第13話 大人なんて、信用できない(後編)

「……うー」


 気が付くとベッドの上だった。

 後頭部の痛みがズキズキと響いてくる。

 二日連続で、最悪の目覚め方だ。


「……なんだったんだ、今の」


 さっきまでの真っ白な空間、それから『神様』なんて名乗っていた婆さんの言葉の一つ一つを、俺は思い出す。


「…………」


 身体を起こして自分の周囲の様子を確認する。

 綺麗な天井、高そうな家具、変な模様の書いてあるカーペット、それからふかふかのベッド。


「……夢じゃないんだよな、やっぱり」


 ここはあのボロアパートじゃない。

 俺があそこに戻ることは、もう二度とないんだろう。


 俺は隣では、一人の女の人が、気持ちよさそうに寝息を立てている。

 昨日のプリシラとは違って、ちゃんと上も下もパジャマを着てくれている。


「すぅ、すぅ……」

 

 女の人――ディーネが呼吸するたびに、二つの巨大なゴムの塊が上下する。

 汗をかいているせいで、パジャマの生地が肌に張り付いて、全体の形がくっきりと浮き出ていた。


「…………」


 俺は寝起きで、頭がはっきりと働いていなかった。

 ぼんやりしたまま、その巨大なかたまりに指を伸ばす。


「……うわ、すっげ」


 人差し指に伝わってきた感触は、想像以上だった。

 まず、すごく柔らかいのかと思っていたけど、意外と弾力がある。

 水風船を触っているみたいな感じだ。

 指を沈み込ませようとすると押し返してくる……ちょっと面白い。

 間近で見ると改めて圧倒されるけど、やっぱりけた違いのボリューム感だ。

 パジャマのボタンが今にも弾け飛びそうになっている。

 女の人の胸の大きさの測り方なんてよく知らないけど、GカップとかHカップとか、そんなレベルじゃたぶん収まらないと思う。

 片方の胸だけで俺の頭よりも大きいんじゃないだろうか?

 何を食べたらこんな風になるんだろう……。


「……?」


 パジャマに浮き出ているボタンみたいな突起を見つけた。なんだこれ?


「…………んっ」


 考えなしに突起を指で突いたら、ディーネの口から変な声が漏れた。


「――っ!?」


 その声で、俺ははっと我に返った。

 慌てて指を離す。

 ほとんど同じタイミングで、ディーネのまぶたがぱちりと開いて、


「……んー、おはよーございます、フェリクス」

 

 目元を擦りながら、眠そうな声で挨拶してきた。


「……? どーしたんですか? 顔が真っ赤ですよ?」


「…………い、いや」


 とんでもないことをしてしまった……。

 頭がぼーっとしていて、つい『どんな感触がするんだろう?』と気になって胸を突いてしまった、なんて言い訳にもならない。

 どうしよう、気付かれてはいないみたいだけど……。


「――おはようのぎゅー!」


 ばっ、と飛び掛かるような勢いで、ディーネが抱き付いてきた。


「――わっ!?」

 

 むぎゅー、さっきまでつついていたかたまりの本体が、顔面に思い切り押し付けられる。


「えへへ……朝一番のフェリクス、ディーネ母さんがひとりじめです。うりうりー」


「…………っ」


 頭より大きいふたつのかたまりに視界を覆われて、何も見えなくなる。

 ただ胸の柔らかい感触と、寝汗の香りだけが伝わってくる。

 あ、頭がクラクラする……。


「ふふ、これが添い寝当番の特権なんですよねー。今日も一日よろしくね、フェリクス」


 ……信じられない話だけど、この女の人は、この世界での俺の産みの親らしい(5分の1だけ)。

 12歳の子供がいる26歳、日本だったら法律で許されない年齢差だ。

 母が5人ってなんだよ、母は1人しかいちゃ駄目だろ普通……なんて言っていても始まらない。

 自分が一度死んだことを受け入れたように、これも一旦理解しないことにはどうにもならない。

 ともかく俺には、この世界でフェリクスとして生きていく以外に道はないんだから。


「お、おはよう、ディーネ母さん」


 取り敢えず俺はそんな挨拶を口にしながら、ディーネの身体をやんわりと引きはがした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――勝負ありっ!」


