第14話 思いがけない再会(前編)

 俺とエレンとディーネの3人は、闘技場の近くにあるレストランで昼飯を食べることになった。

 昼に外食なんて、日本で暮らしてた頃じゃ考えられない。

 というか、記憶を取り戻してから、家の外で何か食べること自体はじめてだった。


「いらっしゃいませ! ――って、あれ? ディーネちゃんじゃない!」


 店の中に入ると、ウェイトレスの女の人が親しげに笑いかけてきた。

 30代後半? くらいの、明るそうな女の人だ。


「フェリクスくんも一緒なの? それにエレンちゃんまで! 珍しいわね!」


「すみません、忙しい時間帯に押しかけてしまって……近くまで来たので、せっかくならここで食べようかと」


「なに言ってるの。今日はお客様なんだから、ディーネちゃんはそんなこと気にしなくていいのよ――さ、そこに座って」

 

 ウェイトレスさんの案内で、俺たちは窓際の席に座った。

 けっこう広い店内だけど、席はほとんど埋まっている。

 人気店ってことなのかな……?

 俺はレストランなんて、ファミレスしか知らないけど。


「フェリクスは何にしますか? このお店のメニューは基本的になんでも美味しいですけど、普段厨房にいる人間として言わせてもらうなら、一番のお薦めはビーフシチューですかね」


 メニュー表を開きながら、ディーネがそんなことを言ってきた。


「……厨房にいる?」


「――? ええ、だってディーネ母さんはここで働かせてもらっていますから。フェリクスも知っているでしょう?」


「――っ、あ、ああ、うん! 知ってる、知ってるよ!」


 慌ててそう答える。

 もちろん初めて聞いた。

 なるほど、さっきウェイトレスさんと仲良さそうに話していたのは、そういう理由なのか。


「ふふ、それにしても、お休みの日に職場に食べにくると言うのはいいものですね。いつもは殺人的な忙しさで、このいい匂いを味わう余裕もありませんから」


 ……料理の仕事をしているのか、この人は。

 確かに、昨日は朝も、昼も、晩もディーネがご飯を作ってくれたけど、どの料理も美味かったもんな。


 俺は開かれたメニュー表を見てみた。

 ビーフシチューとか、ハンバーグとか、スパゲッティとか、そんなメニューがずらっと並んでいる。

 昨日ディーネが作ってくれた料理もこんな感じだった。

 食べ物に関しては、元いた世界とそんなに違いはないのかもしれない。

 さすがにインスタントラーメンとかはないだろうけど。


 ちなみに当たり前だけど、メニューは日本語じゃない。

 見たこともない文字で書かれている……のに、なんでか読めてしまう。

 不思議な感覚だった。

 これも、俺が『フェリクス』であることの証拠の一つなんだろうか。


「ああ、でもフェリクスは、クリームシチューの方がいいですか?」


「……え? なんで?」

 

 いきなりそんなことを言われて、びっくりしてディーネを見返す。

 クリームシチュー? 

 別に好きでも嫌いでもないけど……。


「なんでって、フェリクスは今、ミルクの入った料理を食べたい気分でしょう?」


「…………?」


「……だって」


 ディーネは腰を浮かして、俺の方に身体をくっつけてきた。


「――今朝、ディーネ母さんのおっぱい、つついてたでしょ? 」


「――っ!?」

 

 耳元で囁くみたいに言われて、飛びあがりそうになった。


「……? どうした?」


 テーブルを挟んだ席に座っているエレンが、不思議そうにこっちを見てくる。


「あ、え、えと……っ」


「……大丈夫。他のお母さんには内緒にしてあげてるから、安心して?」

 

 慌てて何か言おうとしたら、またディーネが耳の近くでぼそぼそ囁いてきた。

 生暖かい息が耳にかかって、ゾクゾクする……。

 エレンとはまた違うタイプの、甘ったるいいい匂いがしてくる……。


「……お、起きてたの?」


 ドキドキを抑えて、なんとか小声で訊き返した。


「うふふ……ちょっとびっくりしましたけどね。でもお母さん、嬉しかったですよ?」


「う、嬉しい……?」


「うん……だって、フェリクスが赤ちゃんの頃に戻ったみたいで」


 くっついたまま、ディーネはうっとりしたような声で言ってくる。


「久しぶりに、お乳が飲みたくなったの? お母さん、おっぱいはまだ大きいままだけど、お乳は流石にもう出ないと思うよ?」


「……っ! いや、あの、そういうわけじゃなくて……」


「ふふっ、フェリクスは、本当におっぱいが大好きなんですね。赤ちゃんの頃と一緒です」


「……え?」


「懐かしいなぁ……一度吸い付いたら、おっぱいの中のミルクを全部飲み干すまで離れないから、お母さんたちとっても大変だったんだよ? それに、おっぱい離れも普通の子に比べてすごく遅くて……7歳くらいまで、一緒にお昼寝するたびにお母さんのおっぱいせがんでましたね」


「…………っ!」

 

 なんの話だよ!

 知らないよそんなの!

 

 いや、俺はこの人たちの子供なんだから、授乳されてたこと自体は、当たり前の話なのかもしれないけど。

 こんな風に綺麗なおねーさんにくっつかれながら言われると、なんていうか、いたたまれない気分になってしまう……。

 っていうか7歳で乳離れ?

 それは本当に遅すぎるっていうか……5年前まで吸ってたってことか? 俺が? マジで?


