第22話 忍び寄る魔の手(後編)

「…………え?」


 目の前の光景に、頭がついていかなかった。


 アリエッタは、何がなんだか分からないという顔で固まっていた。

 首からは、噴水みたいに血が噴き出している。

 しばらくしてその場に崩れ落ちた。

 流れ出した大量の血液が、地面に広がっていく。


 ……は? なに? なんだよこれ?


「――人が死ぬ所を見るのは初めてか? ガキ」


 横から声が聞こえてきて、俺は弾かれるようにそっちを向く。

 

 そこには、見たことのない大人の男が立っていた。

 20代後半くらいの、若い男だ。

 片手には、先端が真っ赤に染まった剣が握られている。


「勉強になってよかったな。人間は、こんな風に簡単にくたばるんだぜ」


 男は俺を見下ろしながら、ぞっとするような冷たい笑みを向けてきた。


「……っ、な、なんだよお前! アリエッタに、なにしてんだよっ!」


「……『お前』?」


 俺の言葉を聞いて、男は不愉快そうに顔をしかめる。


「なんでお前みたいなガキに、『お前』なんて呼ばれなくちゃいけないんだ? あ?」


「――やめなさい! その子供に傷をつけることは許しませんよ!」


 今度は別の声が聞こえてきた。


「――え?」


 そこで初めて気付いたけど、俺たちはいつの間にか大勢の人間に取り囲まれていた。

 ほとんど全員、白いローブみたいな、変な服を着ている。


「……な、なんなんだ!? 誰だよ、お前ら!」


「……フェリクスくん、ですね?」


 白いローブ姿の男の一人が、腰を下ろして俺の顔を覗き込んできた。


「久しぶりですね。我々のことを憶えていますか?」


「……?」


「ふっ、憶えていないませんか……まあいいです。こんなに大勢で取り囲んで、怖がらせてしまいましたか? もしそうなら、悪いことをしました」


 ローブの男は申し訳なさそうに言ってから、


「単刀直入に言いますが、我々は君に用があるのです。一緒に来てもらいたい」


「……は?」


「もちろん、君に拒否権はありません。嫌だと言うなら、力づくで連れていくことになります」


 男は優しそうな笑みを浮かべていたけど、目はぜんぜん笑っていなかった。


「悪いことは言わねーから、大人しくしとけや、ガキ」


 畳みかけるように、剣を持った男が恫喝するみたいな口調で言ってくる。


「ごちゃごちゃ抜かすようなら、お前もそっちのガキと同じ目に遭わせてやるからな」


 目の前ではアリエッタが、びくん、びくん、と痙攣を繰り返していた。


「……いい加減にしてください、ラクセルさん。この子供に傷をつけるのは許さないと言ったでしょう。だいいち、こんな町中で殺しをやるだなんて、聞いていませんよ?」


「うるせぇな。必要なのはこっちのガキだけなんだろ? だったら、もう片方は荷物になるだけじゃねぇか」


「……だからと言って、殺すことはなかったでしょうに」


「はっ。俺はガキが大嫌いなんだよ。弱い癖にぎゃーぎゃー鬱陶しくて、見るだけで殺したくなるんだ。1匹ならまだしも、2匹もおもりするなんて御免だぜ」


 ……時間が経つにつれて、俺の頭はだんだんと落ち着きを取り戻していった。

 そうだ、こいつらが何者かとか、今はとりあえずどうでもいい。

 大事なのは、目の前で倒れているアリエッタだ。

 この出血の量……俺には医療の知識なんてないけど、絶対にヤバい。


「お、おい! お前ら、誰だか知んねーけど、まず医者を呼んでくれよ! このままじゃ、アリエッタが死ぬ!」


「……あー? アリエッタ? このガキのことか?」


 剣の男は、鬱陶しそうにアリエッタに視線を向けた。


「アホかお前、この傷で助かるわけねーだろ。手遅れてってやつだ。諦めろ」


「あっ……諦められるわけないだろ! 人の命がかかってるんだぞ!」


「……ちっ、うぜぇな」


 ずしゃっ。


 という音が響いた。


「ほら、トドメ刺しといたぞ。満足か?」


 アリエッタの小さな頭に、剣が深々と突き立てられていた。

 びくんっ、と大きく跳ねたのを最後に、アリエッタの身体はぴくりとも動かなくなる。


「…………」


 言葉が出なかった。

 頭に剣を突き刺されて、生きていられる人間なんて、いる筈がない。


 ――アリエッタは目を見開いたまま、完全にこと切れていた。


「…………あ、ああ」


 目の前が、真っ白になる。

