第15話 思いがけない再会(後編)

「ねぇ、ちょっと」


 トイレの扉を開けようとした所で、聞き覚えのない声に呼び止められた。


「…………?」


 声のした方を振り向く。

 そこは廊下の突き当りで、テーブル席の客からは見えない死角の部分だった。


 立っていたのは1人の女の子だった。

 銀色の髪に、釣り上がった目尻。

 たぶん同い年くらいで、背は俺よりも低い。

 腕組みをして、刺すような目で俺を睨みつけてくる。


「あんた、フェリクスでしょ? こんな所で会うなんて偶然ね」


 ……なんて答えていいか分からなくて、無言になった。

 またフェリクスの知り合いか。

 意外に顔広いな、記憶のない頃の俺。

 前世は家庭環境的に浮きすぎていて、クラスでまともに会話できる奴すらいなかったのに。


「何驚いているの? そりゃあ確かに、私はあんたと話すのはこれが初めてだけどさ」


 と、俺の予想は外れていた。

 こいつとは知り合いでもなかったみたいだ。

 いや、それで呼び止め方が『ねぇ、ちょっと』とか不躾すぎるだろ。

 なんか口調も刺々しいし。

 

 でも……どことなく雰囲気が誰かに似ている気もする。

 誰だろう?


「大会とかで顔を合わせることはこれまで何度もあったよね。そんな『初対面です』みたいな顔されると気分悪いんだけど」


「……大会?」


「そういえば、さっきの試合も見たけどさ。あんな雑魚相手にあれだけ時間をかけているようじゃまだまだだね」


 女の子は見下したみたいな笑いを俺に向けてきた。


「ちなみに私は2回戦、6秒くらいしかかからなかったから!」


「…………!」


 こいつ、剣術大会の参加者なのか。

 俺は驚いて、ドヤ顔を浮かべる女の子の姿を見返した。

 確かに気が強そうで、武術とかスポーツとかやっていそうな雰囲気はあるけど……でも、腕とかめっちゃ細いし、少なくとも男子に混じって戦えるようには見えない。

 というかあの大会、女子も参加してるのかよ……。


「くれぐれも言っておくけど、ロレンスごときを倒したくらいで良い気にならないでよね。あいつは口ばっかりで、ウチの道場の中でも落ちこぼれだし。あんたの本当の実力に自分が負かされるまで気付けないなんて、本当に救い様がないお間抜けさんだわ」


「……?」


「あんたが実戦では実力が出せないだけで、本当はその辺の雑魚どもより遥かに強いってことは、ウチの道場でも私くらいしか気付いていないし――まあ、あんたが今回どうしてそんなに調子いいのか知らないけど、別にどうでもいいことだし」


 女の子はそう言って、俺を挑発するように鼻を鳴らした。


「次の3回戦で、あんたはこのアリエッタさまにコテンパンに負かされるんだからね!」


「…………」


「ふふっ、どうしたの? 言葉も出ない?」


「……いや、さっきから気になってたんだけど」


 俺は女の子――アリエッタの頬の部分を指差して言った。


「顔にめっちゃソースついてる。痒くなるから洗った方がいいぞ?」


「――え!?」


 アリエッタは慌てて自分の頬に手をやった。


「あっ、え、嘘……」


「……それに、よく見たら服とかにパンくずめっちゃついてるし」


「――~~っ!?」


 アリエッタはトマトみたいに真っ赤になった。


「ち、違うもん! 今日はその、たまたま失敗しちゃっただけで……いつもは、行儀よく食べてるもん!」


「……いや、たまたま失敗しちゃったって酷さじゃないだろ、それ」


「たまたまなの! 私はもう12歳なんだから、そんな子供みたいな食べ方はしないの!」


「…………え、お前12歳なの?」


 12歳ってことは、日本なら小学6年生、俺と同い年だ。

 背が低いし、喋り方もなんか舌っ足らずだから、年下だと思ってた……。


「……あの、もう少しゆっくり食べたら? 別に急いで食べなくても、食べ物は逃げないんだし」


「は、はぁ!? 意味わかんない! なんであんたなんかにそんなこと言われなくちゃいけないのよっ!?」


「まあ、少なくとも、お前よりは行儀よく食えるから……」


「――ば、馬鹿にしてっ!」


 ふー、ふー、とアリエッタは犬みたいに息を荒くしながらこっちを睨んでくる。

 だから口元のソースさっさと拭けって。


「――おい、アリエッタ。いつまで待たせるつもりだ?」


 廊下に、また別の声が聞こえてきた。


「たまたま見かけたという、友人への挨拶は済んだのか?」

 

 年を取った男の人の声だった。

 顔を上げると、大柄な爺さんが佇んでいる。

 60歳くらいか? 

