第32話 がんばれフェリクス(後編)

「……っ!?」


 アリエッタの声にならない悲鳴が聞こえてくる。

 

 無理もないと思った。

 ついさっき自分を殺しかけた相手だ。

 よりによって、誘拐犯の中でもダントツに危ない感じのするこいつに見つけられるなんて……。


「もう計画もだいぶグダグダだけどよ……取り敢えず、人質の分際で逃げやがったお前らには、それなりの罰を与えてやらねぇとなぁ」


 相変わらず、ラクセルは邪悪そのものの笑顔を浮かべている。

 これから弱い者虐めを出来るのが、嬉しくてたまらないって表情だった。

 出口を背にして、俺たちが出られないようにしながら、じりじりと距離をつめてくる。


「……アリエッタ、よく聞け」


 ラクセルの方から視線を外さずに、隣のアリエッタに指示を飛ばす。


「俺がどうにかして隙を作る。だからお前だけでも、この部屋から逃げろ」


「……は?」


 意味が分からない、という顔でアリエッタはこっちを見てくる。


「……な、なによそれ!? あんたはどうすんのよ!?」


「俺は俺でなんとかするよ。少なくとも、ここで2人ともやられるよりは遥かにマシだろ」


 捕まったら、間違いなくただじゃ済まない。

 俺はまだしも、人質としてそこまで利用価値がないと思われているアリエッタがどんな目に遭わされるか、想像もできなかった。


「別に、ただ逃げろって言っているわけじゃない。俺が時間を稼いでいる間に――」


 俺は首元のチョーカーを素早く取り外して、アリエッタに押し付ける。


「助けを呼んできてほしいんだ。その発信機を持ってどこかに隠れていたら、エレンたちと合流できると思うから」


 アリエッタをこの場から逃がすための、咄嗟の方便だった。

 こう言えば、こいつも逃げやすくなる筈だ。


「……っ、だ、駄目よそんなの! あんた置いて、私1人だけ逃げるなんてっ!」


「2人とも助かるためには、これしかないんだよ……分かってくれ」


「じ、時間を稼ぐって、具体的にどうすんのよ!? あんた今、剣持ってないのよ!?」

 

 アリエッタの金切り声が部屋中に響く。

 

