第29話 暴れ回るママたち(前編)

 さっきは済まなかった――なんて、そんな言葉しか出てこなかった。


 とてもじゃないが、その程度の謝罪では足りない。

 それほどに私は、フェリクスの心を深く傷付けてしまった。

 今のあの子の気持ちを思うと、罪悪感で胸が張り裂けそうになる。


『キミは誰だ? 私たちの知っているフェリクスは、どこに行った?』

 

 なんて軽率な発言だったろう……フェリクスがびっくりして、あの場から走り去るのも当たり前だと思う。

 確かに、フェリクスの様子に違和感を覚えたのは事実だが、あんな伝え方は有り得ない。

 完全に母親失格だ。

 

 フェリクスが攫われたのも、だから、私のせいなのだ。


「――覚悟しろっ、化け物女めっ!」


 目の前から、1人の男が斧で襲い掛かってくる。

 装備や体つきを見るに、恐らくは敵の宗教団体に雇われた傭兵だろう。

 悪くない動きだった。

 迎撃するため、私も剣を構える。

 

 ――だが、その直後に横合いから槍が伸びてきて、正面の斧使いを弾き飛ばしてしまった。


「ぎゃっ!?」

 

 斧使いは遠くの壁に叩き付けられ、ぴくりとも動かなくなる。


「……イヴリン、何の真似だ?」


「こっちの台詞ですわ、エレン。さきほどから雑念が混ざり過ぎです」


 隣に佇むイヴリンは、そう言って私を睨んだ。


「わたくしの目を誤魔化せると思ったの? 雑兵相手とはいえ、ここは戦場なんだから、もっと集中なさい」


「……すまない」


 素直に頭を下げる。

 彼女の言う通りだった。

 後悔をしている暇なんて、今はないのに。


 ――足元には、さっきの斧使いと同じような傭兵たちが大量に転がっている。

 廃墟に突入してから10分ほどで、あらかたの敵勢力は片付けてしまった。

 もちろん命までは奪っていない。

 全員、気絶しているだけだ。


 彼らはそれなりに腕の立つ傭兵たちだったようだが、はっきり言って私たちの相手ではなかった。

 この程度の敵なら、どれだけ頭数を揃えたところで問題にならないだろう。

 しかし、こんな雑魚をいくら屠ったところで意味がない……肝心のフェリクスの安全を確保するまで、私たちに気を緩めている暇などないのだ。


「大方、察しは付きますけどね。闘技場での一言を、また悔やんでいたんでしょう?」

 

 周囲への警戒を緩めないままで、イヴリンが言葉を続けてくる。


「まあ、あなたの言うことにも一理ありますわ。確かにこの2日間のフェリクスは、様子が変でした。いきなり剣術の試合に勝てるようになったり、お風呂や添い寝を恥ずかしがるようになったりして……むしろ、あなたに言われるまで変化に疑問を持てなかったわたくしたちの方こそ、反省すべきだわ」


「……イヴリン」


「でも――さっきのフェリクスの言葉を聞いたでしょう?」


 イヴリンはそこで、愛おしそうに目を細めて、


「自分のことはいいから、わたくしたちに逃げてほしい、だなんて……あんな優しいこと、フェリクス以外の誰かが言えるとは思えないわ」


「…………」


「間違いなく『何か』はあったんでしょう。でも、あれは絶対にフェリクスよ。別人なんかじゃない。さっきの姿を見て、わたくしはそう確信しました」


「……ああ、そうだな」

 

 本当に、イヴリンの言う通りだ。

 だからこそ私たちは、その『何か』が何なのか、フェリクスの口から訊かなければいけない。

 ……あの子が私に、話してくれるとしたら、だが。


「――て、てめぇら! ずいぶんと好き勝手やってくれたな!」

 

 と、イヴリンと話し込んでいたら、正面にまた別の傭兵が走り込んで来た。

 

 他の傭兵と比べてもひと際大柄で、熊を彷彿とさせるような野性的な男だった。

 髪の毛を一本残らず剃り上げていて、目つきも凶悪だ。

 普通の人間なら、この外見を見るだけでも竦み上がることだろう。

 だが生憎と、私たちにはまるで恐怖の対象にならない。


「……この傭兵たちのリーダー格、と言ったところか? 名前は?」


「ギリアンだ。これでも大陸の方じゃ、かなり名の知れた傭兵なんだがな……お前らみたいな、おっかない女どもを相手にしたのはこれが初めてだぜ」


「そうか……彼我の戦力差を認識できるなら、大人しく撤退するのが利口だと思うが」


「冗談! まだ依頼人から金を受け取ってないんでね! タダ働きはごめんだ!」


 傭兵、ギリアンはそう言って槍を構えた。

 やる気ということらしい。

 

 ……面倒だな。

 一刻も早くフェリクスの元に向かわなければいけない以上、こんなのを一々相手にしている暇はないのだが。


「……エレンが相手にするまでもありませんわ」

 

 と、またも剣を構えようとしたところを、イヴリンに手で制された。


「どうやら、同じ槍の使い手みたいですし……ここはわたくしに任せてちょうだい」


「……ほう。金髪の姉ちゃんの方が相手か」


 ギリアンは、イヴリンの方を見て口元を歪める。


「こいつはいい……俺はちょうど、あんたと戦ってみたいと思っていたんだよ」


「……? なんですって?」


「まあ、見てろや――」

 

 するとギリアンは、自分のこめかみに指を当てて、蹲った。


「――被雷身」


「……なんだと?」


 予想外の光景に、思わず声が漏れていた。

 ギリアンの目元に、雷模様の痣が浮かんでいる。

 昼にフェリクスがやっているのを見たばかりだから、見間違える筈もない。


「俺たちはな、あのガキの試合も陰から見物していたんだよ。まさか俺と同じ技を使える人間が、こんな島国にいやがるとはな……教えたのはあんたなんだろ?」


「……被雷身を使えて、しかも槍を武器にするということは、エルメンヒルデの分家の出身という所かしら? 確か、大陸の方にも流派が広がっていると聞いたことがありますし」

