第30話 暴れ回るママたち(後編)

 ――だが、そんな警戒心は、ほんの数秒後に無駄になった。


 廊下に、ずたぼろになった黒ずくめの集団が転がっている。

 数は6つ。

 屋上に見えた暗殺者の人数と、ちょうど同じだ。

 全員、頭巾が破かれていて、白目を向いて気絶しているのが確認できる。


「…………」

 

 死屍累々の山の中で、ただ一人、スズだけが無言で佇んでいた。


「……これ、全部キミ1人で片付けたのか、スズ?」

 

 スズはこちらを見て、無表情で頷く。


「なんか、私を狙ってきたから……返り討ちにした」


「……心配して損しましたわ」

 

 傍らのイヴリンなど、あまりの光景に苦笑いを浮かべていた。


「凄腕の暗殺者を6人も相手にして、無傷ですか。相変わらずの強さですわね」


「そうでもない――ほら、ここ」

 

 と、スズは自らの露出した太ももを指差してくる。


「一撃だけダメージを受けた。身体がなまっている証拠」


「……いや、かすり傷じゃないの」

 

 と、スズの足元に倒れていた黒ずくめの男が、苦しそうに呻いた。


「……な、なんということだ! こんな、実戦から何年も遠ざかっていたような奴を相手に、一族の精鋭である我らが遅れを取るなどぉ!」


「…………」

 

 スズは少しだけイラッとしたように(表情はほとんど変わっていないが、長い付き合いなのでなんとなく分かる)、黒ずくめの男を踏みつけにした。


「ぎゃあっ! す、スズ、貴様ぁ!」


「……久しぶり、ジーク叔父さん。一族の皆は元気?」

 

 ぐりぐりと、スズは無表情のまま男に体重をかけていく。


「今さら、ジーク叔父さん程度が私を消しに来るとは思わなかった。10年前に私たちにあれだけボコボコにされたのに、まだ懲りてないの?」


「……ちょ、調子に乗るなよ、スズ! リヴィングストン一族は、お前のような裏切り者を絶対に許さないっ!」


「……それはこっちの台詞」

 

 くいっ、とスズの指が微かに動く。


「ぐあああっ!」

 

 男の身体が、なにかに引っ張られるようにして起き上がった。


「もう、いい加減にしてほしい。私は完全に暗殺稼業から足を洗って、表の世界で自由に生きている。あなた程度では絶対に私を殺すことなど出来ないのだから、いちいちちょっかいをかけてこないで」


「……くそっ、何故だ、スズ! 貴様、これほどの才能を持ちながらっ!」

 

 男は見えない鎖に縛られるように、その動きを固められていた。

 

 ――目を凝らせば、とてつもなく細い糸が身体中に巻き付けられているのが視認できる。

 その糸はすべて、スズの10本の指から伸びているものだ。


「貴様さえ、一族を抜けなければ……裏切り者への報復の失敗から、一族の信用が地に落ちることもなかった! もはや裏の世界で、我らに依頼をしてくる者などほとんどいない! すべて、貴様たちのせいだっ!」


「……そんなの知ったことではない。というか、いい機会なのだから、暗殺稼業なんて廃業にしてしまえばいいのに」


 ……味方ながら、恐ろしい暗殺者だと改めて思う。

 こんな風に糸を意のままに操るのも、スズの数ある暗殺技術の一つでしかないのだ。

 一体どれほどの技を扱うことができるのか、まるで底が知れない。

 イヴリンと並んで、絶対に戦いたくない相手の1人だった。


「……くっ! 敗北した以上、覚悟はできているっ! 殺せっ!」


「…………」

 

 またスズの指が動いた。男の首が、あっという間に締め上げられる。


「ぐえ……っ!」


 短く呻いたきり、男は動かなくなった。


「……おいスズ、まさかとは思うが」


「もちろん殺してない。私は人殺しじゃないから」

 