 昨日と同じ、審判のおっさんの声が闘技場に響いた。


「勝者、フェリクス! 3回戦進出!」


「ふぅ……」


 軽く息をついて、木剣を下げた。

 正面には、尻もちをついて信じられないような顔を浮かべる対戦相手(同い年くらいの子供)の姿がある。


「ど、どうなってるんだ! フェリクスお前、いつの間にこんなに強く……!」


「……俺が一番びっくりしてるけどな」


 俺は苦笑いを浮かべて返した。


「きゃー! フェリクス、きゃー!」


 と、観客席からほとんど悲鳴みたいな歓声が聞こえてきた。


「すごいですフェリクス! ちょうかっこいいてす!」


「よくやったわフェリクス! あなたはお母さんたちの誇りよ!」


「圧勝じゃん。よかったな~フェリクス」


「……よかった。フェリクスが怪我しなくて」


「……きみ、あれはなんとかならないのかね?」


 審判のおっさんが露骨に眉を潜めながら尋ねてきた。


「はぁ、すみません……」


「……くそっ! なんでこんな場所まで母親同伴の『ママっ子』に負けなくちゃいけないんだ! 神聖な闘技場を怪我しやがって!」


 対戦相手は軽蔑するような目を俺に向けてくる。


「『ママっ子』……」


 そういえば、昨日もロレンスに言われた言葉だった。


「……なあ、ちょっと聞きたいんだけどさ。普段の俺って、そんなに母親にベタベタ甘えてるのか?」


「……は、はぁ? 今さら何だ?」


 対戦相手は困惑したような顔を浮かべて、


「聞くまでもないだろう。近くにママがいなければ何もできない、情けない『ママっ子』だ、お前は!」


「……うへぇ、マジか」


 ママっ子、つまりマザコンって意味だろう。

 ロレンスもこいつも同じ意見ってことは、つまり俺は知り合いのほとんどからそういう風に見られているってことだ。


「昨日はわけ分かってなかったけど、よく考えたら、12歳で普通に母親と一緒に寝たり風呂入ったりしてるって、ヤバイよな……」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 試合が終わって闘技場の外に出ると、すぐにイヴリンが頭を撫でてきた。


「本当によくもやってくれたわねフェリクス! お母さん本当に誇らしかったわ! いつの間にあんなに強くなったのかしら! ねぇ!」


「……う、ううっ」


 頭をぐわんぐわん揺らされて、変な声が漏れる。


「お母さんたちみんなで応援にきて甲斐があったわ! 今夜は祝勝会ね! 美味しいものを食べにいきましょう! それか、おうちでパーティーを開くというのもいいわね!」


「おいイヴリン、その辺にしておけ。まだ2回戦を勝っただけだ」


 隣から、エレンが冷静な口調で注意してくれた。


「大会には、この辺りのフェリクスと同年代の剣士がほぼ全員参加している。トーナメントはまだまだ続くんだ。一度、二度勝ったくらいで浮かれていたらキリがないぞ」


「……分かっていますわよ、そんなの」


 イヴリンは言われて、ちょっと拗ねたように俺から手を離した。


「ふんっ、さすがエレンね。試合に勝ったばかりで、もう先のことを見据えているだなんて」


「当たり前だ。私はフェリクスの剣術の師匠として、常に道を示さないといけない立場だからな」


「イチイチはしゃいだりはしないってことね……まあ、悔しいですけど言っていることは正しいわ」


 ……? イチイチはしゃいだりはしない? 誰が?


