第19話 VSママの妹(中編)

 痛みと一緒に、また知らない記憶が流れ込んできた。


「――うぇぇぇん! お母さん……ひっぐ、ぐすっ!」

 

「あらら、どうしたんですかフェリクス? 転んじゃいましたか?」


 肩に手を置いて、ディーネが心配そうに顔を覗きこんでくる。

 あたりは真っ暗だった。


「……ひっく……違うよ。いきなり他の子に頭を叩かれて……なにもしてないのに……」


「あー、またいじめか。しょーもないことする奴らもいるもんだな~」


 プリシラも屈んで、俺の頭をよしよしと撫でてきた。


「……フェリクス、どこの子にやられたの? スズ母さんに教えて」


 ぎゅう、と背中から抱き付いてきたスズが、冷たい口調で訊いてくる。


「おーい、ちょっと待てスズ。お前、それ聞いてどうするつもりだよ」


「別に危ないことはしない。フェリクスの受けた痛みを倍にして返すだけ」


「いや十分危ねーから。ガキのいざこざに大人が手出してどうするんだよ」


「は? フェリクスがこんなに悲しんでいるのに、応報もせず泣き寝入りしろと?」


「……あたしだってそりゃ納得できねーけど、こういうのは大人が口出ししたら余計にこじれるからなぁ」


「……プリシラの言う通りだ。やり返す必要なんてない」


 俺と同じ目線の高さから、エレンが諭すように言ってきた。


「いいかフェリクス、そんな奴ら相手にする方が馬鹿なんだ。ちょっかいをかけて反応を面白がっているだけだからな」


「……ぐすっ……そうなの?」


「ああ。だから、そんなくだらないことは忘れて、夕ご飯を食べよう。お腹をいっぱいにすれば気分も晴れるさ」


「…………うん」


「――何をとんちんかんなこと言ってますの! あなたたち!」


 頭の上から、イヴリンの怒鳴り声が響いてきた。


「フェリクスあなた、泣かされて帰ってきたんでしょう! どうしてやり返さないの!」


「……え? ど、どうしてって」


「まったく情けない! お母さん、あなたをそんな弱虫に育てた覚えはありませんわ! ……今からでも遅くありません! 相手の家に行って、やり返してきなさい!」


「え? え?」


「それが出来るまで家の中に入ることは許さないわ! 晩ご飯も抜きです!」


「ちょ、ちょっとイヴリン、落ち着いてください」


 ディーネがびっくりしたように言う。


「晩ご飯を抜きって……どうしてそんな酷いことを言うんですか。フェリクスは虐められて帰ってきたんですよ?」


「いいえディーネ、こればかりは譲れませんわ。フェリクスがこのまま泣き寝入りするというのなら、家にも入れませんしご飯も食べさせません」


 イヴリンは一歩も引かなかった。


「今やり返せないなら、この先もずっと虐められたままだわ! あなたたち、それでもいいの!?}


 イヴリンはエレンの方を睨んで、


「エレン! あなた、フェリクスに一体何を教えていますの!? どうしてアイオライト流剣術を学んでいる筈の男の子が、その辺のいじめっ子に泣かされて帰ってくるのよ!」


「……いや、私は別に、フェリクスに喧嘩の仕方を教えているわけではないし」


「腕前の話をしているんじゃありませんわ! 心根の話よ! 勝てる勝てない以前に、そもそもやり返そうとすらしていない所が問題だって、分からないの!?」


「……いい加減にしてイヴリン。フェリクスの前でそんなに怖い声出さないで」


 堪えかねたようにスズが一歩前に出ようとする。


「まあ、待てってスズ……マジで仕返しに行くかはともかく、イヴリンの言いたいことは分からなくもねーだろ」


「…………」


「……ぐすっ。なんでみんな喧嘩してるの? 喧嘩やめてよぉ」


 俺は母親たちのやり取りを見て、戸惑うことしかできなかった。

 そんな俺の手を、イヴリンは無理やり掴んで、


「ちょっとこっちに来なさいフェリクス! 二人きりでお話があります!」


 俺は屋敷の裏側に連れていかれた。

 冷たい夜の風が、肌にひりつくみたいだった。

