第18話 VSママの妹(前編)

 審判のおっさんは三日連続同じ人だった。

 結構規模の大きい大会とか言っていた訳に、どれだけこのおっさんを使いまわすんだろう。

 運営の人数が足りてないのかもしれない。


「昨日はよくも恥をかかせてくれたわね、フェリクス」

 

 正面で得意そうな顔を浮かべているのはアリエッタだった。


「でも、真剣勝負の場に私情を持ち込むのは無粋ってものだわ。特別に、昨日のことは水に流してあげる」


「……今日はソース、口につけてないんだな」


「――っ!」


 アリエッタはすぐに真っ赤になる。


「あ、当たり前でしょ! 今日は朝ごはんゆっくり食べたし、ちゃんと鏡でも確認してきたんだから!」


 そんなアリエッタの表情を、俺はまじまじと見つめる。

 昨日も思ったことだったけど……やっぱり、ちょっとだけエレンに似ている。

 顔の形とかは全然違うんだけど、動揺したときの表情の崩れ方とか、そっくりだ。


「きゃー! 頑張ってフェリクス!」


「気合いですわフェリクス! 気合いで押しまくれば勝てますわ!」


「なんでもいいけど、怪我だけはすんなよ~」


「おそろしい……のに、今日も応援にきてしまった……おそろしい……」


 後ろからは、相変わらず物凄い量の声援が飛んでくる。

 アリエッタは不愉快そうに顔をしかめた。


「いい気なもんね。保護者が5人も応援に駆けつけてくれるなんて、さぞ心強いでしょう」


「いや、普通に集中できないからやめてほしいんだけど……」


「でも、羨ましくなんかないわ――私には、師範がいるもの!」


 アリエッタの背後には、ぶすっとした顔で髭を撫でている爺さんの姿が見えた。

 アリエッタに声もかけようともせずに、黙ってこっちを睨みつけてきている。


「…………」


 負けじと睨み返してやった。

 別に今から爺さんと戦うわけじゃないけど、なんとなく気分的に。


「では、準備がいいなら双方構えて!」


 審判のおっさんの両手が上がった。

 いよいよだ。

 身体の力を抜いて、木剣を構える。


「――フェリクス!」


 そのすぐ後に、エレンの声が響いてきた。


「……?」


 俺は前を向いたままで驚く。

 エレンが試合前に声をかえてくることなんて、今までなかったのに。


「……これだけは言っておく。無理はしなくていい。時には学ぶことも大切だ」


 ……? 