 

 イヴリンは不愉快そうに顔をしかめていた。


「……仮にもエルメンヒルデ流の技を受け継ぐ者が、小銭欲しさに子供を攫うなんて、恥ずかしくないの? 流派の風上にも置けないクズね、あなた」


「けっ、誇りで飯が食えてたまるかよ……それより」

 

 対照的に、ギリアンはにたにたと笑いながら、


「これで分かっただろ? お前じゃ絶対に俺には勝てない――どっちも100の力を引き出せるなら、後は元々の筋力差がものを言う。てめぇみたいな女の細腕で、鍛え上げた俺の肉体に敵うわけがねぇ。選手交代するなら今の内だぜ?」


「……さあ、どうかしらね」

 

 イヴリンもまた、自分のこめかみに指を添えた。


「――被雷身」


「――馬鹿が! 意味ねぇって言ってんだろうが!」

 

 ギリアンは叫んで、凄まじい勢いでイヴリンに飛び掛かっていった。

 がんっ、と激しい衝突音が響く。


「…………え? は?」

 

 間抜けな声を上げたのは、ギリアンだった。

 

 彼の渾身の突きは、イヴリンの槍にいとも簡単に止められていた。

 顔を真っ赤にして歯を食いしばっているギリアンに対して、イヴリンは涼しい顔のままである。


「えらく生温い突きね。その大きな身体は見掛け倒しなのかしら」


「……ど、どういうことだ!? なんで、俺が圧し負ける!?」


「別に……あなたが『100』しか出せないのに対して、わたくしが『700』ほど出しているだけよ」

 

 退屈そうにイヴリンは言う。


「あなたや、今日フェリクスが使っていた被雷身はね、初歩も初歩なのよ……自分の肉体の枷を外し、100ある内の100を使えるようになるのが、いわばこの技の第一段階。技全体の習得率で言えば、1割にも満たないレベルだわ」


「い、1割にも満たない……?」


「被雷身の真価は、自分の限界を超えることにこそある――100ある内の『200』や、100ある内の『300』。つまり、自分の力の限界値そのものを拡大してしまう。そうすることによってエルメンヒルデの槍使いは、まさに超人的と言っていい強さを得るの」


 イヴリンはそこで、憐れむような視線をギリアンに向ける。


「あなたがやっていることなんて、わたくしのきょうだいたちは、みんな子供の頃には出来るようになっていたわ。フェリクスもね。大の男が、よくもまあその程度で粋がれたものね」


「……う、嘘だ! 有り得ない! この技を使ったときの俺は、誰にも負けたことがねぇのに!」

 

 混乱した様子で、ギリアンはぶんぶんと頭を振りまわす。


「……誰にも負けたことがない? なるほどね。だからあなた、そんなに弱いのよ」

 

 イヴリンは呆れたように溜め息をついてから、槍を払いのけた。


「うわあっ!?」

 

 たったそれだけで、ギリアンは情けなく体勢を崩されてしまう。


「わたくしはね、同じ相手に11回も負けたことがあるわ! でもその度に、悔しさをバネにしてどんどん強くなっていった! ――だから、一度も悔しさを味わったことのない人間なんかには、絶対に負けたりしないっ!」

 

 無防備なギリアンの腹部に、イヴリンの槍が直撃する。

 刃がついている方ではなく、反対側の柄でついたのだ――ギリアンは悲鳴を上げる間もなく、くの字に折れ曲がって後方にふっ飛ばされていった。

 勢いがさっきの斧使いのときの比ではない。

 壁を何層も突き破って、やがて見えなくなってしまう。


「……お疲れさま」

 

 そうイヴリンに声をかける。

 流石だな、と言う気にすらならなかった。

 イヴリンの実力を以てすれば、あの程度の相手を瞬殺することなど当たり前だ。


「ちなみに、11回も負けた相手というのは、もしかして私か?」


「……言うまでもないですわ。あなた以外の誰に、わたくしが負かされるっていうの?」

 

 イヴリンは被雷身を解いて、くたびれたような笑みを浮かべていた。


「やっぱり、エレンの方は憶えていなかったんですのね……まあ、そんなことだろうと思っていましたが」


「ああ、すまない。正直、ちゃんと数えてはいなかった……でも、キミに2回負けたことは憶えているぞ?」


「え?」


「他流試合で、同じ相手に2回も負けるのなんて、キミが初めてだったからな……どちらも死ぬほど悔しかったよ」


 それから私は、イヴリンのことを強烈に意識するようになったのだ。

 1対1で戦うなら、こいつほど手強い相手もいない。

 11勝2敗という対戦成績は、単に相性の問題で、恐らく私とイヴリンの間にそれほどの実力差はないだろう。


「…………っ! わ、わたくしが現役の頃に聞きたかったですわ、その言葉」

 

 イヴリンはなぜか照れたように赤くなっていた。


「そ、それより、先に進みましょう……今みたいな雑魚ばかりならともかく、もう少し骨のありそうなのが敵の中に見えましたし」


「……ああ、リヴィングストンの連中だな」


 屋上に何人かいた、全身黒ずくめの集団……リヴィングストン一族、つまりスズの実家の関係者たちだ。


「今さら何の用なのかしら? あの一族とは、10年も前に決着がついている筈なのに」


「さあな。だが、簡単に勝てない相手であることは確かだ。ここからは、一段と気を引き締める必要がありそうだな」


 私たちはそう言い合って、さらに建物の奥へと駆けていった。

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