「だから、今朝は赤ちゃんの頃を思い出して、おっぱい恋しくなっちゃったのかな? 最近めっきり甘えてくれなくなったと思ってたけど、まだまだ甘えん坊なんですね、フェリクスは」


「……ご、ごめん。その、今朝のは魔が刺しただけっていうか、本当に深い意味はなくて……に、二度とするつもりもないから」

 

「別に怒っているわけじゃないですよ。でも、お母さん相手ならともかく、寝ている女の人の身体を黙って触るというのは、いけないことですね。将来、他の子には絶対にしないようにすること。いいですか?」


「……う、うん」


 最後はちょっと然る叱るみたいに言われて、俺は素直に頷いた。


「よろしい――でも別に、ディーネ母さんのだったらいつでも触らせてあげますからね?」


 ディーネは満足そうに言ってから、ようやく身体を離してくれた。

 ……お、恐ろしかった。

 もう絶対に今朝みたいなことはしないようにしよう……。


「……おい、さっきから何をヒソヒソ話してたんだ?」


「いえ、なんでもないですよ。それよりエレンは、何にするか決まったんですか?」


「ん? ああ、これにしようかな……」


 エレンはそう言って、メニューの一番右端に書かれている料理を指差した。


「……ハンバーグセットですか。ふふっ、相変わらず子供っぽものが好きですね、エレンは」


「……なんだ? 私がハンバーグを食べたらいけないのか?」


「別に、そんなことは言ってないですよ。可愛いなって思っただけです」


「…………」

 

 エレンは恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 顔はぶすっとしたままだけど、耳の部分が赤くなっている。


「もう、これくらいで拗ねないでよ。私はビーフシチューセットにしますから、後で分けっこしましょう」


 からかうみたいな口調でディーネが言う。


 ……仲良いんだな、この2人。

 ぼーっとやり取りを眺めながら、俺はそんなことを思った。

 エレンがこんな反応を見せることは滅多にない筈だし、ディーネの口調もちょっとだけ砕けたものになっている。

 仲良し2人が、軽口を叩き合ってじゃれ合っている、みたいな感じだ。


 12年前はこんな雰囲気じゃなかった。

 知り合いではあったけど、もっとお互いに距離があったというか、他人行儀だった筈だ。

 

 神様の婆さんに見せられた記憶を思い出す。

 当時のこの人たちは、みんな14歳の子供だった。

 それから12年経っているから、今は26歳。

 立派な大人だ。


「…………」


 俺はメニューから視線を上げて、2人の姿を見つめた。

 今の二人と、神様に見せられた10年前の2人の姿を頭の中でダブらせる。

 まず外見はほとんど一緒だ。

 さすがに12年も経っているから完全に同じという訳じゃないけど、2人とも、というか5人ともだけど、びっくりするくらい老けていない。

 少なくとも、12歳の子供がいる年齢には見えない。


 でも、この人たちの言っていることは12年前とは全然違う。


『……一体なんなんだ、お前は。お前のせいで、私の人生は滅茶苦茶だぞ』


『私は、どうしたらいいか分からないんです……なのに、放っておいたらお腹はどんどん大きくなっていきます。それが恐ろしくて仕方なくて』


『はっきり言っておきますけど、わたくしはこんなおぞましいものの母親になるなんて、絶対に御免よ! 死んだ方がマシってくらいにね!』


『くよくよ悩むのは性に合わねーんだ。勢いで産んだら、案外ガキが可愛かったりするかもしれねーしな』


『私には胎児に対する愛情などない。一族の『駒』にできないなら、こんな修行の邪魔にしかならないもの、今すぐに処分している』


 ……プリシラだけは当時からあまり変化がないような気もするけど、でも基本的には5人とも、『妊娠を好意的には受け止めていない』って感じだった。

 無理もないと思う。

 ただでさえ、14歳で妊娠するなんて普通じゃ考えられないことだし、その心当たりすらないなんて、簡単に受け入れられなくて当たり前だ。

 

 それなのに、この人たちの俺に対する接し方はなんなんだろう?

 

 あんなに子供を産みたくないって言っていたイヴリンは、さっき心の底から誇らしそうに俺の頭を撫でてくれた。

 妊娠の事実を受け入れられないでいたディーネも、ありったけの力で俺を抱きしめてくれる。

 スズなんて、産まれた子供は暗殺者に育てるとか言っていたのに、さっきはちょっと怪我しそうになっただけで血の気を失うほど俺の身体を心配してきた。

 プリシラにしたって、出産前はいい意味でも悪い意味でも『どうでもいい』という感じだったけど、昨日の朝は弾けるような笑顔を見せてくれた。

 それでエレンには昨日めっちゃキスされたし……。


 正直、分からない。

 この人たちはどうしてここまで変わったんだろう? 

 出産の痛みを経験したから? 

 何年も一緒に生活してきたから? 

 でも、たったそれだけのことで、折り合いをつけられるものなんだろうか?


 分からない、で済ませる訳にはいかない。

 俺はフェリクスとして、この人たちと一緒に暮らしていかなくちゃいけないんだから……。


「――ん? なんだフェリクス?」


 無言で見つめられていることに気付いたみたいで、エレンがこっちを見返してきた。


「もしかして、メニューが決められないのか?」


「……ああ、いや、俺ちょっとトイレ行ってくるよ」


 そう言って俺は立ち上がった。


「ごめん……俺もビーフシチューでいいから、頼んどいて」


 落ち着いた場所で、もう少しじっくり考えたいと思った。

 それに、ずっと難しい顔をして黙り込んでいたら、二人に変に思われるかもしれない。


「あ、ちょっと、フェリクス! セットのスープはどうするんですか!」


 ディーネがそんなことを聞いてきたけど、「適当でいいから!」と短く答えて、俺はテーブルを離れた。

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