第38話 エレン、実家に帰る(中編)
初めて来た場所の筈なのに、既視感があるのは、エレンの記憶を覗いたことがあるからだと思う。
城みたいにデカい家だった。
俺たちの暮らしている家もかなり大きいと思うけど、その2.5倍くらいの広さはありそうだ。
剣術教えるだけでこんなに儲かるのかよって、ちょっとやるせない気分になる。
でも、だいぶ古くなっているからか――それとも、広さの割にあんまり人の気配がしないせいなのか分からないけど、なんとなくうらびれたような雰囲気があった。
「――先日は助けていただいて、本当にありがとうございました」
屋敷の玄関で、仰々しく挨拶してきたのは、似合わないドレスに身を包んだアリエッタだった。
「そんなにかしこまらなくていいよ、アリエッタちゃん。昨日はキミも大変だったろうに」
「……いえ、おかげさまで、私は無傷でしたから」
アリエッタは真面目な顔で言ってから――俺の方を向いて、申し訳なさそうに目を伏せた。
「フェリクス……くんも、ごめんなさい。私、昨日はあなたに助けられてばかりでした。この借りは、いつか必ず返しますね」
「……な、なんだよ、その気持ち悪い喋り方」
ぞくぞくっ、と寒気が走った。
こいつに敬語を使われるとか、悪い冗談でしかない。
「なっ! 気持ち悪いですって!? ひ、人がせっかく感謝の気持ちを伝えてるのに!」
「そうそう、それだ。その、舌っ足らずで頭悪そうな喋り方。変にキャラ作んなよな、びっくりするから」
「……っ! あ、あんたねぇ!」
ぷるぷるとアリエッタは両肩を震わせて、こっちを睨み付けてくる。
「ふふっ……私も、そっちの喋り方の方が好きだけどな。子供らしくて」
「……~~っ!? い、いえ、仮にもアイオライト流の跡取り候補が、お客様の前でそんな醜態をさらすわけにはいきませんので」
「そうか? まあ、流派を背負う重圧は私も分かるつもりだから、無理にとは言わないが――ところで、父上は?」
きょろきょろと周囲を見渡しながら、エレンが尋ねる。
「今日は父上に話したいことがあって、お邪魔させてもらったんだが……まさか、留守か?」
「あ、いえ……」
とそこで、アリエッタは言いよどむようにして、
「その……留守というわけではないんですが、体調を崩してしまっていて」
「……体調を崩した? あの父上が?」
「はい……最近、多いんですよ。特別に重い病気というわけではないんですけど」
「……なるほど。そういうことなら、日を改めた方がいいかな」
「――! あ、それは大丈夫です。さっき、エレン……さんたちがいらっしゃったってじいじに伝えたら、ぜひ部屋に通してほしいとのことだったので」
「……そうか? なら、お言葉に甘えようか――」
言い掛けて、エレンは違和感に気付いたみたいだった。
「……じいじ?」
「――あっ!?」
しまった、という顔を浮かべて、アリエッタは口元を抑えていた。
「ち、違うんです、今のは……」
「……キミはあの人のことを、じいじと呼んでいるのか?」
「いや、あの……家の中だけ、なんですけど」
やがて観念したみたいに、アリエッタはおずおずと打ち明ける。
「ちゃんと外では師範って呼んでますし、敬語も使ってます……本当に、人が見ていないときだけで」
「……マジかよ」
どう見てもじいじって感じじゃないだろ、あの爺さん。
「……っていうか、お前、あの爺さんと仲良くないんじゃなかったのか?」
「……え? めっちゃいいけど?」
アリエッタはきょとんとした顔で答えてくる。
「家族なんだから、当たり前でしょ?」
「……い、いやいや。レストランで初めて会ったときとか、お前、すごい怒られてただろ。俺との試合のあとも、あの爺さんに怒られるのが怖くて、あそこまで逃げてきたって言ってなかったか?」
「……別に、怒られるから仲が悪いってことにはならないでしょ。確かにじいじは外では厳しいけど、家ではめちゃくちゃ優しいし。試合に負けたときとか、一晩中慰めてくれるし」
「一晩中!?」
「だからこそ、負けたときに合わせる顔がないのよ……私の負けを、自分のことのように悔しがってくれるから」
「……にわかには信じがたいな。それは本当に、私の知っているあの人と同一人物なのか?」
衝撃を受けた様子で、エレンは目を見開いている。
「っていうか、フェリクスさ。あんまり他の奴に、私が師範のことじいじ呼びしていること、言わないでよね」
「……? なんでだ? 恥ずかしいからか?」
「違うわよ! 『私がじいじに贔屓されてる』みたいな噂が立ったら、マズいでしょ? 私は一応、道場の跡取り娘なのに」
「……なるほど、キミも苦労しているんだな。その年でそんな面倒事を背負い込まされて、さぞ窮屈だろう」
「……別に大したことないですよ。エレンさんだって、そうだったんでしょう?」
エレンの言葉に、アリエッタはちょっとムッとしたような顔をして、
