第36話 大人と子供(後編)
やっぱり、俺は夢を見ているんだろうか?
だってこんな、都合のいい展開ある筈ない――殺されかけた直前に、誰かが助けにきてくれるなんて。
前に殺されたときは、誰も助けてくれなかったのに。
「――大人しく投降するなら許してやる、とは、もう言わない」
ラクセルを押しのけてから、エレンは俺に背中を向けるようにして、間に立った。
「貴様には気の毒な話だが……例え今すぐに剣を捨てて、跪いて許しを乞うたとしても、私は貴様を許さない。フェリクスをこんなにした報いは、きっちりと受けてもらう」
「……はっ! なんだてめぇ、粋がったことを言いやがって」
ラクセルは、突然のエレンの登場に最初は驚いたみたいだったけど、今はもう余裕を取り戻している。
「田舎剣術を習ったくらいで、強いつもりか? 女風情が、俺に勝てるわけがねぇだろう」
殺意に満ちた表情を浮かべて、ラクセルは剣を振りかざした。
「お前だけは、できれば傷をつけたくなかったんだけどな。仕方ねぇ。最悪、肝心な部分だけ無事なら、どうとでもなるだろ」
「…………」
対して、エレンも無言で剣を構える。
こっちも真剣だった。
透き通るような、蒼色の剣だ。
……考えてみれば、エレンが戦うところって、初めて見る。
「まあ、大怪我しない内にとっとと降参することだな――おらっ!」
先に動いたのはラクセルだった。
右横から、エレンの太ももにめがけて剣を薙ぎ払ってくる。
動きを封じるつもりだ。
いきなり急所を狙わないのは、生け捕りにしたいって考えがあるからだろう。
だけど、もちろん剣の振りの威力は凄まじい。
当たったら、脚の深い部分まで刃が食い込んで、一発で歩けなくなる筈だ。
想像するだけでも痛々しかった。
――ぎんっ! と真剣同士のぶつかり合う音が響いた。
「…………は?」
「急所を狙わずに、敢えて脚から攻める、か……なるほど、下種の考えそうなことだ」
ラクセルの容赦のない一撃を、エレンの剣はあっさりと受け止めていた。
「私に興味があるのか? だが生憎と、人間以下のケダモノとじゃれ合う趣味はないんだ。他を当たってくれ」
「――っ!? な、なんだこれっ? くそっ、くそっ!」
ラクセルは必死な様子で剣を押し込もうとしているけど、無駄だった。
エレンの剣はびくともしない。
「わ、わけわかんねぇ! 一体なんなんだよ、この水を斬ってるみたいな手ごたえのなさ!」
「…………っ!」
ラクセルが喚くのを聞いて、理解が追い付いた。
相手の攻撃に、絶秒な角度で剣をあわせることで、勢いを殺す……アリエッタが使っていたのと、同じ技だ。
「――いい機会だから、よく見ておくといい、フェリクス」
と、背中越しにエレンが言ってくる。
「この技は、私はフェリクスにはまだ早いと思っていた。だから教えなかったんだ――だが、女の子のアリエッタちゃんに出来て、男の自分が出来ないというのは、キミも悔しいだろう?」
エレンの口調は、もうラクセルのことなんて眼中にないみたいに、涼やかだった。
「コツは、相手の動きをギリギリまで見極めることだ。少しでも加減を間違えれば大ダメージを受けるから、稽古は慎重に行え。そうだな……ちょうど、こういう直情的な馬鹿が、格好の練習台になるかもな」
「…………っ!? っ!?」
ラクセルの方は、エレンの言葉に反応すらしない。
意味不明なエレンの防御をどう打ち破るかで、頭がいっぱいって感じだった。
「だが、今日の試合でアリエッタちゃんが使っていたのは、あくまで基本にすぎない――今から、その応用編を見せてやろう」
エレンの剣が、そこで微妙に角度を変える。
――すると次の瞬間、ラクセルの握っていた剣が、粉々に砕け散った。
「――うわあ!?」
情けない悲鳴を上げて、ラクセルが前につんのめる。
「…………え? は?」
「――かかる力を敢えて受け流さず、相手の手元で循環するようにコントロールしてやれば、こんな風に武器を破壊できる。この技は恐らくアリエッタちゃんもまだ使えない。あの子の鼻を明かしてやりたいなら、これだろう」
まあ、めちゃくちゃ難しいんだけどな……と、付け加えるようにエレンは言う。
「…………? ? ?」
根元から跡形もなくなった剣を見て、ラクセルはいよいよわけがわからなくなったみたいだった。
「……は、ははは! なんだこれ!? 俺は、夢でも見てんのか!?」
「……弱いもの虐めをしているようで、気が引けてくるな。いくらフェリクスの報復とはいえ」
エレンはそこで、考えるような仕草を見せてから、
「――よし。予備の剣がないのなら、私のものを貸してやろう」
と、自分の持っていた剣を、ラクセルの方に差し出してしまった。
「…………ああ?」
「どうやら、私と貴様の間には、尋常ならざる実力差があるようだからな……私だけ素手で戦えば、あるいはもう少しばかりいい勝負ができるかもしれない」
「――っ!? な、なに考えてんだよ、エレン母さんっ!?」