 強烈な頭痛と一緒に、意識が飛んだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――死んじゃった?」


 エプロン姿のディーネが、穏やかな声で問い掛けてくる。


「う、うん……その筈だったんだけど」


 俺は震えながら言葉を返した。


 屋敷の台所だった。

 近くの窓から夕陽が差し込んできている。

 近くには、俺とディーネ以外、誰もいない。


「僕が見つけたときには、もう血まみれだったんだ、その猫。どこかで怪我をしちゃったみたいで、お腹に大きな傷が出来てて。何度か呼びかけてみたけど、反応もなくて……」


「うん。それで?」


「それで……でも僕、なんとかしてその猫を助けてあげたくて。だから、ずっと傷口を手で押さえてたんだ。そうしたら」


「…………」


「手から……なんか、緑色の光みたいなのが出てきて。その光に当たった途端に、猫が元気になったんだ。さっきまで動かなかったのが、嘘だったみたいに。僕、なんでそんなことになったのか、ぜんぜん分からなくて……怖くて」


「…………そう」


 話を聞き終えて、ディーネはゆっくりと頷いた。


「……フェリクスにも、受け継がれてしまいましたか」


「……ディーネ母さん?」


「もしかしたらとは思っていましたが……これも運命ですね」


 ディーネは調理台に置いてあった包丁を手に取って、


「いいですかフェリクス? よく見ておきなさい」


 自分の指先を、軽く切り付けた。


「――っ!? な、なにしてるのディーネ母さん!?」


「心配しないでフェリクス。大丈夫だから」


「だ、大丈夫って……っ!?」


 当時の俺の息を呑む音が聞こえた。

 ディーネの指先から緑色の光が出てきて、傷口がみるみる塞がっていったからだ。


「猫ちゃんの傷を直した光というのは、これのことでしょう?」


「……そうだけど。ディーネ母さんにも、同じことができるの?」


「ええ。これはディーネ母さんとフェリクスにしか使えない力です……ディーネ母さんの一族に受け継がれている、癒しの加護」


「癒しの加護……?」


「この力のことは、神聖教会の中でも一部の人しか知りません。いらぬ混乱を招きますからね。フェリクスも、人前でむやみにこの力を使ってはいけませんよ?」


 ディーネはそう言って、俺の掌をそっと掴んだ。


「これはね、フェリクス。亡くなってすぐなら、死人だって生き返らせることができる、恐ろしい力なの。フェリクスに、こんな力は背負わせたくなかった……でも、受け継いでしまったからには、あなたも正しい力の使い方を覚えなくてはいけませんね」


「……ど、どういうこと? よく分からないけど、僕が猫を助けたのは、いけないことだったの?」


「そんなことはありません。フェリクスは正しいことをしたと、ディーネ母さんも思います……ただ、今度からその力を使うときは、本当にそうすべきなのか、よく考えるようにしてほしいの。それが癒しの加護を受け継いだ者の、最低限の責任だから」


「……?」


「例えばディーネ母さんは――今までフェリクスが外で擦り傷を作っても、この力で治すようなことはしなかったでしょ? もちろん、本当はなんでも治してあげたかったけど……そんなことをしたら、フェリクスが怪我を怖がらない子に育ってしまうから。だから我慢したの」


「……うん」


「でも、もしフェリクスが大怪我を負ったら、お母さんは迷わず力を使います。それが、力を使うべき瞬間だと確信できるから……お母さんの言っている意味、フェリクスは分かるよね?」


「……なんとなく。でも、難しいよ、ディーネ母さん。怪我をしている人の前で、治すべきかどうかすぐに決めるなんて、僕にはできないと思う」


「いいえ、できます。フェリクスは賢い子なんですから」


 ディーネはぽんぽん、と俺の肩を優しく叩く。


「ディーネ母さんは、フェリクスの頭の良さを誰よりも信頼しています。フェリクスが『本当にそうすべき』と思ったなら、迷わず行動していいんです。きっとそれが正解なんですから」


「……でも、もしそれで間違えたら?」


「そのときは、ディーネ母さんも一緒に怒られてあげます。だから、フェリクスの思う通りにやりなさい」


 そう言ってディーネは、俺に優しくキスをした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――!? な、なんだと!?」


