第16話 エレンとの添い寝(前編)
その日の夜。
俺は、例のふかふかベッドの上に座りこんでいた。
綺麗な天井、高そうな家具、変な模様のカーペット。
何度見ても、ここが自分ひとりの部屋だなんて信じられない。
前世では子供部屋自体が用意されていなかったから、いつも大人たちが騒いでいるのを、耳を塞いで我慢しないといけなかった。
ぐっすり眠れたのなんて、昨日が本当に久しぶりだ。
「――明日も早いし、そろそろ寝るか、フェリクス」
隣からエレンが声をかけてきた。
エレンはパジャマ姿で、お風呂上りのいい匂いを漂わせながら、櫛で髪を梳いているところだった。
「次の対戦相手は、これまでにない難敵のようだからな。今夜はしっかり寝て、試合への英気を養っておこう」
「…………」
俺はエレンと自分、それから座っているベッドを順番に見返した。
当然のように一つしかないベッドと、ここは自分の部屋じゃないのに、一切出ていく気配のないエレン。
「ええと、今日の添い寝当番は、エレン母さんなんだっけ?」
「――? 当たり前だろう。昨日はディーネだったんだから、今日は私だ」
「……うん、そうだよな」
うな垂れて答える。
昨夜もディーネが部屋にきて、なし崩し的に一緒に寝ることになったんだった。
『添い寝当番』なんてものがこの家にはあるらしい。
5人のお母さんが日替わりで俺と一緒に寝ていく。
昨日はディーネで、今日はエレン、明日は3人の内の誰かなんだろう。
……信じたくないことだけど、どうやら俺は、12歳にもなってまだ親と一緒の布団で寝ているみたいだった。
で、起きたらお母さんたちと『おはようのぎゅー』。
一緒にお風呂。
暇があればキス(は嫌がっていたみたいだけど)。
そりゃあ、『ママっ子』とか言われるよなぁ。
「……あのさ、エレン母さん、提案なんだけど」
ただ、もう記憶を取り戻したんだから、いつまでもそんな習慣を続けることもない筈だ。
「俺、今日は1人で寝てみようと思うんだ」
「……え?」
「ほら、俺もう12歳だし、母親に甘えるような年齢でもないっていうか」
「………………?」
エレンは口をぽかんと開けて固まっていた。
手に持っていた櫛が床に落ちたけど、拾おうともしない。
「……ええと、よく意味が分からないんだが?」
「……いやだから、もう親と寝るのは卒業しようかなって」
「……? ? ?」
マジでこっちの言っていることが理解できないのか、エレンは目をぱちぱちとさせるばかりで、しばらく何も言ってこなかった。
けど、不意に口を開いて、
「……フェリクスは、エレン母さんのこと嫌いになったのか?」
「……は?」
「だ、だっておかしいじゃないか。前一緒に寝たときは、あんなに甘えてくれたのに……まさか、これが反抗期というやつか?」
「いや、別にそんなことは言ってない――」
「そ、そんな馬鹿な……いつか来るとは覚悟していたが、こんなに早いだなんて……教えてくれフェリクス。エレン母さんは、何か嫌なことをしてしまったか? も、もしかして、昨日の外でのちゅーのことを怒っているのか!?」
エレンの目は血走っていて、今にも叫びだしそうな勢いだった。
「べ、別にちゅーなんてこれまで数え切れないほどやってきたじゃないか。いまさら怒ることでもないだろ?」
……『キスどころか、おはようのぎゅーも卒業したい』なんて言わない方がいいだろうな。
マジで気絶しそうだ。
こんなにうろたえるってことは、たぶん記憶が戻る前の俺は、冗談でもこんなことは言わない子供だったんだと思う。
「――と、とにかく、一人で寝るなんて駄目だ、認められない! 少なくとも今日に関してはエレン母さんと一緒に寝てもらうぞ!」
「……ええ? なんでだよ?」
「1人で寝たいというなら、ちゃんと母さんたち全員を説得してからにしろ。私のときだけ一緒に寝られないなんて不公平だ!」
……結局そのまま押し切られて、俺はエレンと一緒に寝ることになってしまった。
「ふふ、どうだ? やっぱりお母さんと一緒だと暖かくていいだろう?」
「…………あー、うん」
にへ~、とした笑顔を正面から向けられて、思わず目を逸らす。
気まずい……。
せめて背中を向けてほしい……。
「フェリクスだって本当はお母さんと寝るのが好きな癖に……誰かに何かを言われたのか? 言っておくが母さんたちは、フェリクスが何歳になろうと、いつまでも一緒に寝てあげるつもりだからな!」
