第39話 エレン、実家に帰る(後編)

 話がひと段落ついて、部屋から出ていく直前に、爺さんに呼び止められた。


「どうかこれからも、アリエッタと仲良くしてやってほしい」


 爺さんは、初対面のときとは別人みたいな、優しい顔をしていた。


「アリエッタは、あまり友達が多くなくてな。剣術の稽古ばかりで、同年代とは話題も合わないのだろう……だから、キミのような子が傍にいてくれたら、あの子も喜ぶと思うのだ」


「……はあ」


 曖昧な返事を返す。


「喜び……ますかね、あいつ。俺、あんまり好かれていないと思うんですけど」


 最初からずっとツンツンした態度を取られているし、たぶん試合のことも根に持たれていると思うし。

 俺としては、今回のことでアリエッタをだいぶ好きになったから、むしろ友達になりたいくらいなんだけど。

 向こうが俺のことを嫌いなら、それはもうどうしようもない。


「好かれていない? まさか、そんなことがあるものか。あの子は昨夜も、キミがどんなに格好よかったかという話ばかり――」


「え?」


「……いや、やめておこう。私の口から伝えるべきことではないだろうからな」


 ふふっ、と爺さんは柔らかい笑みを漏らした。


 ……その笑顔を見ていて、ようやく気付いた。

 この人、ずっとぶすっとした顔をしていたのは、別に怒っていたわけじゃなかったんだ。

 ただ、感情があんまり表に出てこないタイプってだけで。

 だからたぶん、よく誤解されたりする。

 

 つまり、エレンと一緒なんだ。


「まあ、無理にとは言わないが、考えておいてくれ。あの子は少しばかり気が強いが、根は素直な良い子だから、友達になればきっと楽しいと思うぞ」


「……ああ、はい。確かに、それは俺もそう思います」


「だろう? とにかく純粋な子なんだ、アリエッタは」


「…………めっちゃ好きなんですね、アリエッタのこと」


 急に声を弾ませて、早口で語り出した爺さんに、俺は若干戸惑いつつ相槌を打った。

 すると爺さんは、さらに気を良くしたみたいで、


「当たり前だろう……溺愛しているよ。あれは、神が私の元に遣わせてくれた天使だからな」


「て、天使?」


「あの可愛らしい頭を撫でていると、どんな我儘でも聞いてやりたくなってしまう。何でも買い与えたくなる――まあ、あの子は我儘など滅多に言わないのだが。そこがまた愛おしい。とにかく、可愛過ぎるのだ……」


「…………」


 俺はアリエッタの口元のソースの件を思い出していた。

 考えてみたら、この爺さんはあれについては一つも注意してないってことなんだよな。


 元気いっぱいに料理を頬張るアリエッタと、それをニコニコと見守る爺さん……そんな光景が頭に浮かんだ。

 完全に、孫を甘やかすおじいちゃんの図だ。


「……父上も、この12年で随分と変わられたのですね」


 エレンが引きつった笑みを浮かべながらそんなことを言う。

 でも、やっぱり似た者親子だ――今の爺さんの表情は、俺と添い寝したときのエレンの笑顔とそっくりだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ねえ、ちょっと」


 屋敷から出るとき、今度はアリエッタが呼び止めてきた。

 相変わらずつっけんどんな、喧嘩売るときみたいな声の掛け方だ。


「あんた、春からはフェザーニクス学院の中等部に通うんでしょう?」


「…………?」


 でしょう? って言われても、そのフェザーなんたら学院が初耳だった。

 すぐに隣に視線を送る。

 するとエレンは、軽く俺に頷いてみせてから、


「ああ、そうだ。この春休みが空けたら、フェリクスはその学校に進学することが決まっていたんだったな。隣町にある、この辺りでは一番有名な学校だ」


「……へぇ」


 驚いて声が出る。

 この世界、学校とかそういう機関もちゃんとあるのか。

 朝から晩まで剣術の稽古をさせられているのかと思っていた。


「へぇ、って何よそれ。あんたが通う学校でしょ? ――ちなみに、私もフェザーニクスだから」


「え?」


「だから、春から私たち、同級生になるってこと……変な偶然もあったものよね」


 不本意極まりない、という表情を作って、アリエッタはそっぽを向いていた。


「そうか、アリエッタちゃんもフェザーニクスなのか。それはいい――あそこではウチのイヴリンも、教師として勤めているからな」


「え? あの人って、先生なのか?」


「ああ。結構生徒からの人気が高いらしい」


 ……女教師姿のイヴリンを想像して、納得がいった。

 確かにそれっぽい。

 人に物を教えるのとか、得意そうだし。


「……でも、あそこの生徒は偉そうな金持ちの子供ばっかりって聞くし、あんたは馴染めないかもね。クラスで友達作れなくて、1人でお昼ご飯とか食べてそう」


「はあ? 何が言いたいんだよ?」


「別に? ただ、あんたとは知らない仲じゃないし、ちょっと可哀想だなって思っただけ……ま、まあ? どうしてもって言うなら? 特別にこの私が、友達になってあげなくないこともないけど……」


