第35話 大人と子供(前編)

 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い…………。

 何回も何回も身体を蹴られて、そのたびに意識が飛びそうになる。

 頭上からは、絶え間なくラクセルの罵声が飛んでくる。


「生意気っ! なんだよっ! 鬱陶しい! ガキのっ! 分際でっ!」


「…………っ!」


 それでも歯を食いしばって堪えることが出来ているのは、この世界でフェリクスが身体を鍛えていたおかげだと思う。

 もし日本の俺のままだったら、とっくに死んでいる。

 それくらい、ラクセルの攻撃は一方的だった。

 

 プリシラに教えてもらった魔術も、もう使えない。

 『魔力』っていう魔術に必要なエネルギーみたいなものが、空っぽだからだ。

 アリエッタを逃がすために一発撃つのが精いっぱいだった。


「どうしてくれるんだよ、この火傷! ああくそっ、気分悪ぃ!」

 

 しかもその一発のせいで、ラクセルを余計に怒らせてしまったみたいだった。

 床に転がって立ち上がれないでいる子供を相手に、よくこんな全力のキックを連発できるもんだと思う。

 こいつには、良心みたいなものはひとかけらも残っていないんだろうか。


「……はぁ、はぁ。さすがに、これ以上やったら殺しちまうか」


 と、キックが止んだ。


「喜べ、ガキ。お前はもう少しだけ生かしといてやる。あの女どもをどうにかするまではな」


「…………っ」


 頭がじんじんして、視界が霞む。

 もうボロボロだ。

 今日は朝から、アリエッタと全力で勝負をして、被雷身って捨て身の大技を使った時点で身体が限界近かったのに……それから癒しの加護でアリエッタを治したり、廃墟を全力疾走したりして、トドメにさっき魔術を使って完全にすっからかんだった。


「取り敢えず、ここで待つか……あの女どもの方から勝手にやってくるだろうからな。こんなに楽な狩りもないぜ」


「…………狩り?」


「あ? そうだよ、狩りだよ――この際、お前をあのクソ教団の本部に送り届けるとか、どうでもいいんだ」


 散々俺を蹴りつけて気分が晴れたのか、ラクセルは落ち着いた様子で答えてくる。


「最初から、依頼とかどうでもよかったんだよ……あの女どもが来るまで暇だから、話してやるけどよ」


 ラクセルは部屋に置いてあった台に腰掛けて、上機嫌に語り始めた。


「俺は元々、大陸でも名の知れた傭兵だったのさ。ただちょっと暴れすぎて、向こうに居づらくなっちまってな。もっと過ごしやすい土地を探してたんだ」


「…………」


「そういう意味じゃ、この国はうってつけだぜ。窮屈なのは欠点だが、田舎くせぇ奴らしかいねぇし、大陸とも距離があるから暴れ放題だ。くくくっ、最高のリゾートだな」


 ……ラクセルの下品な笑い声を聞いていて、俺は謎の既視感を覚えていた。


 なんだろう? 

 こいつの暴力とか、威圧的な口調とか、初めてじゃない気がする。

 誰かに似ているんだ。

 でも、それが誰だったのか思い出せない。


「なにより、とびきりいい女どももいやがるしな……お前を助けに来た、あの5人。顔を見るまではさくっとぶっ殺すつもりだったが、気が変わったぜ。あれを殺すなんて勿体ねぇ」


「…………?」


「あれだけの極上品、大陸でだって中々お目にかかれねぇぜ。さっき屋上で一目見た時に、俺は決めた。あいつら1人残らず、俺の女にしてやる」


「…………は?」


 こいつ――なに言ってるんだ?


「俺はムカつく奴をぶっ殺したり、お前みたいな弱い奴をとことん虐めるのも大好きだけどよ。むしゃぶりつきたくなるようないい女を自分のモノにするのが、一番好きなのさ。特にお前の保護者みたいな、見た目がよくて気の強そうな女は大好物だ」


 ラクセルは軽い調子で、下劣極まりない言葉を連呼していく。


「流石の俺も、それなりに強い女5人を生け捕りするのは難しいからな。まずはお前を人質にして、抵抗できない所を徹底的に痛めつけてやろう。それから1人ずつ、丁寧に屈服させていくのさ……くくっ、楽しみだなぁ」


 ラクセルは右手を広げて、まず指を1本折った。


「前菜は、あの腰の細い赤毛の女だ。いい声で泣くだろうなぁ。肌も綺麗だったから、さぞ触り心地が良さそうだぜ」


 続いて、2本目。


「次に金髪だな。ああいう高慢そうな女こそ、一番屈服させ甲斐があって楽しいのさ。どんな屈辱的なことをさせてやろうか」


 さらに、3本目が折られる。


「3番目は……まあ、あの緑の髪のトロそうな爆乳(デブ)か。あれだけで腹一杯になっちまいそうだから、別日に回してもいいな」


 4本目が折られて、


「メインディッシュは青髪だ。こいつが5人の中で一番良い女だな。他の4人は、まあ何回か愉しんだら壊れてもいいが、こいつだけは丁寧に扱おう。なんなら特別に、俺の嫁として可愛がってやってもいい」