 白ローブの男たちの、驚くような声が聞こえてくる。

 でも、そっちを気にしている余裕なんてない……アリエッタに集中するので、精一杯だ。

 考えるまでもなかった。

 今が『本当にそうすべきとき』じゃないなら、こんな力、なんの意味もない。


「……信じられません。この少女は、確かに死んでいた筈なのに」


 緑の光に包まれたアリエッタの身体には、もう傷なんて跡形もない。

 心地よさそうに胸を上下させて、完全に息を吹き返していた。

 ぐったりとしたままで、意識はまだ戻っていないみたいだけど、命の危険はなくなった筈だ。


「……はぁ、はぁ」


 俺はアリエッタにかざしていた手を引っ込める。

 全身から力が抜けて、立ち上がる気力も残っていなかった。

 記憶を取り戻してから、初めて使った……『癒しの加護』か。

 とんでもない力だ。

 一度は完全に死んでいたアリエッタを、生き返らせることができるなんて。


「う……うう……」


 でもやっぱり、これだけの力を何のリスクもなしに使うことはできないってことなんだろう。

 身体の中の生命エネルギーみたいなものが、根こそぎ持っていかれたって感じだった。

 もう1回同じことをやるのはたぶん無理だ。

 俺の身体の方が持たない。


 くそっ……今は寝ている場合じゃない。

 早くアリエッタを連れて、この場から離れないといけないのに。


「……ディーネ・ストラトスと同じ力、ですか。くく、まったく信じがたいな。この少年は、一体どれだけの才能を、母親たちから受け継いでいるのでしょうか」


 生き返ったアリエッタを眺めながら、さっき俺に話しかけてきた白ローブの男が、気味悪く笑った。


「教祖代理……ではやはり、この少年が」


「ええ。まさしく我々の救い主となるでしょうね……こんな辺境の島国にまで、わざわざやってきた甲斐がありました」


 ……教祖代理?

 なんだそれ? この白ローブの男の名前か?


「彼はもう動けないようですから、今の内に拠点まで運びます。急いでください……早くしないと、あの母親どもに見つかってしまう」


「けっ。コソコソしねーでも、俺が全員ぶっ殺してやるのによ、そんな女ども」


 剣の男が、面白くなさそうな口調で言う。


「お前ら、恥ずかしくねーのか? たかが女ごときにビビり倒してよ。しかも、相手はたったの5人なんだろ?」


「……余計な口を叩かないでください。金で雇われているだけの用心棒の分際で。あなたは、奴らの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるのです」


「どれだけ強かろうが、このアクセルさまが女なんかに負けるわけねーけどな……まあ、エレン・アイオライトだっけ? 同じ剣士として、そいつにだけは多少興味があるが」


 剣の男は、虫けらを見るような目を俺に向けてきた。


「このガキは、そいつの弟子なんだっけか……くくっ、分からねぇな。ガキなんかに剣教えて、何が楽しいんだか」


「――ねぇ! だったらその女の子は、私がもらってもいいかしらぁ?」


 奥の方から、また別の声が聞こえてきた。今度は、若い女の声だ。


「せっかく生き返ったんだしぃ……どうせ捨てていくんなら、私のモノにしたっていいでしょ?」


 かつかつ、という靴音と一緒に、白ローブ男たちの後ろから現れた女が、アリエッタの方に近づいていく。

 

 谷間の空いた服に、頭にとんがりのついた帽子。

 魔女? みたいな格好だった。

 スタイルもいいし、たぶん美人なんだろうけど、ものすごく化粧が濃い。


「それは構いませんが……何に使うつもりです? ヨランダさん」


「うふふ。小さい子供の魂って、魔術の『材料』に使えるのよねぇ……詳しく訊きたい?」


「……いや、やめておきましょう。では、撤収しますよ」


 白ローブの男たちが近づいてきて、俺の身体を抱え上げる。


「や、やめろよっ……離せよっ!」


 俺は暴れて抵抗しようとしたけど、無駄だった。

 まったく力が入らない。

 相手の身体を引っ掻く余力も残っていなかった。

 何もできないまま、路地裏の外へと運び出されてしまう。


「いい加減理解しろってガキ。お前はもうどこにも逃げられねーよ」


 運ばれている最中、耳元で、剣士の男がそんな言葉を囁いてきた。


「俺たちは誘拐犯だ。お前は今から、誘拐されるんだよ」

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