 アリエッタはぼそぼそと、意味の分からないことを呟いてくる。

 なぜか顔も赤くなっていて、恥ずかしそうに目を伏せていた。

 なんだこいつ……?


「……ていうか、お前は自分の心配をしろよ、アリエッタ。中学生にもなってそんな身だしなみがだらしないと、同級生から引かれるぞ」


「……はぁ!?」


 アリエッタはびっくりしたように俺を睨み付けてきた。


「な、なんですって!?」


「いや、ずっと言おうと思ってたんだけどさ……例えば昨日、お前スカートで顔拭いてて、たまたまハンカチ忘れたって言ってたけど、あれ嘘だろ?」


「……な、な、な」


「いつも手が濡れたときとか、服で拭いてるんだろ? じゃないと、スカートで涙を拭おうって発想がまず出てこないもんな……5歳くらいの小さい子じゃねーんだから、それは本当にやめた方がいいと思う」


「…………~~っ!」


 アリエッタは面白くなさそうに地団駄を踏んで、


「わ、悪かったわね! どうせ私はお子様よ! なによ! そんな感じ悪い言い方することないじゃ――」


「とにかく、身だしなみには気をつけろよ。せっかくそんなに可愛いのに、勿体ない」


「…………え?」


 鼻息を荒くしていたアリエッタが、途端に黙る。


「だから、お前の見た目の話だよ。すげー綺麗な顔してるのに、身だしなみが汚いせいで、あんまりそっちに目がいかないんだよ。俺も、お前が可愛いって気付くのに時間がかかったし」


「…………っ! は、はぁ!? あ、あ、あんた、いきなり何言ってんのよ!?」


「あ、別に変な意味はないからな? 単純に、客観的な事実として、お前を綺麗だって思うだけで……悪いこと言わないから、これからはちゃんとハンカチを持ち歩くようにしろよ。食べるときももう少し落ち着いて――」


 俺の言葉を、アリエッタは最後まで聞いてくれなかった。


「ば、馬鹿っ!」

 

 と吐き捨てるように言って、屋敷の方に走って行ってしまったからだ。

 ……? 

 褒めたつもりだったんだけど、何が気に入らなかったんだろう? 

 やっぱりあいつのことは、最後までよく分からなかった。


「……なるほど、キミも中々隅におけない男のようだな」


 こつん、となぜかエレンに頭を小突かれる。


「……? い、いきなり何するんだよ?」


「しかも自覚はなし、か。まあ、私は一向に構わないが、プリシラあたりに知られたら面倒だな。あいつは、『自分は過保護じゃないと思い込んでいる過保護』だから、実は暴走すると5人の中で一番歯止めが効かないんだよな……」


 そんなよく分からないやり取りをしたあと、俺たちは家に向かって歩き始めた。

 少し日が傾きかけていて、辺りはちょっと肌寒い。

 

「――それで、よかったのかよ? 流派を継いでほしいって話、断っちゃって」


 歩きながら、まず直近で気になっていることを訊いた。

 

「びっくりしたよ。まさか断る筈ないって思ってたから。せっかく、破門を取り消すって言ってくれたのに」


「……その言い方には、少し語弊があるな」


 エレンは正面を向いたままで答えてくる。


「ただ流派を継がないと言っただけで、道場への復帰自体はするつもりだぞ。許しをいただけたことだし、父上の身体の具合も心配だからな。久しぶりに、腑抜けの門下生どもをしごいてやるのも面白そうだ」


「…………」


「だって、私が継いでしまったら、アリエッタちゃんが可哀想だろう? あの子は大好きなお爺ちゃんを喜ばせようと、一生懸命頑張っているのに――だから私は、彼女が道場を背負えるような年になるまでの、『繋ぎ』の役目を果たしたいんだ。それが道場を出て行った私の、一番良い責任の取り方だろう」


 エレンの言葉は、さっき爺さんに答えた内容とまったく一緒のものだ。

 理屈として筋は通っていると思うし、実際この説明で爺さんは納得していた。

 でも、俺はどうしても納得できない。

 

 ――アイオライト流剣術を継ぐのは、この人の子供の頃からの夢だったんじゃないのか?