 ――こいつの言う通り、今の俺は棒切れ一つ持っていない。

 つまり、剣士として戦う手段がないってことだ。

 どんなに凄い剣術が使えたとしても、この場では役に立たない。


「はっ、無駄な相談しなくていいぜ、ガキども。どっちも逃がさねぇからよ」


 反対に、ラクセルの右手には真剣が握られている。

 さっきアリエッタを簡単に刺殺した、恐ろしい凶器だ。


「…………心配すんな。いいから、合図したら走れよ」


 でも、手がないわけじゃない。

 俺にはまだ、たった一つだけ武器が残されている。

 さっき物陰に隠れているときに思い出した、5番目の記憶――


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「魔術を教わりたい?」


 水着姿のプリシラは、意外そうな顔をして俺を見ていた。


「うん! だってプリシラ母さんって、『天才魔術師』なんでしょ!?」


 河川敷だった。

 足元を冷たい水が流れていて、頭の上からぽかぽか暖かい日差しが差し込んでくる。

 夏頃の記憶なんだろうか。

 俺も水着姿で、全身が川の水でびしょびしょだった。


「……フェリクス、お前それ誰に訊いたんだ?」


「他の母さんたちから! プリシラ母さんは、いつもお昼寝ばっかりしてだらしないけど、本当は凄い魔術師なんだよって!」


「……あいつら」


「僕、魔術ってどんなのかよく知らないんだけど、手から炎とか出せるんでしょ!? かっこいいなぁ!」


「……別に言うほどかっこよくねーけどな」


 プリシラは人差し指を立てて、ぼそぼそと何かを呟いた。

 ――その途端、指先にぼっ、と小さな火が浮かび上がる。


「わぁ! すごい! それが魔術!?」


「初歩も初歩だよ。こんなん、マッチ使えばいいだけだとあたしは思うけど」


 軽く息を吹きかけて、プリシラはすぐに火を消してしまった。

 それから、ちょっとだけ真面目な顔になって俺の方を向き直る。


「で、なんで魔術なんて習いたいんだ、フェリクス? お前、エレンから剣術教わってんだろ? そっちはいいのかよ?」


「……え?」


「正直言って、プリシラ母さんは気乗りしねーな。魔術なんてつまんねーもん習っても、フェリクスの貴重な時間を無駄にするだけだ。将来、何の役にも立ちやしねー」


「そ、そうなの……? でも、何もない所から火を出せるなんて、便利そうだけどな」


「逆だ。魔術ってのはすげー面倒くさいんだよ。例えば、今見せた魔術で言うと……ゼロの状態からスタートして、マスターするまでに3ヶ月はかかるだろうな。マッチ使えば済むことを、3ヶ月だぜ? 割に合わねーだろ?」


 プリシラはぽりぽりと頭を掻いて、


「……母さんはガキの頃、『学院』っていう、魔術師専用の学校みたいな所に通っていたんだけどな。そこじゃ、ありとあらゆる魔術を徹底的に叩き込まれるんだ。毎日、分厚い魔導書を何冊も読まされたり、教師連中のくそつまんねー話を延々聴かされたりしてさ。マジで地獄の日々だったよ」


「……ああ、うん。確かにプリシラ母さん、そういうの嫌いそうだもんね」


「だろ? ……で、あんまりにもつまんねーもんだからさ。ある日、思い付いたんだよ。あたしそっくりの分身を造り出して、そいつを身代わりにすればいいんじゃねーかって」


「……分身?」


「その分身に魔術の授業を受けさせて、あたしはその時間どっかで昼寝でもしとくんだ。一日の終わりにその分身と記憶を同期すりゃ、入れ替わりがバレることもねー。我ながら、完璧な発想だと思ったぜ」


「……? ええと、よく分からないんだけど、魔術ってそんなとんでもないこともできるの?」


「いや――その当時には、そんな便利な魔術はなかったんだ。だから自分で作った。既存の魔術を応用できないか調べたり、実験したりしてな」


「作った……?」


「他にも、ものの位置を入れ替える魔術とか、ものを異空間に仕舞い込む魔術とか、色々作ったな。ぜんぶ、あたしが楽をするための魔術だ。実際、古典魔術なんかよりめちゃくちゃ便利だったよ……そのせいで『古典魔術への冒涜』とか、『誰も見たことのない魔術を次々と生み出す稀代の天才魔術師』とか、色々騒がれたのは鬱陶しかったけどさ」


「……へ、へぇ」


 戸惑うような当時の俺の声が聞こえてくる。プリシラの話していることの半分も理解できていないって感じだった。


「まあ、フェリクスがどうしてもっていうなら、初歩的な属性魔法をいくつか教えてやるか……そのくらいなら、剣を持っていないときの護身用とかに使えるだろうしな」


 プリシラは言って、俺の頭に手を乗せてくる。


「考えてみりゃ、あたしってフェリクスに何もしてやれてないしな。剣術とか、必殺技とか、癒しの加護とか、変な首輪とか、そういう感じのやつ」


「あ、うん……言われてみたら、そうだね」


「前から、なんか寂しいと思ってたんだよなぁ。あたしだけ、フェリクスに対する愛が足りてないみたいでさ」


 プリシラは困ったようにはにかんで、


「あたしはあんまり、フェリクスにどういう風に育ってほしいとか、ないんだよな。ただ好きなように、自由に生きてくれたらそれていいっつーか」


「…………うん」


「でも、だからこそフェリクスが本当にやりたいと思ったことは、全力で応援したいと思ってるよ。これは本当だ」


「……プリシラ母さん」


 感極まったような声で、俺は言う。


「ありがとう……でも僕、プリシラ母さんに愛されてない、なんて思ったこと1回もないよ。いつも一緒に遊んでくれるし、優しいし……他の母さんたちみたいに、あんまりベタベタはしてこないけど」