後ろから口を挟まずにはいられなかった。
流石に無茶だ。
いくらエレンが強くても、武器を持っている相手に、丸腰で戦うなんて。
「…………」
ラクセルはしばらくの間、手渡された剣をぽかんと眺めていた。
でも、すぐに怒り狂った表情に変わって、
「……な、舐めやがってぇぇぇぇぇ!」
と、かつてない絶叫を上げて斬りかかってきた。
今度は脳天をめがけた、必殺の一撃だ。
もう生け捕りにしようっていう余裕は捨てたらしい。
「……それなりに高い剣だから、もう少し丁寧に扱ってほしいんだけどな」
やっぱり緊張感のない声で、エレンは呟く。
そして――
「――ごぼっ!?」
剣が振り下ろされる遥か手前で、エレンの正拳突きがラクセルの鳩尾に突き刺さった。
鉄球が激突したみたいな、凄い衝撃音が響く。
少し遅れて、ラクセルの口から大量の血が零れた。
「これも、よく憶えておけフェリクス。キミは今日、アリエッタちゃんの武器を奪って勝利したが――本当に強い奴は、武器なんて持っていないくても強い」
かつんっ、とラクセルの手から剣が零れて、床に落下する。
「だから、イチかバチかのリスクを取ってまで、相手の武器を奪おうとするのは、エレン母さんはお薦めしないな……格好の問題ではなく、単純に勝算が低いからだ」
お腹を押さえてふらふらと後退するラクセルの側頭部に、今度はエレンの回し蹴りがさく裂した。
「――げっ!?」
たぶんそこで、ラクセルは意識を失ったんだと思う。
地面に倒れて、そのまま動かなくなった。
だけどエレンは、そんなラクセルの身体に馬乗りになって、
「報いを受けてもらうと、言ったよな?」
容赦なく、何度も拳を振り下ろしていく。
ぐしゃっ、ごしゃっ、ぶちゃっ。
骨とか肉とか、色々なものが潰れる音が聞こえてくる。
そのたびラクセルの手足が跳ねて、周囲に赤色の液体が巻き散っていった。
「…………ふう」
1分くらいそうしていただろうか。
顔についた返り血を拭って、エレンは満足そうに息をついた。
「……もう二度と剣を握れないような身体にしてやった。命を取らなかっただけ、有難く思え」
……ラクセルが今どんな顔をしているのか、見ようっていう気にはなれなかった。
「――それでも格上相手に勝ちを掴み取った、今日のフェリクスの戦いぶりは立派だった。お母さんは、誇りに思うぞ」
エレンはこっちを見て、いつもの穏やかな笑みを向けてくる。
「…………は、はは」
血の落とし切れていないエレンの笑顔を見ていて、思わず渇いた笑いが漏れる。
この世界での俺のお母さん……強すぎだろ。
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「……すぐにディーネがくる筈だから、もうしばらくの辛抱だ、フェリクス」
ラクセルとの決着がついたあと、俺はエレンの介抱を受けていた。
「こんなにボロボロになって……痛かっただろうな」
泣きそうな顔で、エレンは俺の頭を撫でてくる。
「ごめんな……なにもかも全部、エレン母さんが悪いんだ」
「…………? どういうこと?」
「闘技場でのことだよ。フェリクスに対して、『キミは誰だ?』なんて酷いことを言っただろ」
「……ああ」
すっかり頭から抜け落ちていた。
そういえば、そんなこともあったな。
今日は色々あり過ぎたせいで、もう随分前の出来事のように感じる。
「本当に、最低な発言だったと反省しているよ……謝って許されることではないかもしれないが、済まなかった」
「…………いいよ、謝らないでくれ。別に誘拐されたのは、エレン母さんのせいじゃないんだから」
アリエッタに言われたみたいな台詞が、そのまま口から出ていた。
「エレン母さんがきてくれたってことは……アリエッタは、無事なのか?」
「ああ、もちろんだ。ちゃんと保護した。心の方はともかく、身体には傷一つないよ」
「……そうか、よかった」
本当に、心の底からほっとした。
もしあいつが無事に逃げられていなかったら、蹴られ損もいい所だ。
「ふふっ……フェリクスらしいな。助かっていの一番に尋ねることが、友人の安否か」
「…………別にあいつとは友達ってわけじゃないけどな、まだ」
「それなら、尚のこと立派じゃないか。キミは、まだ友人というほど仲も深くない女の子のために、身体を張ったんだろう? さすがは、私たちの自慢の息子だ」
エレンは、誇らしそうな眼差しでこっちを見つめてくる。
「…………」
その眼差しを見て、腹を括った。
「違うよ、エレン母さん」
「え?」
「俺は、フェリクスじゃないんだ」
たぶんこの場じゃなくても、話す機会はいずれ来ると思う。
でも、今話しておきたかった。
「……みんなの人生をメチャクチャにしたのは、俺なんだよ。信じてもらえるかどうかわからないけど、俺は――」
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