 当時の俺の困惑が、身体の震えを通して伝わってくる。


「フェリクス。お母さんの目を見なさい」


「……うう、ひっく、ひっく」


「顔を上げなさい……大丈夫よ。別に怒っていませんわ」


「……ぐすっ」


 顔を上げると、目の前では、イヴリンが優しく笑っていた。


「ごめんなさい、強く言い過ぎましたわ……でも、分かってちょうだい。お母さん、フェリクスが他の子に泣かされたりするのが、許せないのよ」


「……ご、ごめんなさい……僕が弱いから……せっかくエレン母さんに教えてもらっているのに、ぜんぜん強くなれないから……」


「……弱い? フェリクスが? まさか、そんな筈ありませんわ」


 イヴリンは、俺の顔を両手でぱしっ、と挟み込む。


「ねぇフェリクス。お母さんはね、有名な槍使いの家に生まれたの。今フェリクスがエレン母さんから剣を習っているように、子供の頃から槍にずっと打ち込んでいたわ」


「そ、そうなんだ……じゃあ、エレン母さんとも戦ったの?」


「ええ、13回ほどね。ちなみに、対戦成績はどんなだと思う?」


「……え? 分からないけど、五分五分くらいかな?」


「ふふっ……2勝11敗よ」


「2勝11敗!?」


「びっくりしたでしょう? これ、本当よ。私はあの子に11回も負かされたの――まあ、エレンの方はわたくしに何回勝ったかなんて、憶えてないでしょうけど」


 イヴリンは苦笑いを浮かべて、


「いいこと? あのエレンって子は、わたくしが知る限りこの国で最強の剣士よ。そんな先生につきっきりで教えてもらっているんだから、フェリクスが弱いなんてこと有り得ないわ」


「……で、でも」


「……あの子はお父さまにかなり厳しく育てられたの。フェリクスには、そんな教え方はしたくないって考えているみたいだわ。それについてはイヴリン母さんも正しいと思います――でもねフェリクス。大切なことだからよく聞きなさい」


「…………うん」


「お母さんはこれまでの人生で沢山負かされてきたから、今のフェリクスの悔しい気持ちは痛いほど分かるわ。

 でも、残念だけど、その悔しさはお母さんたちではどうすることもできないの。慰めてあげることならできるけど、本当に悔しさを晴らしたいなら、フェリクスが自分でやり返すしか方法はないの」


「……うん」


「強い子になりなさい、フェリクス。なにがあっても挫けない、心の強い子に」


 そう言って、イヴリンは俺を抱きしめた。

 ぽかぽかとした心地いい温もりで、胸がいっぱいになる。


「お母さんたちは、フェリクスのことをずっと守ってあげられるわけじゃないから……一人でもちゃんと生きていけるような、強い子になってほしい。イヴリン母さんのお願いは、それだけよ」


 そして言葉の最後に、イヴリンは優しくキスをしてきた。


「……い、イヴリン母さん。僕もう、ちゅーは卒業したんだけど」


「今夜は特別です。諦めなさい――さ、外は冷えますし、屋敷に入りましょう」


「……え? 仕返しはいいの?」


「別にいいですわそんなの。今度やられたとき倍にして返せば……ああ、でも」


 と、イヴリンは俺の方を見て、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「せっかくですし、今度虐められたときにやり返せるよう、イヴリン母さんが必殺技を教えてあげますわ」


「必殺技?」


「ええ……さっき話したエレンとの13回もの勝負の中で、わたくしが挙げた白星はたったの2つ。その2つはどちらも、この必殺技で勝ち取ったものよ」


「エレン母さんにも勝てるような技!? どんなやつなの!?」


「とはいえ、これは身体に負担の大きい技ですから、やたらめったら使ってはいけませんわ。そうですわね……どうしてもぶっ飛ばしたい相手が目の前にいるときだけ使用を許可します。イヴリン母さんとの約束ね?」

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