第31話 がんばれフェリクス(前編)

 廃墟の中は大混乱だった。


 上下左右から、大勢の人間のどたばた駆けまわる音が聞こえてくる。

 たまに何か壊れる音とか、『助けてくれ』『こんなの聞いていない』『家に帰りたい』みたいな悲鳴が聞こえる気もするけど、音同士が重なり過ぎてよく分からなかった。

 怪獣でも暴れているんだろうか……?

 

 俺たちは建物の3階部分の、物置みたいな部屋に身を潜めていた。

 闇雲に外に逃げようとするより、こうして一か所でじっとしている方が絶対に安全だ。

 俺の首には発信機がついているんだし、このまま隠れているだけで、あとはエレンたちが信号を頼りにこの場所を見つけてくれると思う。

 だから、それまでの辛抱だ。


「…………ううっ、うううう」


 隣では、アリエッタがさっきからずっとすすり泣いている。

 膝を丸めて、可哀想なくらい小さくなっていた。


「……アリエッタ、大丈夫か?」


「…………だっ、大丈夫なわけっ、ないでしょ! なんなのよ、これっ!」

 

 鼻声でアリエッタは答えてくる。

 でも、ちゃんと小声だった。

 一応、見つからないように隠れているっていう意識はあるらしい。


「な、なんで、私がこんな目に遭わなくちゃいけないのよっ! 私、何も悪いことしてないのに……っ!」


「……本当にな。お前が巻き込まれたのは完全に俺のせいだ。ごめん」


 アリエッタが攫われたのは、たまたま俺と一緒の路地裏にいたからだ。

 例えば、もし俺が違う路地裏に駆け込んでいたら、こいつは巻き込まれずに済んだ。

 当人からしたら、とばっちりも良い所だろう。


「……べ、別に、あんたが謝ることじゃないけど。悪いのは、あの誘拐犯どもでしょ?」

 

 と、俺を気遣うみたいな口調でアリエッタが答えてきた。


「『救世主』がどうだとか、頭おかしいじゃない、あいつら……あんたに責任なんてないわよ……少なくとも、私はそんなこと思ってないから」


「……アリエッタ」

 

 驚いてアリエッタを見返す。

 こいつ、さっきから恐怖でガタガタ震えていて、自分のことだけで精一杯って感じなのに……マジで良い奴なんだな。


「っていうかむしろ、私の方がお礼言わなきゃいけないのよね……さっき屋上から連れ出してくれたのもそうだし、それに、路地裏でのことも」


「……路地裏?」


「しらばっくれないでよ。あんたが、刺された私を助けてくれたんでしょ?」

 