 真っ白な髭をたくわえていて、身体つきもがっしりしている、目つきの鋭い爺さんだった。


「…………」

 

 俺は何歩か後ずさって、警戒の姿勢を取った。

 別に何かされた訳じゃないけど、『大人』を前にすると、どうしても反射的にこうなってしまう。


「――! し、師範!」


 アリエッタは顔色を変えて、爺さんに対して『気を付け!』の体勢を取った。


「も、申し訳ありません! 一言だけ宣戦布告して帰るつもりだったのですが、つい熱くなってしまって」


 さっきまでの生意気な態度が嘘みたいな、凄い変わり様だった。

 口にソースついたままだから格好つかないけど。


「……宣戦布告?」


「はい。実はこいつが、私の次の対戦相手、フェリクスでして……」


「…………なに?」


 師範と呼ばれた爺さんは、俺の方に視線を向けた。


「この少年が、フェリクス、だと?」


「――っ!?」


 身体がぞっと震えあがる。

 睨まれただけなのに、心臓を鷲掴みにされたのかと思った。

 俺の大人が苦手ってだけじゃない、この爺さんの威圧感が凄まじいんだ。

 何者だ、この人……?


「はい。見ての通り弱っちい奴ですよ。私の敵じゃありません」


「…………」


「この男はエレン――師範の顔に泥を塗った、あの親不幸女の息子です。見ていてください。明日は師範に代わって、私があの女に12年越しの誅を下してみせますから!」


「――あまり調子に乗るなよ、アリエッタ」


 ずしん、という音が聞こえそうなくらい、重たい声が響いた。


「私に代わって、お前がエレンに誅を下す、だと? 私がいつ、お前にそんなことを頼んだ?」


「……え? あ」


 さっきまで調子よく喋っていたアリエッタの顔が一瞬でひきつる。


「い、いえ、あの……私、そんなつもりじゃ」


「……あの女の名前を口に出すなといつも言っているだろう。嫌でも顔を思い出してしまう。不愉快だ」


 吐き捨てるように爺さんは言う。

 その口調には、苛立ちみたいなものがにじんでいた。


「……父上?」


 そこに、エレンがやってきた。


 いつまでもやってこない俺を心配して、様子を見にきたんだろう。

 エレンは爺さんの顔を見て、呆然としていた。


「父上……どうして、こんなところに……?」


「…………ほら見ろ、名前など出すから、本人まで現れてしまった」


 爺さんはエレンと目も合わさずに、鬱陶しそうに舌打ちした。


 ただことじゃない空気だった。

 アリエッタはショックを受けた様子で固まっているし、俺は俺で何がなんだかわからない。


「……父上、お久しぶりです」


 誰も何も言わなくなってからしばらくして、エレンが口を開いた。


「家を出て以来ですね……お元気そうで、何よりです」


「……………」


「その……珍しいですね。父上が、こういったところで食事をされるのは」


「………………」


「……ところでそちらの女の子は、門下生ですか? 見たところ、フェリクスと同い年くらいのように見えますが……」


「…………。ああ、そうだ」


 目を合わせないままで爺さんが答える。


「このアリエッタは、アイオライト流剣術道場の門下生にして――私の跡取りだ」


「…………え?」


 エレンはびっくりしたように目を見開いた。


「……跡取り? 彼女が?」


「そうだ。代替わりするのは当分先になりそうだがな」


「……ということは、アイオライトの親戚筋の子供ですか? その、私は彼女のことを知りませんでしたが」


「違う、アリエッタは孤児だ。剣の才能があったから私が引き取った。以来、後継者に相応しい剣士になれるよう、私が直々に鍛え上げている――つまり、貴様の『妹』ということになるな」


「……私の、『妹』?」


「ああ。どこかの誰かが不義理を働いたせいで、跡取りがいなくなったからな」


「…………」


「明日は貴様の息子と、アリエッタが対戦するそうだな……道場を破門にされた半端もののお前が、どんな風に子供に剣を教えているのか、この目で見るのが楽しみだ」


 爺さんはそこまで言って、エレンを押しのけるみたいにして廊下から出て行った。

 結局最後まで、エレンとは一回も目を合わせていない。


「あ、し、師範! 待ってください!」


 アリエッタがとたとたと爺さんの後を追いかけていく。


「……あの、エレン母さん」


「……フェリクス。ディーネ母さんには、今のことは内緒で頼む」


 エレンは軽く微笑んでから、何か言いかけた俺の頭に手を置いた。


「な? 二人だけの秘密だ」


「…………」


 そう言われて、俺はそれ以上、何も訊くことができなかった。

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