第24話 誘拐犯の一味(中編)

「……『救世の光』?」


 分かりますよね? とか訊かれても、ふつうに初めて聞く単語だった。


「……? まさか、知らないのですか? 信じられませんね、いくら辺境の島国とはいえ、我々の名前を耳にしたことがないなどと……そちらのお嬢さんはどうです?」


「……え?」


 急にエルゴに話を向けられて、アリエッタは怯えたように声を上ずらせた。


「……う、噂くらいなら、師範から聞いたことがある……あります、けど」


「ほう。どんな噂ですか?」


「ええと……なんか最近、大陸の方で流行っている新興宗教だって」


「……ふむふむ」


 エルゴは何度も頷いたあと、満足そうな笑顔を浮かべた。


「やはり、我々の名前はこんな田舎にまで轟いているようですね――その通り、『救世の光』と言えば、大陸で知らない者はいない一大宗教です。歴史こそ浅いですが、迷える民人を救いに導くため、日々活動しています」


「…………よく言うぜ。とんだ悪徳宗教だろうが、お前らは」


 横合いから、馬鹿にするような調子でラクセルが口を挟んできた。


「有名なんだぜ、こいつら。頭の弱い信者どもから金を搾り取ることしか考えてない、宗教の皮を被った詐欺集団ってな」


「…………ラクセルさん。今は私が話しているのですが」


 エルゴは引きつった笑顔で、ラクセルの方を睨みつける。


 ……新興宗教、なるほど。

 言われてみたら、この白ローブどもの雰囲気はいかにもそれっぽかった。

 どいつもこいつも、なんか生気のなさそうな顔をしているし……日本にいたとき、『宗教にのめり込む若者』って特集をニュースで見たことがあるけど、ちょうどこんな感じだった。


「まあ、我々のことをそんな風に揶揄する輩が存在するのは事実です。教団を大きくするためには、どうしても資金が必要になりますからね……ですが、我々は断じて悪徳宗教などではありません」


「……別にそれはどうでもいいけど、つまりあんたは、その『救世の光』って組織の副リーダーってことか? 今さっき、教祖代理とか名乗ってたってことは」


「……いいえ違います。現在は、この私こそが『救世の光』のリーダーです」


「……?」


「君の言う通り、元々はナンバー2の立ち位置でしたが……7年ほど前に教祖様が亡くなられてから、暫定的にその立場を引き継いだのです。ゆえに、教祖『代理』というわけですね――ところで」


 そこで突然、エルゴの顔が至近距離に迫ってきた。


「……まだ思い出しませんか? 君と私は、7年前にも一度会っているのですが?」


「……は?」


「まあ、君はまだ小さかったですからね……いいでしょう。そこから説明します」


「…………? ?」


「7年前のことです……当時90歳になったばかりの教祖様が、ある日突然倒れて、危篤状態になりました。それまで病気など一度もかかったことのない、壮健な方だったのですが、お年には勝てなかったということなのでしょう。すぐに医者を呼びましたが、もう手の施しようがありませんでした。いわゆる、寿命というやつですね。

 しかし、教祖様は特別なお方です。迷える民衆を救いに導くという使命を帯びておられる以上、その命が失われることなどあってはなりません。我々はあらゆる情報網を通じて、教祖様をお救いする手段を探しました。

 そして噂を耳にしたのです――大陸から遠く離れた島国に、どんな傷も病も癒すことのできる聖女がいるとね」


「…………それって」


 俺は1人のおねーさんの顔を思い浮かべる。


「ええ。君の母親の1人、ディーネ・ストラトスです……我々は藁にもすがる思いで、彼女に教祖様の治療を依頼しました。頼れる相手はあなたしかいない、お礼なら望むものをいくらでも差し上げますから、と」


「……それで、ディーネ母さんはどうしたんだ? 治療を引き受けたのか?」


「いいえ、断られてしまいましたよ。『本当にお気の毒ですが、寿命ではどうしようもありません。私の力でも、老衰だけは治療することができないのです。どうか残された時間を、ご家族と悔いのないように過ごされてください』……などと、勝手なことを抜かしてね。もちろん、我々はそんな説明では納得しませんでした。無理でも何でも、やってもらわなくては困るのですから」


「…………はあ?」

 

「やむなく私たちは、ディーネ・ストラトスに無理やり言うことを聞かせることにしました。本当は話し合いで解決したかったのですが、彼女がそんな駄々をこねるものですから、ね」


 ……何言ってんだこいつ?

 やってもらわなくては困るって……だから、寿命じゃどうしようもないってディーネは答えたんだろ?

 なんで、引き受けないディーネが悪いみたいになってるんだ?