「ははっ。まあ、あたしはこういう性格だからなぁ」


「なんていうか、親子っていうより、きょうだいみたいな感じで……他の母さんたちには相談できないことも、プリシラ母さんになら相談できるかもって思えるよ」


「……? あたしにしか相談できないこと?」


「ええと……例えば、もし好きな子が出来たら、とか」


 そこで俺は、恥ずかしそうに視線を落として、


「ほ、他の母さんには恥ずかしくて絶対言えないけど……プリシラ母さんになら打ち明けられると思う。どうしたら付き合えるか、みたいな相談にも乗ってもらったりして」


「…………」


「なんて、まだまだ先の話だと思うけどね! ……って、プリシラ母さん?」


 視線を上げると、プリシラはなぜか真顔になっていた。


「……フェリクス。お前、今好きな女の子がいんのか?」


「……え?」


「どこの子だ? 近所の子か? 母さん、フェリクスの年でそういうのまだ早いと思うけどな」


「プリシラ母さん……?」


「いや、親が口出すことじゃないだろうけど……なんか、子供同士でそういう関係になるのは、違うんじゃないかなーって。だってお前、ほんのちょっと前まで、母さんと結婚ごっことかして遊んでたよな? ずっと母さんと一緒にいたいって……なんだよあれは嘘だったのか?」


「……きゅ、急にどうしたの? 早口になって」


「いや別に母さんはお前と結婚したい訳じゃないけどさ。母親と結婚ごっことかしちゃう奴に、彼女とか10年早いから。だからそんな相談持って来られても、少なくとも母さん的には応援できないかな」


「ご、ごめんなさい……」


 謎のスイッチが入ってしまったみたいだった。

 こんなに機嫌の悪そうなプリシラを見るのは初めてだ。

 一体、何が気に障ったんだろう……?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ファイアボムっ!」


 両手を前に掲げながら、そう叫んだ。

 その途端――何もない所から、サッカーボールくらいの火の球が出現する。


「――なっ!?」


 ラクセルはようやく表情を変えたけど、もう遅い。

 火の球――ファイアボムは凄い勢いで、正面の敵に襲い掛かる。


「うわああああっ!?」


 ファイアボムの直撃を受けて、ラクセルは悲鳴を上げてうずくまった。


「あ、あちぃぃぃ……っ! なんだこれっ、なんだこれっ!」


「――アリエッタ、今の内だ! 早く!」


「…………え?」


 俺に怒鳴られて、アリエッタは呆然とこっちを見てきた。


「……あ、あんた……今のって、もしかして魔術? な、なんでそんなの使えるの?」


「どうでもいいだろそんなこと! それよりこの術、見た目は派手だけどそこまで威力はないんだ! 急がないと、逃げられなくなる!」


「…………う、うん」


 がら空きになった出口を見て、アリエッタは迷うような表情を見せた。

 逃げるべきか……俺と一緒に残るべきか、考えているんだろう。


「いいからっ、早く、いけっ!」


 俺は思い切り、アリエッタの尻を蹴り飛ばした。


「――痛っ!? な、なにすんのよっ!」


「お前がモタモタしてるからだろ! もう一回蹴られたいのか!?」


「……っ! わ、分かったわよ! 逃げればいいんでしょ!」


 尻を抑えながら、アリエッタはこっちを睨んで、


「…………絶対、すぐにあの人たちを呼んでくるから! 死んだりしたら、許さないんだからね!」


 最後にそう言い捨てて、部屋の外へ飛び出して行った。


「…………ふぅ」


 取り敢えずこれで、最低限の目標は達成できた。

 あとは……。


「…………はぁ、はぁ」


 息を切らしながら、ラクセルが立ち上がってきた。

 服はところどころ黒焦げになっていたけど、もう火自体は消えてしまっている。


「…………て、てめぇ、やってくれたな」


 ラクセルの目は完全に血走っていた。

 今までとは比べものにならない……激怒の表情だった。


「もう人質とか関係ねぇ……ぶち殺し確定だ」


「…………やってみろよ」


 俺は生唾を呑み込んで、ラクセルを睨み返した。

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