 アリエッタは鼻を啜りながら、


「なんか緑色の光みたいなので、死にかけだった私の傷を治してさ」


「……びっくりだな。記憶あるのか?」


「まあ、はっきりとは思い出せないんだけど……あんたに治してもらったことだけは憶えてるの。だから、ありがとう」


「……別に、礼を言われるようなことじゃないだろ。そもそもの原因は俺なんだし」


「でも、あんたがいなかったら私、死んでたんでしょ? ――間抜けよね。普段散々『天才剣士』とか粋がっておいて、不意打ちの一つも避けられないなんて」


 アリエッタは自嘲気味に言ってから、また身体を小さく丸めた。


「屋上でも、あんたに手を引いてもらうまで、状況にぜんぜんついていけてなかった……今もそう。腰が抜けちゃって、完全にあんたのお荷物だわ」


「……あんまり自分を卑下すんなよ。ふつう、誰だってそうなるんだから」


「……誰だってそうなる? じゃあ、これも?」


 アリエッタは自分のスカートを指差して、


「あんたも、本当は気付いてたんでしょ? 気を遣って、言わないでいてくれただけで」


「…………」


 言葉に詰まった。

 アリエッタの言う通り、この物置に逃げ込んだあたりからなんとなく察していた……涙だけじゃ、そんなにスカートは濡れないだろうし、涙はこんな匂いしないだろうから。


「……さっき、あの怖い男の人にぶっ殺すぞって脅されたときよ。信じられないわ。あれくらいでビビッて、おしっこ漏らしちゃうなんて……ははっ、情けない」


「……アリエッタ、あのな」


「あ、あんたにも、迷惑かけるわね……こんな狭い所で、おしっこくさい女と一緒なんてさ……ううううう……」


「…………はぁ」


 見ていられなかった。

 アリエッタの肩に手を回して、身体ごと抱き寄せる。


「――ひゃあっ!?」


「一回、落ち着けって……マジで俺、何も気にしてないから」


 考えなしの行動だ。

 女子にいきなりこんなことをして、後で嫌われるかもしれないけど、他の方法が思いつかなかった。

 ……どうでもいいけどこの3日間、女とハグしてばっかりだな俺。


「ちょ、は、離れてよ! 私、今、汚いから……っ!」


「だから、汚くないんだって……落ち着けよ、別に漏らすくらい何でもないだろ。考えようによっては、汗の親戚みたいなもんだ。少なくとも俺は気にならない」


「……で、でも、匂いとかっ!」


「……それも言うほど匂わないけどな。走っている途中に渇いたんじゃないか?」


 最後のは正直嘘だったけど、それはそれだ。

 とにかくアリエッタを安心させてやりたかった。

 本人がどう言おうと、こいつがこんな怖い目に遭っているのは、やっぱり俺の責任だと思うから。

 何より、めっちゃ剣が強いから忘れかけてたけど、こいつ女子だしな……。


「とにかく、大丈夫だからな、アリエッタ。服なんて、ここから出たあとにすぐ着替えればいいんだし。今回のことは俺とお前しか知らないことなんだから、2人だけの秘密にしとけば問題ない」


 耳元で囁くように言いながら、アリエッタの頭を何度も撫でる。


「俺はともかく、お前のことは絶対に無傷で家に帰す……約束するよ。だから、何も怖がらなくていい」


「…………」


 アリエッタは無言のまま、俺に頭を撫でられ続けている。

 正直、意外だった。

 もっと嫌がられると思ったんだけどな。


「……そ、そろそろ落ち着いたか?」


 いい加減恥ずかしくなってきて、俺の方からアリエッタの身体を離した。


「…………っ」


 そこでようやく気付いたけど、アリエッタは真っ赤になっていた。

 目がキョロキョロと泳いでいて、頭から湯気みたいなものも出ている。

 これまでこいつの赤面顔は何回も見てきたけど、こんな姿は初めてだ。


「……ああ、ごめん。嫌だったよな、やっぱり」


「………………い、嫌じゃなかったわよ、別に」

 

「え?」


「だ、だから、嫌じゃなかったって! ……なんなのあんた? 今みたいなこと、いつもやってんの?」


「……? ハグのことか? いや、お前にしたのがたぶん初めてだけど」


「……~~っ!?」


 アリエッタはとうとう、顔を抑えて蹲ってしまう。

 ……マジでどうしたんだ、こいつ?

 ちなみに、ハグは5人の母親たちから散々されているけど、流石にこの場では言えなかった。

 まあ、同年代の女子に対して、という意味なら嘘じゃないし。


「……よく分かんないけど、落ち着いてくれたんなら一安心だな」


 ――そこで何の前触れもなく、俺たちが隠れている部屋の扉が開いた。


「「――!?」」


 俺とアリエッタはほとんど同時に、弾かれるように扉の方を向く。


「……ははっ。見つけたぜぇ、クソガキども」


 最悪なことに、入ってきたそいつはエレンたちの誰でもなかった。

 ギラギラと光る剥き出しの剣に、相手を威圧するような凶暴な眼差し。


「かくれんぼの時間は終わりだ……今からギタギタに虐めてやるから、覚悟しとけよ」


 ラクセルはそう言って、部屋の中にずかずかと踏み入ってきた。

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