第37話 エレン、実家に帰る(前編)
その夜、夢の中にもう一度神様が出てきた。
「今日は随分と大変な目に遭ったようですね、××××」
例の真っ白な空間だった。
俺も神様の婆さんも、宙に浮くみたいにして向かい合っている。
「……本当にな。転生3日目で死にかけるなんて、悪い冗談だろ」
「それはこちらの台詞ですよ。せっかく転生させたのに、すぐに死にかけるような目に遭わないでください。2度目の人生を与えた甲斐がありません」
「そんなこと言うなら、あんたが助けてくれたらよかったんじゃないか。神様だろ?」
「私は、人間の営みについては極力干渉しない主義ですから」
俺のぼやきに、神様はつんとした言葉を返してくる。
「まあ、結局無事に生き残れたから、良かったけどな……で、何の用だ? あんた、もう二度と俺の前には出てこないんじゃなかったのか?」
「ええ、私もそのつもりでしたが、前回伝え忘れたことがありましてね」
「……伝え忘れたこと?」
「あなたと、5人の母親たちについてのことです」
神様はそこで、大きく息を吸い込んで、
「あなたはこちらの世界に来てから、鏡を見たことはありますか?」
「……鏡? ええと、あると思うけど」
「では何か、違和感を持ちませんでしたか? 自分の姿に」
「……? いや、特には変わらないけど――」
と、そこで俺は、神様の言葉の意味に気付いて、ハッとした。
「……よく考えたら、変だよな。今の外見に違和感がないのって」
だってこの姿は、俺のよく知っている日本人、××××のものだ。
転生したのに、外見が前世のままっていうのは、理屈に合わない。
「ええ、そうです……つまりね、××××。あなたは異世界転生をしたのではなく――異世界転移したのですよ。胎児に若返った状態でね」
「……なんだって?」
「5人の母親から産まれてくる――なんて、出来るわけがないでしょう。自然の摂理に反しています。いくら神とはいえ、世界にそれほどの矛盾を生じさせることはできません。だからこそ、あなたの願いを叶えるには、今の方法を取るしかありませんでした」
「…………」
「つまり、あの母親たちとあなたには、血の繋がりはない、ということです。彼女たちはただお腹が膨らんで、出産の痛みを経験し、あなたを産んだと思い込んでいるだけ」
「……じゃあ、俺の本当の母親は?」
「前の世界であなたを見捨てた、あの女性です。遺伝子的にはね」
…………あまりにも衝撃的な事実を告げられて、何も言えなくなる。
でも確かに、そもそも父親がいなくて母親が5人って前提には無茶があったように思う。
遺伝子的な問題とか、染色体の問題とか、色々出てくるし。
ファンタジーにそんな突っ込みは野暮なのかもしれないけど――これが異世界転移だっていうなら、すんなりと筋が通る。
「――で、あなたはどうするのですか?」
「え?」
考え込んでいたら、出し抜けに神様に尋ねられた。
「今言ったように、あなたと彼女たちの間に親子の繋がりはありません……それを踏まえた上で、あなたがどうしたいのかを訊いているんです」
「どうしたいか……?」
「それでもあなたは、フェリクスでいたいと思うのか。それとも、××××としての人生を選ぶのか――まあ、あなたは既にその答えを持っている筈ですけどね」
神様は言ってから、ぱちんと指を鳴らした。
「では、本当にこれきりです。2回目の人生を楽しんでください。くれぐれも早死にしないようにね」
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目が覚めた。
頭の両側から、何かむちむちしたものに挟まれるような圧迫感がある。
「……んー? なんだ、これ?」
寝惚け眼のままで、頭の周辺を確認する。
ハムみたいに柔らかいものに手が当たった。
すべすべした手触りで、指で撫でると押し返してくる。
「…………?」
本当になんなんだろう?
頭の右側と左側に、1本ずつあるみたいだけど。
「……んんっ」
と、頭の上から苦しそうな声が聞こえてきた。
目を開けて、声の方を見上げると、
「――っ!?」
飛び込んできたのは、女の人の股間だった。
「わあああ!?」
慌ててそこから脱出する。
俺の頭を挟み込んでいたのは、金髪のおねーさん――イヴリンの太ももだった。
「…………うわぁ」
仰向けに寝転がるイヴリンを見て、思わず声が漏れる。
ズボンは完全に脱げていてパンツ丸出し状態で、シャツの方も4分の3くらい上に捲れてしまっていた。
この人、寝相悪すぎだろ……そもそも枕の方向に足が向いているのもおかしいし。
「すう、すう……」
これでいびきでもかいていたら完全におっさんなんだけど、どういうわけか、寝息だけは大人しかった。
寝顔だけ切り取ると、おとぎ話に出てくる金髪の眠り姫みたいだ。
パンツ丸出しだから絶対にそんな風には見えないんだけど。
「……ああ、もう」
見かねて俺は、イヴリンにズボンを履かせてあげることにした。
足首のあたりまでずり落ちていたそれを、元の位置まで引っ張りあげていく。
「……それにしても、脚太いな、この人」
あんまり注目していなかったけど、こうして至近距離で見てみると、ちょっとした丸太みたいな太さだった。
そういえばイヴリンは普段から、ストッキングを履いていた気がする。
もしかして、コンプレックスなんだろうか?