 そのためにずっと努力してきて……でも、俺を産んだせいで台無しになって。

 本当は、喉から手が出るくらいほしいものの筈なのに……どうして、『要らない』なんていうことができるんだろう?


「――キミの考えていることは分かるぞ」


 と、そこでエレンが立ち止まった。


「キミの思う通り、12年前は、確かに流派を継ぎたかったさ……でも、今はもうそこまででもない。だから断ったんだ。それだけの話さ」


 エレンは見透かしたような目で俺を見ていた。


「ところで、なんて呼べばいいんだ?」


「え?」


「キミの名前だよ……『フェリクス』以外にも、1つあるんだろう? 『ニホンジン』だったときの、キミの名前が」


「…………」


 俺も足を止めて、エレンに向き直る。


「いや、あるけど……呼びたいように呼んでくれたらいいよ。フェリクスでも、なんでも」


「そうか? それならフェリクスと呼ばせてもらおうかな。キミをそれ以外の名前で呼ぶのは、なんだか居心地が悪いから」


「……まあ、厳密にはフェリクスとは言えないんだけどな、俺」


「……? 何故だ?」


 エレンは不思議そうに首を傾げる。


「キミの説明によると――単純に、フェリクスとして過ごした日々を忘れているだけなんだろう? だったら、キミはフェリクスで間違いないじゃないか」


「…………い、いや、そうじゃなくてさ」


 いきなりそんな風に言い切られて、言葉に詰まってしまう。


「だからそれは、フェリクスになる前の俺の記憶が混じるわけだから、色々と違ってくるだろうし……っていうか、なんでそんなすんなり受け入れられるんだよ!?」


 急にエレンとこの話が始まってびっくりしていたけど、よく考えたらそこが一番おかしい。


「前世がどうだとか、転生がどうだとか……そんなの、突然言われてもさ。普通すぐには信じられないっていうか、もっと混乱するだろ? 俺がメチャクチャを言っているだけとか、思わないのかよ?」


「…………そんなことを言われてもな」


 エレンは困ったように、ぽりぽりと頭をかいて、


「まあ、なんとなくそうじゃないかと思っていたからな。今さら、そこまで驚きもないというか」


「……はあ?」


「あのな、フェリクス。キミは自分がどれだけ無茶な産まれ方をしたか、分かっているのか?」


 エレンは溜め息をついてから、とうとうと語り始めた。


「ある日突然、5人の処女が妊娠して、しかも産まれたものが1つに合体して赤ん坊になった。不思議なこともあるものだ。これから5人で、頑張って子供を育てていこう――なんて、そんな簡単に事実を受け入れられるほど、私たちの頭はお花畑じゃない。当然、あらゆる可能性を考えたさ。

 キミがこことは違う別の世界から来たのではないか、という可能性も、既に私たちの間で話し合われたことだ。根拠としては、その黒髪――」


 エレンの手が、俺の頭を軽く撫でてくる。


「それから、顔立ちだな。私たちとの誰とも似ていない。まるで、この世界の人間ではないみたいだ。もしその外見が、『ニホン』という異世界に固有のものだとするなら、筋が通る。まあ、これを最初に言い出したのはプリシラなんだが」


「…………っ、な、なんだよ、それ」


 俺は反射的に一歩後ろに下がって、エレンの手から逃れていた。


「顔立ちが似てないって……自分の言っている意味が分かってるのか? 俺はこの世界の人間じゃない――つまり、あんたたちの実の子供でもないってことなんだぞ?」


「ああ。だから別に、そんなことは大した問題じゃない」


 俺が何を言っても、エレンの平静は崩れない。


「言っただろう? あらゆる可能性を考えたと。その中には当然、最悪の予想もあった。例えば――突然私たちの目の前に現れたキミは、やはり突然何の前触れもなく、私たちの前からいなくなるかもしれない――とかな。もしそうなったら悪夢以外の何物でもない。だが可能性として存在する以上は、私たちも覚悟を決めるしかなかった。

 それに比べたら――前世の記憶がよみがえったとか、本当の親子ではないとか、屁のようなものだ。そんなの、私たちの誰も気にならない。むしろ、フェリクスがいなくなる可能性が消えてよかったと、ホッとしているくらいだよ」