「でもよー、ちょっとおかしくねーか?」


「――? なにがだ、プリシラ?」


「いや、あたしは剣術のこととか分かんねーけどよ。今まで一勝も出来なかったのに、なんでこんな急に強くになったんだ? 不思議じゃね?」


「……それもそうだな」


 エレンは、少しの間考えるようにしてから、、「そもそも、技術だけで言うなら、フェリクスは以前から飛び抜けたものを身に付けていたんだ。それこそ同年代なんて相手にならないくらいのな……まあ、私の息子だし、私が教えているんだから当たり前なんだが」


「……エレンお前、それすげー親馬鹿」


「実戦で中々結果が出なかったのは、フェリクスの性格の優しさゆえだな。どうしても対戦相手を怖がってしまう所があって、本来の実力が出せないでいたんだ――しかし、昨日と今日のフェリクスは見違えるようだ。迷いなく剣を触れている。たくましくなったというか……ふふっ、まるで別人になったみたいだな」


「何も不思議なことはありませんわ。男の子というのは、ちょっと目を離している間に劇的に成長する生き物ですからね」


 イヴリンが屈んで、俺と目線を合わせるようにして囁きかけてくる。


「ねぇフェリクス、今からでも槍をやってみない? 剣なんかよりずっと面白いわよ? 槍のことならイヴリン母さんは、なんでも教えてあげられるし」


「……おいイヴリン。なに目の前で弟子を横取りしようとしているんだ」


「だって、エレンばっかりずるいんですもの。わたくしだって可愛い息子と槍の稽古をしたいですわ。ね? フェリクス? 槍の方がいいわよね?」


「――はい、ストップ! よっぽどのことでない限り教育方針で本気揉めはナシですよ」


 ぱんぱんっ、とディーネが掌を打った。


「それよりもうお昼ですし、せっかくみんなで町に来たんですから何か食べに行きませんか? 祝勝会、というわけじゃありませんけど、フェリクスもお腹が空いているでしょうし」


「あー、悪い。あたし午後から仕事なんだよ」


「あいにく、わたくしも仕事ですわ。ごめんなさいねディーネ」


 ディーネの呼びかけに二人が残念そうに答える。


「あらら、そうでしたか。では、エレンは大丈夫として……スズはどうします?」


「………………」


 スズは真っ青な顔で口元を抑えていた。

 そういえばさっきから、一言も会話に参加していない。


「ごめんディーネ、私も無理そう。ちょっと気持ち悪くて……」


「え? 大丈夫ですか?」


「病気とかではない……さっきの試合を見たせい。フェリクスが危ない目に遭っているのを見ていたら、気分が悪くなった」


「……さっきの試合のどこに危ない場面があったんですか?」


「危ない場面だらけだった。相手の子が切りかかってきて、フェリクスが受け止めたときとか。剣が砕けて、飛び散った破片がフェリクスの目に入りでもしたらどうしようって……」


 スズの顔からは完全に血の気が引いていた。


「やはり私は見にくるべきでなかった……申し訳ないけど、一足先に帰らせてもらう」


「そ、そうですか……気をつけてくださいね、スズ」


「ごめんね、フェリクス。おめでとう。お母さん、心の底から祝福しているから」


「う、うん。ありがとう……」


「次も頑張って……応援してる」


 よたよたとした足取りで、スズはその場を去っていった。


 ……応援されても困るんだけどな。俺、次の試合に勝ちたいとか思ってないし。


 俺は、今朝決めた当面の方針を、頭の中で復唱してみた。

 とにかく、俺はどうにかしてこの世界で自立してみせる。

 2回目の人生では絶対に大人に負けたりしない。

 そのためなら、どんな努力だってするつもりだ。

 

 でも、今すぐは無理だ。

 この世界のことを何も知らないし、今の俺は何の力もない12歳でしかない。

 だから取り敢えずは、『フェリクス』としての日常をなぞることにする。

 剣術大会も、『フェリクス』が出る予定だったから出ているだけだ。

 

 見通しが立つまでは大人しくしておいて……準備が整ったら、いよいよ1人で生きていく。

 誰にも頼らず、自分だけの力で。

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