第27話 ぶちギレるママたち(中編)

 目の前に熊のぬいぐるみがあった。


 手のひらに収まるくらいの大きさのぬいぐるみだ。

 指で触れると、もこもこした気持ちいい感触が伝わってくる。

 

 その部屋には、同じようなぬいぐるみが大量に並べられていた。

 熊だけじゃなく、ウサギとか、リスとか、色々と種類があるみたいだ。

 でも、どれもデザインがちょっと独特っていうか……微妙に不細工だった。

 ブサカワっていうんだろうか、こういうの。


「ええと、これってどうしたら動くんだっけ? スズ母さん」


「首の後ろに、ごつごつした部分がある。それを押せば動く」


「ごつごつした部分……? あ、これのことかな?」


 俺の指が、ぬいぐるみの首元の硬い部分に触れた。

 そこだけ金属で、明らかに他と感触が違う。


「えいっ!」


 俺の甲高い掛け声とともに(自分の声ながらちょっとムカつく)、金属の部分が押し込まれる。

 すると、かちっ、という音がして……ぬいぐるみの熊が突然、独りでに起き上がった。


「わっ! すごい!」

 

 熊はまるで生きているみたいに、その場でダンスを踊り始めた。

 耳を澄ませると、身体の中から金属音みたいなものが聞こえてくる。

 たぶん何かの仕掛けがあって、スイッチを押すと勝手に動くようになっているんだろう。


「本当にすごいね、スズ母さんは! こんな玩具、スズ母さんの店以外のどこでも売ってないよ!」


「……ありがとうフェリクス」


 スズは、その部屋の中央の椅子に座っていて、別のぬいぐるみを作っているところだった。


 作りかけのぬいぐるみは、身体の半分くらいがまだ出来上がっていない。

 剥き出しの中身には、歯車みたいなよく分からない部品がぎっしりと詰め込まれていた。

 スズは手に握ったネジ回しで、その部品の一つ一つを丁寧な手つきで締めていく。


「でも、こうして作っている所を見ていても、さっぱり分からないなぁ。どうして、ぬいぐるみを勝手に動かしたりできるの? あとそれ、なんのぬいぐるみ?」


「……別に、なにも難しいことはない。フェリクスも、少し練習したらすぐに作れるようになると思う。これは猫のぬいぐるみ。見たら分かるでしょ?」


 ぬいぐるみから視線を外さずに、スズは答えてきた。

 ……言われてみたら、猫って分かるけど、やっぱりちょっとだけ不細工だった。

 なんか、ゆるキャラとかにありそうなデザインなんだよな。

 絶妙に可愛くない。


「まあ、他のお店では売っていないというのは、フェリクスの言う通りかもしれない……この仕掛けは、スズ母さんが実家にいたときに習った技術が元になっているから」


「……え? でも、スズ母さんの実家って、玩具屋さんじゃなかったよね?」


「……うん、そう。とても世間様に顔向けできないような、血塗られた一族」


 スズのネジを締める手が止まった。


「フェリクスには、前に話したよね? お母さんの生まれた所が、どんなに怖い所だったか」


「…………暗殺者の一族、だったっけ。それは確かに聞いたよ――だけど、スズ母さんが人を殺したことは一回もないし、もうその実家との付き合いも全然ないんでしょ?」


「そうだけど……私の中に、一族の血が流れていることは変わらないから」


 スズはネジ回しを台において、悲しそうに溜め息をつく。


「そんな私が、よりにもよって玩具を作るだなんて……いくらお金を稼ぐためとはいえ、許されることではないのかもしれない。この玩具の仕掛けは全部、リヴィングストンの血塗られた技術によるもの。こんなの、子供たちの手を間接的に汚させているのと変わらない」


「なにそれ……スズ母さんの玩具は、汚くなんかないと思うけど」


「……フェリクスは優しい。でも、これは本当のことだから」

 