 俺は振り向いて、どういうことか尋ねようとして――


「――っ!?」


 全身に鳥肌が立った。

 聞いたばかりのエレンの言葉が、頭からぶっ飛んでしまう。


「――――ふう」


 アリエッタは、別人のような顔つきをしていた。

 冷たい眼差しで、さっきまでの『子供らしさ』みたいなものがまったく残っていない。

 それから身体のどこにも力の入っていない、完璧な構え方。

 こんなの、一朝一夕じゃ絶対に身につかない。


「――試合開始!」


 審判のおっさんの両手が振り下ろされた。


「……それじゃ、行くわよ」


 ふらっ、と倒れ込むみたいにして、アリエッタが片足を踏み出した。


「――っ!」


 俺は慌てて距離を取ろうとして――次の瞬間には、アリエッタの木剣が目の前に迫っていた。


「――っ!?」


 咄嗟に、どうにか自分の木剣を潜り込ませて受け止める。


「くっ!」


「悪くない反応ね。この程度も防御できないなら興ざめもいい所だったわ」


「……っ、そいつはどうも!」


 鍔迫り合いの格好になったのは、ロレンスのときと同じだった。

 でも、打ち込みの威力は一昨日とはまったく別だ。

 木剣が目の前に迫ってくるまで、ほとんど目で追えなかった。


「……お前とは、距離を取って戦わない方がいいみたいだな」


 俺は踏ん張りを強めて、アリエッタの方向に木剣を押し込んだ。

 一旦距離を取られると、今の打ち込みに対応できない。

 この体勢のままでの単純な力比べなら、男の俺に分がある筈だ。


 ――と、思っていたら、木剣にかかっていた力が急にゼロになった。


「――なっ!?」


 アリエッタの木剣が、俺の木剣をすり抜けていた。まるで剣そのものに形がないみたいに。


「至近距離でなら自分に分があるとでも思った? 甘いわね」


「くっ!」


 剣がすり抜けるとかそんなことあるわけがない。

 上手く力をずらされたんだ。

 ヤバい、この距離だと防御が間に合わない……。


 俺は全力で後ろに飛び跳ねた。

 木剣が首元に直撃するギリギリの所で、なんとか回避する。


 「うわっ、とっ、とっ……」

 

 無茶な逃げ方をしたせいで転びそうになった。


「これも避けたか。ますます悪くないわ」


 アリエッタは、体勢の崩れた俺に追い打ちをかけてこようともせず、その場に佇んでいた。


「なるほど、ロレンスじゃ相手にもなんなかったでしょうね。久々に歯ごたえのある相手とやれそうで嬉しいわ」


「……ふー、ふー」


 全員を熱くなる。

 身体に染み付いた、12年間の剣士としての記憶が、俺に教えてくれていた。

 こいつ……めちゃくちゃ強い。


「ふふっ……折角だから、私が巷でなんて言われているか教えてあげましょうか?」

 

 アリエッタは軽い口調で言ってくる。


「私、アリエッタ・アイオライトはね――エレン・アイオライトの生き写しって言われているの。この呼ばれ方、全然好きじゃないんだけど」


「……エレンの、生き写し?」


「私の実力は、あんたの師匠と同じレベルってこと。弟子が師匠に勝てる道理はないわよね」


「…………っ!」

 

 俺はアリエッタに飛び掛かっていった。

 向こうの実力が分かった以上、このまま受けに回ってもジリ貧だ。

 こっちからどんどん仕掛けて、攻めていくしかない。


「――うりゃっ!」


 懐に入り込んでから、相手の右胴を薙ぎ払うみたいにして、全力の打ち込みを放つ。


「――ふん」


 アリエッタは落ち着いた様子で、俺の攻撃に合わせて木剣を構え直した。


 ばちんっ! と木剣同士の激突する音が、闘技場に響く。


「うわっ!?」


 体勢を崩されたのは俺の方だった。

 アリエッタの脇腹を狙っていた木剣は、なぜか空振りしていて、そのせいで足がもつれてしまう。

 そんな……確かに相手の木剣に当たった音がしたのに。


「わけが分からないって顔してるわね――簡単よ。力を逃がしただけ」


「力を逃がした……?」


「あんたの攻撃をまともに防御するのは、私の細腕じゃ厳しいわ。だから攻撃に合わせて木剣の角度を調節して、力を別の方向に受け流せるようにしたの。

 音がしたのに手ごたえがなかったのは、あんたの力が私の木剣にまるで伝わっていないからよ」


「……なんだよそれ。そんなの、微妙にタイミングがずれるだけで失敗するだろ」


「私は百発百中で成功できるわよ。なんなら、試してみる?」


 ――アリエッタの言う通り、それから何度繰り返しても、俺の打ち込みはかすりもしなかった。


 どんな勢いの攻撃も、アリエッタの木剣に触れた瞬間に力を逃がされる。

 人間を相手にしているというより、水を切っているみたいな感覚だった。


「はぁ、はぁ……」


「どうしたの? もう終わり?」


 俺の攻撃を全て受けきっても、アリエッタは息一つ切らしていない。

 綺麗な構えを崩さないままで、じりじりと距離を詰めてくる。


「……お前、化け物かよ」

 

 たぶんほとんどの剣士は、何をされたのか分からないままこいつに負けるんじゃないだろうか? 

