは、今回のような襲撃を受けている街や村の救援が専らの任務なので、衛兵達からの人気は非常に高かった。今回も例に漏れず、無事街やそれを守る衛兵達を救援できた為、その熱狂ぶりも一入ひとしおであった。


 悪い気はしない。任務を成功させたという実感が一番得られる瞬間だ。兵士達も嬉しそうに、衛兵達と勝利を喜び合っていた。

 あの激闘の後なのだ。もう少しくらいは自分達が守り通したこの幸せにひたっていても許されるだろう……そんな事を思ったその瞬間であった――




「ふっふっふ……。中々良い見世物だったね」




 パチパチパチと乾いた拍手の音と共に、声が……耳障りだが、流暢な『男』の声が聞こえてきた。それ程大きな声では無いはずなのに、不思議とその声は、その場にいる全ての女達の耳にはっきりと届いていた。


 レベッカを含めた全員が弾かれたように声のした方向を見上げた・・・・。100人以上の女達に均等に聞こえてきた声……。そう、その声は上空・・から発せられたのであった。




 ――そこに一匹の巨大な蜘蛛くもがいた。いや、正確には蜘蛛ではなく女郎蜘蛛と人間を掛け合わせたような怪物――つまりは進化種であった。



 一体いつからそこに居たのか……。蜘蛛人はまるで逆さまの姿勢で空中へ浮かんでいるかに見えたが、実際には細い糸のような物にぶら下がっているようだった。


(新手だと……!? いつの間に!?)


 レベッカや部下達は動ける者から即座に臨戦態勢を取るが、衛兵達は呆けたように蜘蛛人を見上げたままだった。先程までの勝利の余韻からの急な切り替えが上手く出来ていないようだ。衛兵は本職の戦士ではないので、無理もない事と言えた。


(それに先程の流暢な声……。〈市民〉は言語能力が低い。しかも私やミリアリアにも気取られずにこの距離まで……!? まさか……いや、あり得ん!)


 レベッカの中で猛烈に悪い予感が広がっていく。だがあり得ないと、それを打ち消そうとする。何故なら「そいつら」は神膜内では生存出来ない筈なのだから……。



「察しはついてると思うけど、一応自己紹介しておこうかな。ラークシャサ王国、〈男爵〉ゾーマだよ。君達皆、僕の奴隷に決定したから」



 ――最悪の予想はあっさりと肯定された。ラークシャサ王国とは進化種の一種、節足種インセクティアンが支配する蟲の王国。そして〈男爵〉という事は、つまりこいつは……。


「光栄に思ってよね。栄えある貴族ノーブルの一員であるこの僕が、わざわざ君達劣等種を相手してあげるんだからさ」



 ――〈貴族ノーブル〉、それは文字通り進化種の貴族、つまり支配階級であった。より強い者が弱い者を支配する進化種の社会において、支配階級の一員であるという事は――少なくとも先程まで死闘を演じていた〈市民〉や〈商人〉より遥かに強いという事。




「な、何故だ……? 〈貴族〉は神膜内には入って来れない筈……!」



 上位の進化種ほど、神気は猛毒となり、〈貴族〉以上の進化種は神膜内に入っただけで、呼吸困難になり死に至る。この特性があるが故に、この7年間、クィンダムの平穏は保たれてきたと言っても過言ではない。


 喘ぐようにかすれた声を上げるレベッカを、馬鹿にしたように蜘蛛人――ゾーマが嘲笑する。


「『ここ』が神膜内だって? よく見てご覧よ! ここはもう『境目』なんだよ! 君達の言う『神膜』が徐々に後退して来ているのに気が付いて無かったのかい?」


「……!」

 確かにその傾向はあった。レベッカも危惧していた。しかしまさかここまで進行しているとは思いもしなかった。「境目」は人間、進化種のどちらもが違和感なく入れる領域。その為に気付くのが遅れた。




「総員退避ぃ! リューンの街まで戻れぇ!」


 〈男爵〉は〈貴族〉の中では最下級だが、それですら万全の態勢で挑んでようやく戦える、というレベルの相手だ。少なくとも今の消耗し切った状態では万に一つも勝ち目はない。



 レベッカの号令に、女達全員が我に返ったように、一目散に街に向かって駆け出した。流石に街にまで「境目」が及んでいるとは思えない。神膜内にさえ退避出来れば……!



「ああ、駄目駄目。そっちは行き止まりだよ。と言うか、ここら一帯全部だけどね」

「なっ……!?」



 街へ向かって走り出した女達が一斉に足を止める。否、止めさせられた。レベッカ含め全員の身体に、強靭な粘着性の糸のようなものが絡み付いていたのだ。そこで初めてレベッカは気付いた。自分達を取り囲むように、ドーム状に同じ糸が張り巡らされていた事に。ゾーマはその天辺からぶら下がっていたのだ。支えもなしにドーム状に展開する粘着糸。自然では決してありえない現象。それを可能にするのは――



「ふふふ……僕の魔力を込めた糸は気に入ってくれたかな? どれだけもがいた所で無駄だよ。君達の力じゃ絶対に切れない」


「くっ! ならば……!」


 レベッカが神気を込めた剣を振り下ろす。しかし糸は切れるどころか、まるで生きているように剣にまで絡み付いて、完全に動きを封じられてしまった。


「切れないって言ったろ? さて、それじゃ僕が見やすいように並んでくれるかな?」




「な、何……!? く、これは……!?」


 手足に絡み付いた糸が、凄まじい力でうごめき、女達をその意思とは無関係に移動させていく。


 やがてレベッカを含めた女達は全員、半円状のドームの内壁を背にするように、同じく半円に沿って、ドームの中央――即ちゾーマの方を向くようにして並ばされた。ご丁寧に全員、ドームの内壁に両手両足を大きく開いた、無防備なはりつけの姿勢にさせられた。