別に気にすることないと思うけどな。
――くいっ、くいっ、と、横合いからシャツの袖を引っ張られる。
「……え?」
横を見ると、裾を引っ張っていたのは、眠そうに目蓋をこするスズだった。
「あ……おはよう」
「……おはよう」
スズは小さな声で言ってから、ぎゅっ、と俺の手を握りしめてくる。
「え? ちょ、ちょっと」
「……フェリクス、離れないで……お母さん、不安になるから」
手を繋いだまま、またスズは動かなくなった。
しばらくして、口元から寝息が聞こえ始める。
「ええ……? 寝ちゃったのかよ」
スズは昨日からずっとこんな調子だ。
誘拐事件が一件落着したあと、ズタボロになった俺の姿を見て、一番ショックを受けていたのがこの人だった。
もうディーネのおかげで傷は治ったんだけど、まだ不安らしい。
昨夜も、本来の添い寝当番はイヴリンだったのに、『今夜だけは私が一緒に寝る』って無理やり割り込んできたくらいだし。
「……フェリクス、ごめんね……お母さん、鬱陶しいよね」
と、スズの口元から寝言が聞こえてきた。
「スズ母さんも、いつか過保護を卒業するから……だから今だけは、あなたの体温を感じさせて……」
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「あまりスズを鬱陶しがらないでやってくれ。あれにも、事情があるんだ」
町の通りを歩きながら、エレンがそんなことを言ってきた。
「事情? あの人が過保護なのって、元からじゃないのか?」
「違う。確かに最初からその傾向はあったんだが……今ほどになったのは、10年前の事件がきっかけだ」
日が一番高い時間帯だった。
通りは大勢の人で賑わっている。
ちょうど、初日にエレンたちから逃げ出したときに辿り着いたのと同じ場所だ。
俺はエレンと2人、その通りの端を歩いていた。
「……スズの実家が、暗殺を生業とする一族だった、という話は分かるか? 昨日、キミを誘拐した一味の中にも、その一族の人間がいたんだが」
「分かるよ。あの黒ずくめの、なんか不気味な奴らだろ?」
「そうだ。スズは一族の、首領の孫娘でな。ありとあらゆる暗殺技術の英才教育を受けていて、いずれ一族を受け継ぐ筈だったんだが――キミの件で首領と揉めたらしい。そして、一族を裏切った」
「……昨日の奴らも、そんなこと言ってたな。裏切り者は許さない、とかなんとか」
「実際、すぐに追っ手が差し向けられたよ。スズだけでなく、キミや、私たち全員に対してな。もちろん私たちは一致団結して、刺客が来るたびにそれを返り討ちにした。やがてそれを繰り返すうちに、一族と全面戦争するまで事態が大きくなって――まあ、その戦い自体には私たちが勝利したんだが」
「勝ったのかよ……」
「ただ、簡単な戦いでなかったことは確かだった。それこそ、昨日よりもな。結果的に6人とも無事だっただけで、ほんの少しでもボタンを掛け違えていれば、誰か死んでいてもおかしくなかった……そしてスズは、そのことをひどく気に病んでいる」
エレンは溜め息をついて、
「スズのせいではない、と私たちは何回も言い聞かせているんだけどな。スズは、自分のせいで他のみんなを危険に巻き込んだ、と思い込んでいるらしい」
「……だから、俺に対してはどうしても過保護になるって?」
「ああ、意外に繊細な奴だからな、スズは――とはいえ本人も、ずっとこのままではいけないと考えているみたいだが。度を越した過保護は、キミのためにならないって」
……俺は朝方のスズの寝言を思い出す。
確かに、『もう過保護を卒業するから』みたいなことを言っていた気がする。
「私は、今のスズを好ましく思うがな。出会った頃の彼女からは、およそ人の温もりというものを感じることができなかった。キミが転びそうになるたび顔を青くしてオロオロする彼女の方が、ずっと可愛らしいよ」
「…………」
俺はそこで足を止めた。
「……? どうした?」
びっくりしたようにエレンがこっちを振り向いてくる。
「お腹でも痛いのか?」
「いい加減訊きたいんだけど……俺たち、どこに向かってるんだ?」
「…………」
「それに昨日のことも。俺、まだ何も答えてもらってない」
――昨日、あの廃墟の一室で、俺はエレンに全部を打ち明けた。
全身傷だらけで、脳に酸素が行き渡ってなくて、しどろもどろだったけど……それでも、伝えるべきことは伝えられた筈だ。
ただ、最後まで話し終えたあと、俺はガス欠を起こして気絶してしまった――エレンの返事を訊く前に。
エレンとはそれきり、話の続きができていない。
「……やっぱり、信じてもらえないか? 俺が別の世界から来た人間、なんて言っても」
その可能性は高いと思った。
だって、俺が自分の言葉を真実だと証明する方法は、何一つないから。
命の危機に瀕した俺が、混乱からデタラメなことを言ったんだと判断されても、何も不思議じゃない。
「――いや、信じたぞ」
「え?」
「ニホン、とかいう場所から来たんだろう、キミは。あれだけ丁寧に説明されたら、いくら私でも理解できるさ」
エレンは平然とした顔で答えてくる。
「ただ、その話の続きをするのは、もう少しだけ待ってほしいんだ。先に、私の用事を済ませておきたい」
「……用事?」
「それをしないことには、キミに対して胸を張って返事が出来そうにないからな」
エレンは、ずっと向こうの山間に見える、大きな木造の建物を指差した。
「あれが目的地だ――アイオライト流剣術道場。私の実家だな」
「…………は?」
「12年も帰っていなかったから、懐かしいよ」
エレンは言って、俺に笑いかけてきた。
「私は今日、父と仲直りすることにしたんだ。キミにも、ついてきてほしい」
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