第26話 ぶちギレるママたち(前編)
屋上に出ると、全身に冷たい風が吹き付けてきた。
いつの間にかだいぶ日も傾いていて、空の色は赤い。
廃墟の外にはだだっ広い荒野が広がっていて、屋上からだとかなり遠くの方まで見渡すことができる。
そんな荒野の向こうから、5つの人影がゆっくりと歩いてくる。
まず1人目は、全身に鎧を着こんで、完全に武装している。
手に握っているのは長い槍だ。
鎧も槍も、とても重量がありそうなのに、本人に足取りは軽やかそのものだった。
2人目は、とんがり帽子を被って、魔女みたいな格好をしていた。
さっき部屋の中でみたヨランダの格好とそっくりだ。
でも帽子の唾の部分に入っている赤色が、ヨランダの紫色とは違う。
3人目は……変な格好だった。
身体にぴったりと張り付く無地の服に、太ももと二の腕を網タイツで覆っている。
なんていうか、くのいちっぽいというか……ちょっとだけ、目のやり場に困るコスチュームだ。
4人目は、今までの3人とは毛色が違った。
所々に良く分からない刺繍の入った、教会のシスターが着るみたいな修道服? を着ている。
こっちも身体のラインが出やすい作りなのか、胸の部分の膨らみが異常に目立っていた。
最後の5人目は、さっき闘技場で俺と話していたときと変わらない、普段通りの格好だった。
たった一つ違うのは、その右手に一本の剣が握られていることだ。
まるで、自分にはこれだけあれば十分、とでも言わんばかりに。
「ま、まちがいない、あの女どもだっ! しかも、あの出で立ち……7年前とまったく同じ……っ!」
俺の真横からは、エルゴのがちがちと奥歯を鳴らす音が聞こえてくる。
さっき部屋の中にいた連中は、みんな屋上についてきていた。
もちろん、縛られたままのアリエッタも一緒だ。
5つの人影――エレン、ディーネ、イヴリン、プリシラ、スズの5人のは、廃墟の入り口付近で足を止めて、屋上の方を見上げてきた。
すぐに俺と目が合う。
「…………っ! ああ、フェリクス……無事だったんですね!」
まず聞こえてきたのは、心の底からほっとしたようなディーネの声だった。
「で、ディーネ母さん……」
「ごめんね、来るのが遅くなっちゃって……大丈夫? 怪我してない?」
「う、うん……今のところは、ほぼ無傷だけど……」
「良かった……もう少しだけ、そこで我慢していてくださいね、フェリクス。それにアリエッタちゃんも。お母さんたちが、すぐに助けにいきますから」
ディーネは優しい声でそう言ってくれたけど、顔はニコリともしていなかった。
「…………っ」
思わず、背筋が寒くなる。
なんだ、今の表情……?
それに雰囲気が……なんだか、いつもと違うような。
「――あ、あなたたちっ、なぜここが分かったのですか!」
唾を飛ばしながら、エルゴが叫ぶ。
「我々がここを拠点にしていることは、誰にも知られていない筈! それなのに、どうやって……っ!?」
「…………ああ。あなたでしたか」
エルゴの存在に気付いて、ディーネはそっちに視線を移した。
「どこの愚か者の仕業かと思えば……確か、エクボさんでしたっけ? なんとかっていう、大陸のうさんくさい宗教の」
「え、エルゴですっ! ……ふふっ、7年ぶりですね、ディーネ・ストラトスさん。私は今日まで、あなたの顔を忘れたことはありませんでしたよ」
エルゴはハンカチで汗を拭いながら、
「あ、あなたも、忘れたとは言わせませんよ……我々の教祖様を見捨てたこと。あなたのせいで、我が『救世の光』は無茶苦茶だ!」
「……はあ。知りませんよそんなの。だから、人の寿命は私でもどうすることもできないって、7年前もちゃんと説明したじゃないですか」
面倒くさそうに、ディーネは溜め息をつく。
「私、言いましたよね? 『二度とこの国に足を踏み入れないでくださいね』って。まさか、その警告すら忘れてしまうほど、頭の残念な人たちだとは思いませんでしたよ……フェリクスを攫った目的はなんですか? 今さら前回の復讐にきたわけでもないでしょう?」