エレンは笑顔のまま、さらっとヤバいことを囁きかけてくる。
本気で、俺が16歳くらいになっても一緒に寝ようとしてきそうだ……。
「そ、そういえばさ」
いたたまれなくなって、俺は無理やりにでも話題を変えることした。
「今日、レストランで会った人のことなんだけど」
「……? 急にどうした?」
「いや、ずっと聞きたかったんだって」
これは嘘じゃない。
「あの人って、エレン母さんの父親――つまり、俺のお爺ちゃんってこと?」
「…………ああ、そうだ」
エレンはちょっとだけ真面目な顔になって答える。
「会ったのは、10年ぶりか。キミを産んでからはもうずっと顔を見ていなかったから……ずいぶんと老けていて、びっくりしたよ」
……確かに、見た目は変わっていたけど、あれはエレンに破門を言い渡した彼女の父親で間違いなかった。
12年前の記憶で見たのと同じ顔だ。
あの爺さんは、『お前と同じ血が流れているなんて思いたくもない』『心の底から見下げ果てた』とか、実の娘に対してひどいことを色々と言っていた。
一度も会っていなかったってことは、つまり2人は、あのまま喧嘩別れのような形になってしまって、そのまま仲直りが出来ていないってことなんだろう。
今日の険悪な雰囲気も、それなら納得できる。
「しかし、まさか身寄りのない子供を引き取って、道場の跡取りに育てているとは思わなかったな……しかもその子が、次の対戦相手とは。不思議なめぐり合わせもあるものだ」
「……あのアリエッタってやつか。正直、そんなに強そうには見えなかったけど」
「……。さて、どうかな」
エレンはそこで、変に言葉を濁すようにしてから、
「まあ、フェリクスはそんな大人の事情を気にする必要はないさ。正々堂々、思い切り戦ってこい」
「……エレン母さんは、なんとも思わないのか?」
気になって、俺は尋ねていた。
「ずっと会ってなかった父親が、自分の代わりを見つけて育てていた、なんて……本当なら道場を継いでいたのは、エレン母さんのはずだったんだろ?」
「……フェリクス?」
「久しぶりに娘に会ったっていうのに、あんな酷い態度取ってさ。エレン母さんは、ムカついたりしないのかよ」
「……うーん。どうだろうな。まあ親とは言ってもずっと会っていなかった相手だし、今さらどんな態度を取られようと、大して気にならない――」
「…………」
「……とは、言えないな、正直。もう自分では気にしていないつもりだったのに、いざ再開してみると、息が詰まりそうになった。あんなに動揺したのは久しぶりだ」
エレンはため息をついて、
「フェリクスにも少しだけ話したことがあるが、お母さんとお爺ちゃんは昔、ちょっとしたことで喧嘩をしてしまったんだ。それ以来、仲が悪くてな……お母さんたちと仲良しのフェリクスにしてみたら、考えられない話だろう?」
「……いや、そんなことないけど」
そっちの方が、親近感が湧くくらいだ。
親ですらない大人と針のむしろの共同生活を送るのが、当たり前だった。
「喧嘩する前は、どうだったの? 仲は良かった?」
「……それも、どうだろうな。正直、他人から見て仲睦まじい親子ではなかったと思う。父は厳しい人で、めったに甘えさせてくれなかったし……何より私たちは親子である前に、師範と門下生の関係だったからな」
「じゃあ、昔からあんな感じだったのか……」
「ああ、あんな感じだ。家にいるときも、親子らしい会話を殆どした記憶がない――父が私を見てくれるのは、剣を握っているときだけだった」
「剣……?」
「……私は、父に褒めてもらいたくて、剣術に打ち込んだんだ。だから、その全てを他ならぬ父に否定されたときは、ショックだった――ずっと忘れようとしていたのに、今日また顔を見たせいで、思い出してしまったよ」
「…………」
「……なんてな。悪い、フェリクスに聞かせるような話じゃなかったな」
エレンは困ったような顔をして笑った。
「フェリクスはかしこいから、お母さんついこんな話をしてしまうんだな……さあ、もう寝よう」
「…………うん、分かった」
もう訊くべきことは訊けたと思ったので、俺も口をつぐんだ。
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