 ドームはかなり広く、100人以上の女達が磔になっても、まだ半分近くのスペースが余っていた。


「んんー! 良いねぇ! 最高の眺めだよ! あいつらを囮に使って罠を張り巡らせた甲斐があったよ」


 地面に降り立ち、余裕の態度で愉悦に浸るゾーマと対照的に、女達は磔の姿勢のまま、必死の形相で足掻あがいていた。



 勿論レベッカもヴァローナ達も必死にもがいたが、魔力の糸を解ける筈もなく、無駄な抵抗を嘲笑うかのように、粘着質の糸は女達の剥き出しの素肌の上を這い回った。レベッカは鳥肌の立つような怖気に歯を食いしばって耐える。



「た、隊長ぉ……!」


 ヴァローナが泣きそうな顔と声で、レベッカの方を見やる。隊長たる自分がここで取り乱す訳には行かない。


「大丈夫だ。今は体力を温存しておくんだ。私が……必ず、何とかしてみせる……!」


 ヴァローナが泣き笑いのような表情を作る。解っているのだ、彼女にも。今の状況が絶望的であるという事が。しかしそれが解っていても、レベッカは諦める訳には行かなかった。必死に神気を練り上げ、糸を引き千切ろうとするが、剣で切れなかった物が自らの力のみで切れる筈がない。神術は魔法と違って、身体能力を向上させるような攻撃的な運用は出来ないのだ。



「あははは! 涙ぐましい努力だねぇ? それじゃあ、もっと絶望させてあげようかな」


 ゾーマが指を鳴らすと、ドームの内側に巨大な女郎蜘蛛のような姿の眷属が召喚された。その数……ざっと50体。〈貴族〉級になると、たった1人でこれだけの眷属を召喚出来るのだ。そしてそれは……磔にされ、抵抗はおろか、動く事さえ出来ない女達を絶望の底へ突き落とすのに、充分過ぎる光景であった。


「あ……あ……」


 さしものレベッカも思わず呆然とした声を漏らしてしまう。そしてそれはすぐに他の女達にも伝播でんぱしてしまった。すすり泣きや、助けを求める声が、あちこちから聞こえてきた。



「ふふふ……思った通り良い反応だねぇ。こいつらは麻痺毒を持ってるから、全員麻痺させてから、纏めて連れ帰らせて貰うよ。」



 ゾーマの合図と共に、おぞましい巨大蜘蛛達が迫ってきた。女達は、恥も外聞もなく、泣き叫びながら必死で身をよじって逃れようとする。しかし……動けない。身体を拘束する粘着糸が僅かに振動するのみであった。迫る巨大な怪物の前に、為す術もなく無防備に手足を広げ、その身をさらす女達。レベッカの前にもおぞましい牙が迫っていた。



(馬鹿な……。こんな……こんな事で終わってしまうのか……? そ、そんな……嫌だ! 嫌だ、死にたくない……! 助けて……誰か!)



 余りにも絶望的な状況に、遂にレベッカの心が折れる。卓越した強さと、鋼の自制心で、自らが仲間を守ってきたと自負してきた女戦士の心は今、もろくも崩れ去り、彼女は初めて心の底から他者に助けを求めたのであった。


 それは具体的に誰かに助けを求める類のものではなかった。ただ、この絶望の中、何か縋る物を求めて、無意識に発せられた心の叫びだった。



 ――しかし、その叫びは確かに聞き届けられた。



「あははは…………は?」


 汚らわしい男の、おぞましい哄笑こうしょうが、尻すぼみに小さくなる。と同時に、今にも女達に触れんばかりだった、巨大蜘蛛達の動きも止まっていた。思わず目をつむっていたレベッカは、いつまで経ってもやって来ない暴威にいぶかしんだように、恐る恐る目を開けた。そしてすぐに「異変」に気付いた。



「あ……何、だ……これは?」




 ――ドーム内に光が満ち溢れていた。




 ドームの頂上付近……丁度最初にゾーマがぶら下がっていた辺りに、「穴」が開いていた。光はその「穴」から漏れ出ているようであった。穴は上空から真下に向かって口を開けていたが、それはまさしく「穴」……いや、その先に光を内包した「ゲート」であった。


 光は上空から、ドーム内の全ての存在、ゾーマもその眷属達も、そして囚われた女達も平等に照らしていた。レベッカやゾーマも含めた全員が、呆気に取られたように、その「ゲート」を見上げていた。


 全員が見守る中、「ゲート」からゆっくりと、何かが落ちてきた・・・・・。その何かはゆっくりと地面に着地・・すると、閉じていた目を見開き、それから慌てたように周囲を見渡した。


 そう、それは人間……それもレベッカが見た事も無いような服を着た、1人の人間であった。




(な……何だ、これは? 人間、だと……? 何だあの服は? それにこの光、これではまるで……)



「……『御使い』……」



 隣にいたヴァローナが呆然と呟くのが耳に入った。そう、これではまるで……



(『御使い』……? ま、まさか本当に? だが……『御使い』とはなのでは無かったか……?)



 ――そこに居たのは、見慣れない服を着た、どう見ても「少女にしか見えない」人間であった……。


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