「ふっ……仰る通りですよ。あなたたちに対する恨みなど、もはやどうでもいい。我々の目的はフェリクスくん、そのものです」
「……フェリクスそのものが目的?」
「フェリクスくんには、『救世の光』の教祖になっていただきます。彼を中心に、我らの教団は生まれ変わるのです。より大きく、より大勢の信者を導けるような組織に、ね」
「…………は?」
ぴりっ、と空気の張り詰める音が聞こえた気がした。
「…………フェリクスが、あなたたちの教団の教祖? なんですか? その、不愉快極まりない冗談は?」
「――ひっ!?」
そう短く悲鳴を上げたのは、エルゴじゃなく、俺だった。
「…………最後に一度だけチャンスをあげましょう、エルゴさん。そこにいるフェリクスとアリエッタちゃんを、今すぐ私たちに引き渡してください。それから今日の内にこの国を出て、もう二度と戻ってこないと約束するなら、今回のことは特別に水に流してあげます」
……やっぱり、何か変だ。
いつもニコニコしていて、俺に優しく話しかけてくれるディーネは……こんな、今にも人を殺しそうな目で、誰かを睨み付けたりしない。
顔だけ同じの、別人が話しているのを見ているみたいだった。
「……ふ、ふんっ! なにを偉そうに! どうやら、自分たちの状況が理解できていないみたいですね!」
ぱちんっ、とエルゴが指を弾く。
すると、廃墟の入り口から大勢の白ローブたちが一斉に飛び出してきて、たちまち5人を取り囲んでしまう。
「いきなりあなたたちが現れたことには驚きましたが……考えてみれば、呼び出す手間が省けただけですね。ごらんなさい、この兵隊の数を!」
ドヤ顔を浮かべて、偉そうにふんぞり返るエルゴ。
「……なるほど。数で圧し切ろうという考えですか。よくもまあ、これだけの人数を集めましたね」
360度を敵に囲まれても、ディーネは表情一つ変えなかった。
「7年前と同じように行くと思ったら、大間違いですよ! 今日のために、我々がどれだけの準備をしてきたか……いくらあなたたちでも、この数を一度に相手取ることはできない筈だっ!」
じわじわと、白ローブたちはディーネたちの方へ距離をつめていく。
全員、手には当然武器を持っている……一斉に襲い掛かられたら、たぶんひとたまりもない。
「――こ、こいつの言う通りだ! 逃げてくれ、みんな!」
思わず俺は、ディーネたちに向かって叫んでいた。
「お、俺のことは、俺がなんとかするから……このままじゃ、みんな殺されるっ!」
そんなことを言って、自力でここから脱出するアテがあるわけじゃない。
それでも、この人たちが俺のために傷付いていくのをただ眺めるのなんて、堪えられなかった。
「…………フェリクス」
俺の呼びかけに、ディーネはびっくりしたような顔を浮かべて、
「……もう、なんでそんなに優しいんですか、あなたは。こんなときにまで、お母さんたちの心配ばかり」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないだろ! いいから、早く逃げろって!」
「…………安心して、フェリクス。何も問題ないから」
「……え?」
俺がそんな間の抜けた声を漏らしたのと、同時だった。
ばたばた、という音が連続して響く。
ディーネたちを取り囲んでいた白ローブたちが……突然、1人残らずその場に倒れ込んだ。
「…………は?」
「残念でしたね、エルゴさん……虫けらをいくら集めようと、虫は虫です」
白ローブたちは倒れ込んだまま、ぴくりとも動かなくなる。
その中心にいるディーネたち5人は、全員無傷だ。
「こんな風に殺虫剤をばら撒けば、みんな簡単に駆除できちゃいますよ、うふふふふ……」
ディーネは口元に手を当てて、ぞっとするような冷たい微笑みを浮かべていた。
「……さ、殺虫剤!? い、意味が分からない!? なんですかこれは!?」
「うふふ、不思議ですか? 何も難しいことはありませんよ。エルゴさんもご存知の『癒しの加護』を、少しばかり応用しただけです」