 ぷつんっ、と糸が切れる音がして、男の身体が地面に倒れた。


「……フェリクスを、人殺しの子供にはできないから」


 ……本気で心配していたわけではなかったが、その暖かい表情を見ると、やはり安心する。

 初めてあった頃のスズは、こんな優しい顔はできなかった。

 この12年間で一番変化したのは、間違いなく彼女だろう。

 まあ、殺伐とした環境で育った反動からか、フェリクスに対してはどうしても過保護になってしまうようだが。


「――あらら、また派手にやりましたね~」


 廊下の向こうからディーネが歩いてきた。

 道に転がる黒ずくめたちを見下ろして、おかしそうに口元を抑えている。


「ふふっ……なんだかボロ雑巾みたいですね、この人たち。もうトドメは刺したんですか?」


「……いや、刺してないけど」


「ええ!? スズ、凄いです! よくこんな人たち相手に手加減なんてできますね!」


 ディーネは心の底から感心したという顔をして、


「もし私がスズくらい強かったら、みーんなぶっ殺しちゃってますよ。うふふふふ!」


「…………あ、うん、そうだね」


 冷や汗を浮かべながらスズは視線を逸らした。


「……おいディーネ、その引きずっているモノはなんだ?」


 ディーネの右手には、大きな白い布きれみたいなものが掴まれている。


 ……いや、よく見たら人間だった。

 確かエルゴとかいう、敵の組織のリーダーだ。

 あまりにもぐったりとしていたから、生き物だとすぐに気付けなかった。


「あ、『これ』ですか? なんか、逃げようとしていたんで、捕まえたんです」


 ディーネはいつものニコニコとした笑みを浮かべたままで、エルゴを私たちの前に突き出してきた。


「すみませんすみませんすみません、命だけはどうかすみません……」

 

 エルゴは虚ろな目で、うわ言のようにブツブツと謝罪の言葉を繰り返している。

 私たちの姿も視界に入っていない様子だった。


「ははっ、みんな聞きました? こいつ、この期に及んで命乞いなんかしてますよ? 笑っちゃいますね!」


「……あの、ディーネ。その人をどうするつもりなの?」


 恐る恐るという風に、イヴリンが問い掛ける。


「ん~……実はそれ、ずっと考えてたんですけど」


 ディーネはぴん、と人差し指を一本立てて、


「こういうお仕置きはどうでしょう――まず私がエネルギードレインで、この人を殺すでしょ? それからすぐに生き返らせて、また殺して、生き返らせて……それをずっと繰り返すんです。宗教家に相応しい、臨死体験のお仕置きですね。ふふっ、なんか楽しそう! この人、悟りとか開けちゃったりして!」


「…………」「…………」「…………」


 ディーネ以外の3人は、揃って顔を見合わせていた。

 お互いに何を思っているか、言わなくても分かる。


「…………あの、ディーネ。それは流石に、倫理的に」


 やがて勇気を振り絞ってくれたのか、スズが私たちの気持ちを代弁してくれた。

 表情は完全に青ざめていて、ディーネにドン引きしているのが丸わかりだった。

 元暗殺者をドン引かせる聖女って……。


「……い、いや、冗談ですって。なに本気にしてるの、みんな?」


 バツが悪そうな顔を浮かべて、ディーネはエルゴから手を離した。


「さすがに私も、そんな残酷なことしませんよ……あ、あはははは」


 最初から冗談のつもりだったのか、それとも、思いのほか私たちの反応が悪くて我に返ったのか。

 ともかくキレたとき、私たちの中で一番手が付けられなくなるのは、このディーネだった。

 普段の優しい性格が嘘のように、敵に対して一切の容赦と見境がなくなるのだ。

 もちろん、フェリクスを大切に想っているからこその言動だとは、私たちも理解しているが……ここまで豹変されると、普段の優しさにも何かしらの闇が隠れているのではないかと、不安になってしまう。

 本当に、いつもはすごい良いヤツなんだけどな……。


「……さ、さあ皆さん! ぼさっとしている暇はないですわ!」


 気まずい沈黙を打ち破るように、イヴリンが努めて明るい声を出す。


「こうしている間にも、フェリクスとアリエッタちゃんは怖い思いをしている筈です! 早く見つけてあげないと!」


「……あ、ああ、そうだな!」


 私も力強く頷き返して、廃墟の奥への歩みを再開させた。

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