「…………っ」


 凄い勢いで捲し立てられて、情報の処理が追い付かない。

 でも、一つだけ確かなことはある。

 俺を真っ直ぐに見据えるエレンの瞳には、微塵も嘘の色が浮かんでいないってことだ。


「フェリクス。キミは昨日、廃墟で私に全てのことを打ち明けたとき、こう言っていたな……気がかりな点が2つあって、それで今まで告白する勇気が持てなかったと。1つは、前世の記憶を取り戻した自分を私たちが受け入れてくれるかどうかという不安。2つめは、キミを妊娠したことで私たちの人生が狂ったことに対する申し訳なさ」


「……う、うん。そうだけど」


「1つめは今言った通りだ。『そんなことは私たちの誰も気にしない』――そして2つめに関してだが」


 エレンは言って、今まで歩いてきた方向――つまり、エレンの実家の方向に視線を向ける。


「言葉にしても伝わらないと思ったから、行動で示してみた」


「…………?」


「私は別に、アイオライト流剣術を継げなくなったことはどうでもよかったんだ……でも、父上と喧嘩したままでいるのは嫌だった。だから今、仲直りをしてきた。

 そもそも私が流派を継ぎたいと思ったのは、父上に褒めてほしかったからだ。要するに『お父さんっ子』なんだな、私は。アイオライト流剣術を守っていきたい、なんて殊勝な気持ち、元からなかったんだよ」


「……あの、よく意味が分からないんだけど」


「つまりなフェリクス。キミを産んだことで、確かに私たちに人生は変わってしまったのかもしれない。手に入る筈だったものを、失ってしまったのかもしれない。それは恐らく事実だし、今さら変えられることじゃないと思う。

 でもな――母さんたちは、それが本当に欲しいものなら、誰に言われずとも自力でそれを取り返すんだ。今日私が、父上と仲直りしてみせたようにな」


 エレンの手が、また俺の頭に伸びてきた。


「お母さんたちは大人だから、それくらい簡単に出来るんだよ。だから子供のキミは何も気にせず、好きに甘えてくればいい――それが2つめのキミの気がかりに対する、エレン母さんなりの答えだ」


「…………」


 頭に手を置かれて、俺は今度こそ逃げることができなかった。

 逃げようって気力が、根こそぎなくなってしまったって感じだ。


「……なんでだよ? なんで、そんな、優しいこと……っ」


 こんなのおかしい、って思う。

 だってエレンの言葉は、俺にとってあまりにも都合が良すぎる。

 こんな――馬鹿みたいに幸せな展開が、俺にあっていい筈がない。


「……さて。母さんは話終わったから、次はキミの番だぞ、フェリクス」


「…………俺の、番?」


「母さんたちは、どんなキミでも受け入れる……それを踏まえた上で訊かせてほしい。キミはこれから、どうしたい?」


「…………」


 エレンに尋ねられて、言葉に詰まった。


「…………俺は」


 俺は、大人っていう存在が恐ろしい。

 あいつらには、怖い思いばかりさせられてきた。

 前世では、どうやったら大人から自立できるだろうって、ずっと考えていた。


 この世界で目覚めたときも、最初に考えたのは、『どうやったらここから自立できるか?』だった。

 だから『フェリクス』の生き方をなぞって、独り立ちできる年になるまで、やり過ごそうと思った。

 結果的に、その試みはあっさり失敗してしまったわけだけど……同じ方向を目指すことは、今からでも不可能じゃない。


 俺には、5人から受け継いだ才能がある。

 昨日の『救世の光』じゃないけれど、それぞれの力を上手く使えば、日々の生活費を稼ぐなんて訳ない筈だ。

 俺はもう前世の無力なガキじゃない。

 誰の力も借りなくたって、1人で生きていける。


 だから、大人に守ってもらう必要なんて、まったくない。


「…………俺は、このままみんなと一緒に暮らしたい」


 だけど実際に俺の口から出たのは、そんな言葉だった。


「俺はみんなの本当の子供じゃないし、迷惑かけるだけかもしれないけど。それでも俺、あの家から離れたくない。エレンと、ディーネと、イヴリンと、プリシラと、スズと……みんなと、6人家族をずっと続けていきたいって思う」


「…………そうか」


 エレンは心底ホッとしたような顔をしていた。


「じゃあ、それを他の母さんたちにも伝えなくちゃな」


「…………うん」


 頷くしかなかった。

 一度でも口に出してしまったら、もう否定なんてできない。

 認めるしかない……俺はこのたった3日で、ものの見事に『ママっ子』になってしまったみたいだった。


 でも、不思議と悪い気分じゃない。

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