「お、応用……?」
「『癒しの加護』は、自分の生命エネルギーを他人に分け与えて、傷を癒す力……私は今、その流れを逆転させて、この人たちの生命エネルギーを吸い上げたんです。私の力には、こんな使い方もあるんですよ」
唖然としたままのエルゴを放置して、ディーネは一方的に捲し立てていく。
「私はこれを『エネルギードレイン』と呼んでいます。まあ、ある程度精神力の強い相手だと、直接肌に手を触れたりする必要があるんですが……さすがあなたの部下の方々ですね。広範囲に力を放つだけで、簡単に生命エネルギーを搾り取らせてくれました」
ディーネは満足そうに白ローブたちの山を見渡したあと、思い出したみたいに、
「あ、もちろん、命までは取っていませんよ? ギリギリ半殺し程度に留めています。フェリクスの前で、そんな惨いことはできませんからね」
「……ディーネ、そのことなんだけど」
そこでスズが口を開いた。
「……呼吸音を聞くかぎり、全員、かなり衰弱している。このまま同じ負荷の『エネルギードレイン』をかけ続けたら、恐らく死者が出ると思う」
「え? 本当ですか? それは弱りましたね……」
ディーネは一瞬困り顔になったけど、
「この程度で死にかけるなんて、どこまでも根性のない虫けらどもですね……まあ、いいでしょう! 死んでしまったら、死んでしまったで、また後で生き返らせればいいいんですから!」
すぐに笑顔に戻って、納得したように頷いた。
「私の力って、こういうときは本当に便利なんですよねー。あとでぜーんぶやり直せるから、ぶち殺したい相手をぶち殺し放題……うふふふふ」
「………………」
目の前で起こっていることに、理解が追い付かなかった。
俺の知っているディーネは、こんな恐ろしい笑顔を浮かべたりしないし、『ぶち殺す』とか絶対に言わない。
よく見たら、笑っているのは口元だけで、目とか血走っているし……。
「……ちょ、調子に乗るなよ、ゴミめがっ!」
と、急にエルゴがこっちに近づいてきて、俺を地面から引っ張り上げた。
「ほら、よく見なさい! こ、こっちには人質がいるんです! 大切なフェリクスくんが、どうなってもいいんですか!?」
「……うっ!」
首根っこを鷲掴みにされて、呻き声が漏れた。
エルゴは恐怖でわけがわからなくなっているみたいで、俺の首を必要以上に締め上げてくる。
呼吸ができないほどじゃないけど……かなり痛い。
「……ああっ、フェリクスっ!」
首を掴まれた俺を見て、ディーネは悲痛そうに顔を歪めた。
「ふふっ、そうです! その顔です! いい気味だ……やはりあなたたちを苦しめるには、この子を利用するのが一番らしい!」
ぐぐっ、とまた首にかかる力が強まる。
「こんな細い首、ちょっと力をかけるだけですぐに折れてしまいそうですね……さあ、どうしますか? フェリクスくんがこれからどうなるかは、あなたたちの出方次第です」
「…………う、ううっ!」
「さあ! 武器を捨てなさい! 我々に投降するのです! 一刻も猶予もありませんよ! ふふふふふっ……あれ?」
そこで不意に、エルゴの掌から力が抜けた。
「……っ!? けほっ、けほっ!」
思いがけず解放された俺は、その場に倒れ込んで、激しく咳き込む。
「…………?」
きょとんとした顔で、エルゴは俺の首元を見つめていた。
「……フェリクスくん。なんですか、それは?」
「けほっ、けほっ……え?」
「その……首輪みたいなものは」
「…………?」
俺は言われてはじめて、自分の首に何か付けられていることに気付いた。
手足が動かせないから、ちゃんと確認できないけど……。
たぶんチョーカーだ、これ。
「……な、なんだこれ?」
こんなの、つけた覚えがない。
朝風呂に入ったときとかは、絶対についてなかった筈だ。
いつの間に……?
「うっ!?」
そこでまた、例の頭痛が襲ってきた。
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