 最後に、全ての指が折れた。


「で、デザートにあの紫髪のチビってところか……くくっ、趣味ってわけじゃねぇが、あれだけ肉付きがいいなら全然アリだぜ。マニアックな愉しみ方が出来そうだ」


「…………っ!」


 たまらなく不快だった。

 今すぐにこいつをボコボコにして二度と喋れない身体にしてやりたい。

 こんな奴が、あの人たちのことをこんな風に語るなんて、許せなかった。


 今の話を聞いて、完全に思い出した。

 前世で俺をビール瓶で殴り殺した、あのクズ――ラクセルは、あいつにそっくりなんだ。

 他人を虐げることに快楽をおぼえるゴミのような人間。

 俺みたいな子供を簡単に殺せてしまう、恐ろしい大人。


「だからお前は、俺があの女どもを屈服させ終えるまでの命だ。事が済んだら、さくっとトドメを刺してやる。なに、そんなに時間はかからねぇから、安心しろや」


「…………~~っ!」


 ぎらついた目で睨まれて、全身が震えてしまう。

 無意識に刷り込まれた本能的な恐怖だ。

 前世の俺は何より、こういう恐ろしい輩から逃げたいとずっと思っていて、失敗して殺された。

 その絶望は、その苦痛は、簡単に消えてくれるものじゃない。


「…………ふざ、けんなよ」


 ――でも。


「……あ?」


「お前、なんかに……あの人たちが、どうこうできてたまるか!」


 俺は、ラクセルに言い返していた。

 恐怖で心臓が止まりそうなのに、それでも、何も言わずにはいられなかった。


「あの人たちは、めちゃくちゃ強いんだ……お前みたいな弱っちい奴じゃ、絶対に勝てない!」


「…………なんだと? ガキ」


「俺だって、万全の状態だったら、お前みたいな雑魚に負けたりしなかったんだ!」


 たぶん俺を突き動かしているのは、フェリクスなんだと思う。

 あの人たちの事が世界で一番大好きなあいつは、きっとこの場で言い返す。

 例え自分がどんな目に遭わされようと、絶対にラクセルを許さない筈だ。


「…………いいか? 今すぐ謝るなら許してやる。もし、それ以上続けたら――」


「俺はアイオライト流を使えて、エルメンヒルデ流もかじってて、癒しの加護も受け継いでるし、魔術も習ったし、スズ母さんにもらった道具も使える! もう前世の無力な俺じゃない! お前みたいなのに、簡単に殺されたりもしないっ!」


 だけど、それだけじゃない。

 今俺の口から出ている言葉の中には――間違いなく、俺の感情も混じっていた。

 フェリクスに当てられているだけなのかもしれない。

 それでも、これだけは確信を持って言える。


「俺の大好きなあの人たちを、侮辱するなっ! これ以上言うなら、その首根っこにかじり付いてでも、俺がお前をぶっ殺してやるからな!」


 最後の力を振り絞って、俺は一息に言い切った。


「はぁ……はぁ……っ」


「…………」


 部屋の空気が一瞬で冷え込んだのを肌で感じる。

 ラクセルの顔を見るまでもない。

 俺は今、火の中にガソリンをぶっかけたようなものだ。


「…………まあ、考えてみたら、5人もいらねぇよな」


 ラクセルの声は、寒気がするくらいに平坦だった。

 完全に怒りが振り切れたとき、人間は逆に冷静になるって聞いたことがあるけど、たぶんそれだ。


「何人か殺して、生き残った奴を嫁にすりゃいいか……ならもう、こいつはいらねぇな」


 ――ああ、殺されるんだ、と思った。

 不思議と恐さや絶望感はない。

 ちょっと前に1回殺されているから、なのかもしれない。

 神様の婆さんは、もう次の人生はないって言ってたけど……まあそんなの、今さら考えても遅いことだ。


 やっぱり俺の人生は、あのクズにビール瓶で殴られて、母親に救急車を呼んでもらえなかった時点で終わっていたのかもしれない。

 この3日間は、だから死の間際に少しだけ見ることができた、幸せな夢みたいなものなんだ。

 俺が死んだら、あの人たちは悲しむだろうか……。


「…………嫌だな」


 そんな言葉が口から漏れる。

 だって、それはフェリクスに対する悲しみでしかない。

 あの人たちは、俺のことなんて知らないから、悲しみ様がないんだ。

 ああ、くそっ……こんなことなら。

 もっと早く打ち明けておくんだった。


「死ね、クソガキ」


 頭上から刺すような殺意と一緒に、白刃が迫ってくる。

 俺は覚悟を決めて、ぎゅっ、と瞳を閉じた。


 ……………………?


 いつまで経っても痛みが襲ってこない。

 不思議に思って目蓋を開けると――振り下ろされたラクセルの剣が、横から伸びて来た別の剣に受け止められていた。


「……………あっ」


 その剣の持ち主と、目が合う。

 青い髪の、綺麗な顔をしたその女の人は、俺を見て優しい微笑みを浮かべていた。


「遅くなったな、フェリクス……」


「……エレン、母さん」


「私が来たからには、もう大丈夫だ」


 エレンは俺を安心させるように言ったあと、ラクセルに向き直る。


「て、てめぇ! いつの間に!」


「…………フェリクスをこんなにしたのは、貴様だな?」


 唾を飛ばして怒鳴り散らすラクセルに対して、エレンはあくまで平坦な口調で告げる。


「…………ただで済むと、思うなよ」

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