「まあ、力づくで教祖様の御前に連行してもよかったのですがね。若い女性相手に、それはあまりに忍びないでしょう? そこで我々が目をつけたのが、フェリクスくん――当時5歳の君だったのですよ」


「……俺?」


「5人の母親から産まれた子供、なんて馬鹿馬鹿しい話、もちろん我々は信じていませんでしたが……ディーネ・ストラトスは、君のことを溺愛している様子でしたからね。良い人質になると思いました」


 ……人質って。

 つまりこいつら、まだ小さかった俺を誘拐して、ディーネに言うことを聞かせようとしたってことか?


「……最低だな、お前ら」


「何が最低なものですか。考え得る限り、もっとも平和的な行動を取ったという自負がありますよ」


 臆面もなく、エルゴはそんな屁理屈を言ってのける。


「……ええ、そうです。我々はあくまで穏便に事を収めようとした。なのに、あの女どもは」


「…………?」


「……あ、あの女どもは。我々が子供を攫おうとしているのに、すぐに勘付いて」


 がちがち、と奥歯の鳴る音が聞こえてくる。


「それまで優しい顔を浮かべていたのが、嘘だったように……お、鬼のような形相で、我々に襲い掛かってきて……」


 いつの間にか、エルゴの顔からは血の気が完全に失せていた。


「我々が何か釈明しようとしても、一切聞く耳を持たず……恐ろしい、理不尽なまでの暴力の前に、我々の部隊は一瞬で壊滅しました……しかも、本部に逃げ帰ろうとする我々を、どこまでもどこまでも追いかけてきて……あのときは、生きた心地がしなかった……ひ、人の皮を被った悪魔ですよ、あの女どもはっ! この国に、あんな化け物が5匹も棲んでいるなんて、聞いていなかった……っ!」


「…………」


 俺は呆然とエルゴの話を聞いていた。

 鬼のような形相で襲い掛かった?

 恐ろしい、理不尽なまでの暴力?

 逃げる相手を、どこまでもどこまでも追いかける?


 そんな馬鹿な……あの優しいおねーさんたちが、そんな怖いことをする筈ない。

 とてもじゃないけど信じられなかった。


「うう、恐ろしい……」「7年前、思い出すのも嫌だ……」「青と緑と黄色と赤と紫の死神が追いかけてくる……」「と、特に緑が怖い……」「緑だけは、二度と会いたくない……っ!」


 でも、様子がおかしいのはエルゴだけじゃない。

 部屋にいる他の白ローブの連中も、同じように顔を青くしている。


「結局、我々は君の誘拐に失敗し……そのあとすぐに、教祖様も亡くなられました。ディーネ・ストラトスを連れて来られなかった我々は、激しく糾弾されましたよ。教祖様をお救いできなかったのは、お前たちのせいだ! とね」

 

 苦々しそうに表情を歪めながら、エルゴは吐き捨てるように言う。


「さらに、教祖様という偉大な指導者を失った教団は、みるみる内に弱体化していきました……現在では、最盛期の3分の1ほどの勢力しか残っていません。7年前、教祖様のお命を救うことさえできていれば、こんなことにはならなかった……ディーネ・ストラトスさえ、大人しく言うことを聞いていれば」


「……なるほどな。なんとなく見えてきたぞ、お前たちの目的」


 しばらく黙って話を聞いていた俺は、そこで口を開いた。


「つまり、今回俺を誘拐したのは、その復讐ってわけなんだな? お前たちは、7年前のことを未だに恨んでいて、今度こそディーネ母さんたちに痛い目を見せてやろうとしている。でも、普通にやったら勝てないから、俺を人質にすることにした。だからここまで運んできた」


 とんでもない話だと思った。

 その教祖とかいうよく分からないおっさんが死んだのも、そのせいでこいつらの教団が弱体化したのも、ディーネたちには一切、なんの責任もない。

 こんなの、逆恨みもいいところだ。


「……復讐? ふふっ。何を馬鹿なことを。我々は、そんな非生産的な行いはしませんよ」


 でも俺の言葉は、にやにや笑いを取り戻したエルドに、すぐに否定される。


「今回我々が君を誘拐したのは、君自身に用があるからですよ、フェリクスくん」


「……え?」


「教団を立て直すには、教祖様に変わる新たな象徴が必要なのです……そしてそれは、私では務まらない。もっとカリスマ性があって、神秘的で、多くの信者の心を掴むような存在でなければならない」


 熱に浮かされたみたいな口調で、エルドは言葉を捲し立てていく。


「5人の母親から産まれた……しかも、その母親たちはみんな純潔だった。ええ、とても神秘的なエピソードですよね。真実かどうかはともかくとして、いかにも『それっぽい』。大衆というのは、そういう人智を越えた存在を心のよりどころにしたがるものですから」


「…………な、何の話だよ?」


「『救世の光』の、教祖になってください、フェリクスくん……君の生い立ちは、『神の子』を名乗るのにうってつけなのですよ」

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