「私は少しでも早く一人前になって、じいじに楽をさせてあげたいんです。そのためなら、多少のしんどさなんてぜんぜん気になりません」
「…………そうか」
エレンは感心したように息をついた。
「……キミは、あの人のことが大好きなんだな」
「……っ! は、はい、大好きですよっ!」
アリエッタはかああ、と赤くなってから、エレンを睨み返して言う。
「だ、だから私……エレンさんには負けません! いつか絶対、あなたを越えてみせますからっ!」
「……? ああ、楽しみにしているよ」
不思議そうな顔でエレンは答えた。
そういえば今気付いたけど、この2人が直接話すところを見るのって、初めてだ。
やっぱり雰囲気がどことなく似ていて、本当の姉妹が話しているのを見ているみたいだった。
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「――アリエッタは、お前に憧れている」
ごほっ、ごほっ、と咳き込みながら、爺さんは言ってくる。
「本人に、その自覚はないようだがな……あれにとってお前は、『そうなりたい』という理想そのものなのだ」
「理想……ですか? 私が?」
「剣の腕はもちろん……お前が私の実の娘であるということを、アリエッタは羨んでいるらしい」
俺たちは爺さんの部屋に通されていた。
家具がほとんど置かれていない、殺風景な部屋だ。
「養子である自分は、本当の娘であるエレンと同等以上の結果を残せなければ、この家で暮らす価値がないと思い込んでいるのだ。そんなことを気にする必要はないと、いつも言い聞かせているのだがな……ごほっ!」
「ち、父上! 大丈夫ですか?」
ベッドに寝たまま、上半身だけを起こして話している爺さんは、だいぶ具合が悪そうだった。
「げほっ、げほっ……くそ、情けないな。昨日、アリエッタが攫われたと聞いたときから、この様だ」
「……あの、やはり日を改めた方がいいのでは?」
「……そんなわけに行くか。本来は、こちらから出向かなくてはいけないくらいなのに」
爺さんはそう言って、エレンと俺に頭を下げてきた。
「……このたびは、私のアリエッタを救ってくれて、感謝の言葉もない。今日、あれの命があるのは、お前たちのおかげだ」
「そ、そんな、やめてください。私たちは、当然のことをしたまでで――」
「もちろん、出来る限りの謝礼はさせてもらう。こんな老いぼれにできることなら、なんでも言ってくれ」
「…………父上」
エレンはぎゅっ、と唇を噛んで、俯いた。
「……馬鹿なことを言わないでください。礼なんて結構です。私は今日、そんな話をしにこの家に帰ってきたのではありません」
「――はっ! では、なんだ? 私の弱りはてた姿を、あざ笑いにもで来たのか?」
爺さんはくたびれたような笑みを浮かべて、
「ご覧の通りだ。最近ではもう、剣を振ることすらできない、死にかけの老人だよ。自分を見限った父親の、こんな醜態を見られて、お前もさぞ気分がいいだろう」
「……っ! 父上、いい加減にしてください。私がそんなことを思っていると、本気で――」
少し言い合いみたいになったあと、2人は黙り込んでしまった。
部屋の中に、気まずい空気が流れる。
「…………っ」
エレンは下を向いて、必死に言葉を探しているみたいだった。
でも、なにも浮かんでこないらしい。
……さっき『仲直りすることにした』とか言ってたわりに、ノープランだったのかよ、この人。
まあ、会っていきなりこんな感じ悪い態度取られたら、誰でもこうなるだろうけど。
「…………」
と、俺も気まずくなって視線をキョロキョロさせていたら、ベッドの上の爺さんと目が合った。
「…………すまない。キミもいるのに、見苦しいところを見せてしまったな」
そして、謝られた。
「――っ!? え、あ、はい」
「アリエッタから聞いたが……キミが身を挺して、あの子を助けてくれたそうだな」
爺さんは意外にも、優しそうな顔で俺を見てきていた。
「先日レストランで会ったときは、私にあんな態度を取られて、面白くなかっただろう……それなのによく、アリエッタを見捨てないでいてくれた。あらためて、礼を言わせてくれ」
「……い、いや別に、大したことしてないですけどね」
なんとなく緊張して、返事が早口になってしまう。
これだけ年の離れた相手と喋ることなんて滅多にないし……それにこの爺さん、弱っててもやっぱり眼力とか凄いから。
「アリエッタが誘拐されたのは、そもそも俺のとばっちりだし。それに俺1人の力で、あいつを逃がしてやれた訳でもないんで」
「……しかしアリエッタは、キミに何度も命を救われたと言っていたが?」
「……それは俺も同じですよ。あいつが助けを呼びに行ってくれなかったら、俺は殺されてました。どっちのおかげっていうより、どっちも頑張ったから、2人とも助かったんだと思います」
建前ってわけじゃなく、これは俺の本心だった。
アリエッタが俺なんかを信用して、指示に従ってくれたから上手くいったんだ。