 そう言ってスズは、俺の方に身体を向けてきた。


「フェリクスは、今のお母さんしか知らないでしょ? あなたが生まれて来る前のお母さんは、とても冷たい人間だったの。確かに殺しをしたことはなかったけど、人の命を奪う一族の仕事について、何の疑問も持っていなかった。変われたのは、フェリクスと……他のみんなのおかげ」


「他のみんな……?」


「エレン、ディーネ、イヴリン、プリシラ……あの子たちと暮らしていくことで、私は少しだけまともになれた。それまでの自分の価値観が、どれだけおかしなものだったか、気付くことができた。あの子たちには、感謝してもしきれない。あんなに心の綺麗な子たちは、他にいない」

 

 スズの表情が、少しだけ緩む。

 でも、すぐにいつもの無表情に戻って、


「だから、5人のお母さんの中で、私だけが綺麗じゃない。私の身体だけ、汚れている……いつも考える。どうしてフェリクスのお母さんに、私なんかが選ばれてしまったんだろうって。そのせいでフェリクスの中に、余計なものが混じってしまった。あの子たち4人だけで十分だったのに……そう思うと、フェリクスが可哀想で、可哀想で」


「…………スズ母さん」


「…………ごめん。こんなの、フェリクスにすべき話じゃなかった」

 

 俺の表情を見て、スズは決まりが悪そうに目を逸らした。


「……あの、お母さんはもう少し作業をしていくから。フェリクスは、先に戻ってて。そろそろご飯の時間の筈」


「…………」


「……フェリクス?」


「――スズ母さんっ!」

 

 俺はスズに抱き付いていた。


「きゃっ!?」

 

 珍しく慌てたようなスズの声が耳元に響いてくる


「ふぇ、フェリクス……いきなり、どうしたの?」


「……そんな寂しいこと、言わないでよ。僕、絶対に嫌だよ、スズ母さんがお母さんじゃないなんて」


「……え?」


「僕、スズ母さんのこと、大好きだもん……暗殺者の一族がどうだとか、そんなのどうでもいい。もしスズ母さんに何か言う奴がいたら、僕が許さない」


「……フェリクス」


 ぎゅっ、と強い力で、スズが抱きしめ返してきた。


「…………。ごめんフェリクス。お母さん、どうかしていた。さっきのことは忘れてほしい」


「……うん。でも、二度とあんなこと言わないでね?」


「言わない。約束する――それはそうと、良かったの? もうくっついたりするの、恥ずかしいって言ってなかった?」


「…………それは、今は別に、誰も見てないから」


「……そう。フェリクスは本当に甘えん坊さんだね」

 

 ちゅっ、ちゅっ……と、5回くらい唇が重なる音が響いた。


「……そういえば、甘えん坊なフェリクスに、スズ母さんからプレゼントがあったんだった」

 

 抱き付いた体勢のままで、スズは台に手を伸ばして、何かを手に取った。


「……? それ、なに?」


「首につけるアクセサリー。スズ母さんが作った」

 

 手渡されたそれは、紫色の輪っかだった。

 何か硬い素材で着ているみたいで、指で叩くとこつこつと音が鳴る。


「うわぁ、ありがとう! スズ母さんの手づくりなんて、すごく嬉しい! 大切にするね!」


「喜んでくれて良かった……それ、作るのに1年くらいかかったから」


「……1年?」


「うん……新機能を実装するのに、思いのほか手こずった」


「……ええと」


「それは発信機。どこからでも、フェリクスの居場所が手に取るように分かる。一日中、フェリクスの動きを監視することができる……とても安心」


「……?」


「これでスズ母さんが、ずっとずっとずっとずっとずっとフェリクスを守ってあげられる」


 俺の首筋を、スズのひんやりとした掌が撫でた。


「ひゃっ!?」


「分かってフェリクス、これは愛なの」


「愛……?」


「お母さんあなたが健康に育つためならなんだってする。どんな危険も予め排除するし、怪我なんて絶対にさせないから」


 穏やかだけど、どこか狂気じみた声色で、スズはそう囁いた。

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