 強すぎる。

 口元にソースをつけて恥ずかしがっていた12歳と同一人物とはとても思えない。


『……これだけは言っておく。無理はしなくていい。時には学ぶことも大切だ』


 エレンはもしかしたら、昨日の時点でこいつの強さを見抜いていたのかもしれない。

 だからあんなことを……。


「水のように全ての攻撃を受け流す……アイオライト流剣術の極意の一つよ。あんた、まだ教わってないのね。まあ普通は、12歳がマスターできるような技じゃないんだけど」


「……なんだよそれ。自分は普通の12歳じゃないってのか?」


「当たり前でしょ? ……確かに、あんたもかなりいいセンいってるけど、私には及ばない。私とあんたじゃ、剣に対する覚悟が違うのよ」


「覚悟……?」


「私には剣術しかないの。身寄りのなかった私を助けてくれた師範に恩返しするには、誰よりも強い剣士になるしかない。どんな厳しい稽古だって弱音を吐かずに必死にやってきたわ。

 だからあんたみたいに、ママに優しく教えてもらっているだけの甘ちゃんには、絶対に負けたりしない」


「……また『ママっ子』かよ。もううんざりだぜ、それ」


「――で、どうする? もう力の差は理解できたと思うけど、降参する?」


 アリエッタは、間合いのギリギリ手前で立ち止まる。


「降参しないなら、こっちも手加減できないし、骨の一本くらい折ることになるかもね」


 ……こいつの言う通りだ。

 たぶん、このままやっても俺は勝てない。

 気合いや工夫じゃどうにもならないくらいの差が、俺とこいつの間にはある。


「……その顔は、降参って受け取ってもいいのかしら?」


「ああ、ちょっとムカつくけど……」


 俺は構えを解こうとして――


 視界の端に爺さんの立っている姿が見えて、動きが止まった。


 相変わらず、不機嫌そうな目つきでこっちを睨んでいる。

 12年前と同じだ。

 エレンに破門を言い渡したときと、同じ目。


『……私は、父に褒めてもらいたくて、剣術に打ち込んだんだ。だから、その全てを他ならぬ父に否定されたときは、ショックだった』


 ……昨夜のエレンの悲しそうな表情が、頭に浮かんで離れなくなった。


「……悪い、やっぱ降参はナシだ」


「……なんですって?」


「ママに優しく教えてもらっているだけの甘ちゃん、なんて言われて、大人しく引き下がれるかよ」


 別に俺は、こんな大会勝とうが負けようがどっちだっていい。

 でもたぶん、フェリクスならここで引き下がらないんじゃないか、と思ってしまった。

 だったら俺が引くわけにはいかない。

 俺の目的はあくまで、フェリクスをなぞることなんだから。


「……はぁ。あんたはそこまで馬鹿じゃないと思っていたんだけどね」


 アリエッタは呆れたような溜め息をついて、


「あんたじゃ絶対に私には勝てないわよ。甘ちゃんどうこうは置いといてもね。

 私もあんたも同じアイオライト流の剣士である以上、より多くの技を習得している方が強いってことになるわ。で、現時点では私の方が先に進んでる。

 じゃんけんで言うなら、あんたが『ぐー』で私が『強いぐー』よ。どっちが勝つかなんて、子供にだって分かる理屈だわ」


「…………なるほどな。分かりやすい説明ありがとよ」

 

 アリエッタの言う通り、このまま普通にやっても勝てるイメージがまるで湧かない。

 ヤケクソで突っ込んでも、今までみたいに力を逃がされてそれで終わりだ。

 なんでもいい、こいつが予想もしていないような突破口を見つけないと……。


「――うっ!?」


 ずきっ、と後頭部が悲鳴を上げた。

 たんこぶだ。

 くそっ、なんでこんなときに……。

 駄目だ、激痛で、意識が薄れていく……。

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