もし一緒に誘拐された相手があいつじゃなかったら、どうなっていたか分からない。
「…………なるほど」
爺さんは俺に対して、深く頷いてみせてから、
「――どうやら親としての資質は、私よりもお前の方が遥かに上のようだな、エレン。私には、こんな立派な子は育てられない」
「……え?」
言われて、エレンは弾かれたように顔を上げた。
「もちろん、アリエッタも彼に劣らない良い子だ。しかしあれは私にとって子供というより、孫のような存在だからな。純粋に『親』としてなら、私は無能もいいところだろう――そんな私に育てられたお前が、人の親など務まるのかと心配していたが、まったくの杞憂だったようだな」
「…………父上」
「剣術に関してもそうだ。昨日の試合を見させてもらったが、素晴らしかった。ウチのアリエッタと互角に斬り結べる剣士など、そうはいないだろうし……結果的に勝ちを収めてみせたのも見事だった。悔しいが、昨日に関してはこちらの完敗だ」
「……………っ」
エレンは真っ赤になって、目をぱちぱちさせていた。
「きゅ、急にどうしたのですか、父上? 父上が、人を褒めるなんて――」
「見たことがない、か? ……ふっ、確かにそうだな。思えば私がお前を褒めたことなど、一度もなかったかもしれない」
爺さんは力なく溜め息をついて、
「私は父親失格だ……母親を亡くして寂しい思いをしているお前に、剣を教える以外のことを何もしてやれなかった。それ以外にどういう接し方をすればいいのか、分からなかったのだ。もっとお前に愛情を注いでやるべきだったと、今さらのように後悔しているよ」
「……父上、あの、私は――」
「後悔というなら、12年前のこともそうだ」
エレンに二の句を継がせずに、爺さんは一方的に捲し立てる。
「私はあのとき、お前を突き離してしまった……お前の言葉が嘘でないということくらい、本当は分かっていたのにな」
「……え?」
「いくら親としての資質に欠ける私といえど、赤ん坊の頃からお前と暮らしてきたのだ。嘘を言っているかどうかくらい、目を見れば分かる。そもそもお前は保身のためにつまらない嘘をつくような人間ではないだろう――それなのに私は、事実を受け入れることができなかった」
ぎゅうう、と爺さんのしわがれた手が、毛布の端を握りしめる。
「怖かったのだ――だから拒絶した。仮にお前の言葉が真実ではなかったとしても同じことだ。まだ14歳の娘を冷たく世間に放り出すなど、親のやっていいことではなかった……私は最低の人間だ。これでは天国のあいつに――お前の母上に、とても顔向けできない」
「――っ」
エレンはそこで、堪えかねたように腰を浮かせて――爺さんの手を取った。
「…………もう、やめてください、お父さん」
「…………エレン?」
「それ以上、自分を責めるようなこと、言わないでください……お母さんも、そんなことは望んでいない筈です」
爺さんの目を真っ直ぐに見据えて、エレンは言う。
「確かに、12年前にあなたに拒絶されて、傷付かなかったと言えば嘘になります――それでも私がお父さんを嫌いになったことなんて、一度もありません」
「…………」
「私はお父さんのことを、世界で一番尊敬しています。もしもう一度生まれてくるとしても、お父さんの娘になりたい――だから『父親失格』なんて、そんな風に自分を蔑んだりしないでください」
「…………っ!」
爺さんは決まりが悪そうにそっぽを向いてしまう。
でも、エレンの手を払いのけるようなことはしなかった。
「……このゴツゴツとした手も、変わりませんね。剣術の稽古のとき、私に正しい剣の振り方を教えるために添えてくれた手と、まったく同じです」
「……よくもまあ、そんな昔のことを憶えているものだ」
「憶えていますよ。剣術の稽古だけが、私にとって大好きなお父さんと触れ合えるかけがえのない時間でしたから」
「…………ふん」
爺さんは小さく鼻を鳴らしてから、
「…………ところでエレン。この手を見る限り、日々の鍛練は欠かしていないようだな」
「……? ええ、まあ。身体が鈍らない程度には」
「そうか……ならば、道場に戻ってくる気はないか?」
そこで爺さんは、またエレンの方に視線を戻した。
「一度破門をしておいて、ムシのいい頼みと思われるかもしれないが……私はお前に、アイオライト流剣術の全てを委ねたいと思っている」
「……え?」
爺さんの言葉に、エレンは驚いたような声を上げる。
「私もこの通り年だ……才能だけならアリエッタは申し分ないが、まだ幼すぎる。アイオライトを背負えるだけの実力と人格を兼ね備えた人物となると、お前しかいない」
爺さんは真剣な目でエレンを見据えていた。
「アイオライト流剣術を継いでくれ、エレン。この通りだ」
「…………っ」
エレンはしばらく目を見開いたまま、何も言葉を返すことができなかった。
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