第12話 大人なんて、信用できない(前編)
大人びた子供だ、とよく言われた。
小学生にしては言葉を知っているだとか、子供らしくない落ち着きがあるだとか。
たぶん図書館によく通っていたから自然とそうなったんだと思う。
本なんて特別好きでもないけど、金を使わずに時間を潰せる場所なんて近所にそこくらいしかなかったし――休日に家にいると、誰かに殴られるかもしれないから、避難先が必要だった。
図書館で積極的に本を読むようにしていたのもそういう理由だ。
たくさん本を読んで知識をつけて、一日でも早く母親から自立するつもりだった。
ともかくこの無茶苦茶な環境から脱出しないと、俺はそのうち殺されてしまう……大袈裟じゃなく、本気でそう確信していた。
今の自分に命があるのは、ただ運がいいだけで、いつ大人たちの気まぐれで致命傷を負わされても不思議じゃないって。
大人は信用できない。
少なくとも俺にとっての大人は、『困ったときに助けてくれる』なんて存在ではなく、『簡単に子供を殺すことができる』暴力の化身でしかなかった。
ほんの少し気に食わないことがあると、奴らは子供を使って憂さ晴らしする。
そのたび俺は、絶望しそうになる心をどうにか奮い立たせていた。
大丈夫、今だけだ。大人になりさえすれば、こんなクズどもに怯える必要なんてなくなる。
こんな奴らに殺されたりしてたまるか。
俺の本当の人生は、大人になってからスタートするんだ。
「――でも、あなたは大人になれなかった」
白髪の婆さんは溜め息まじりに言った。
「私の立場で言うのもなんですが……可哀想に」
そこは、どこまでも果てがないような、真っ白な空間だった。
目の前に、見覚えのない70歳くらいの婆さんが浮かんでいる。
「……ここ、どこだ? あんたは?」
「あなたの夢の中です。なんとなく感覚で分かるでしょう――そして、私は神です」
「……神?」
「敢えてあなたに分かり易い言葉で表現するなら、ですけどね」
なんでだろう?
無茶苦茶なことを言われている筈なのに、納得できてしまう。
婆さんの声には不思議な説得力があった。
「あんたが神様なら、なんで俺の夢の中にいるんだ?」
「あなたが随分と混乱している様子でしたので、この私が直々に説明しにきたのです。転生させた身としては、そのくらいの責任は果たさねばなりませんからね」
「転生?」
「もう理解できていると思いますが、××××」
神様の婆さんは俺のフルネームを呼んだ。
「あなたは一度死にました。殺されたんです。母親の交際相手に、ビール瓶で頭部を強打されたせいでね」
「……なるほど」
すんなりと納得できた。
やっぱり、あの傷は致命傷だったんだ。
運よく助かったなんて、そんな都合のいいことが起こる筈がない。
「そうか、俺は死んだんだな……ちなみに、あのクズはどうなったんだ?」
「知りたいですか? なんなら、あなたを殺したあの男だけでなく――あなたの母親の末路についても、教えてあげることができますが」
「……」
俺は少しだけ考えてから、
「いや、いいや。別に興味ない」
「そうですか。では本題に入らせてもらいます。あなたは前の世界で一度死んだあと、別の世界に転生しました。この世界でのあなたの名前は××××ではなく、フェリクスです」
「フェリクス……」
散々呼ばれた名前だ。あれは本当に、俺のことを呼んでいたらしい。
「転生って……本当にあるんだな。死後の世界とか、全部嘘だと思ってたよ」
「滅多にあることではないです。あらゆる生物は一度死ねば、輪廻の輪の中に呑み込まれて元の形を失います。あなたのように不幸にも幼くして死んだ子供や、前世で特に秀でた実績を残した人間などに対してのみ、2回目の人生を用意する決まりになっているのです」
「……なんで?」
「ごくわずかな時しか生きられないあなたがたに対する、我々からのささやかなご褒美ですよ。誰を転生させるかは完全にこちらで決定します。子供の内に死んだら必ず転生できるという訳でもありません――要するにあなたは、運が良かったということですね」
「俺、別に2回目の人生を用意してくれなんて頼んでないんだけど」
「あなたに拒否権はありません。転生を許可されていない人間がどう頑張っても転生できないように、転生を許可された人間が転生を拒絶することもまたできないのです。テーマパークなどで行われる、『あなたが1万人目のお客様です』キャンペーンのようなものだと思って諦めてください」
……そんな風に言われるとなんだか有難みがなくなってくる。
子供の内に死んだから転生できたとか言われても、俺はそもそも死にたくなかったわけだし。
「まずあなたは転生する際に、前世での記憶を一旦封じられました。赤ん坊の状態で前世の記憶を保持することは不可能ですからね。そうして12年間、『フェリクス』という一人の少年として生きてきたのですが――昨日その封印が解かれたので、あなたは突然に『××××』としての記憶を取り戻したのです」
「記憶を……取り戻した?」
「あなたにしてみれば、ビール瓶で殴られ意識を失い、目を覚ますと『フェリクス』になっていた、という感覚かもしれませんが実際は違います。その間にあなたは『フェリクス』として12年間を過ごしているのです。心当たりもある筈です――例えば、憶えている筈のないことを憶えていたり、とかね」
昨日の闘技場でのことを言っているんだろう。
「……確かに心当たりはあるけど、でも、はっきりとは思い出せないぞ? まだ記憶の殆どが虫食い状態というか」
「一時的な混乱でしょう。突然に『××××』としての記憶を取り戻したせいで、『フェリクス』としての記憶が押しやられてしまっただけです。1年もすれば、すべて思い出せる筈です」
「1年って……結構かかるな」
「本当は、もっと緩やかに前世の記憶が回復する筈だったのですけどね。記憶の封印がこれほど突然に緩んだのは、『フェリクス』としてのあなたが、頭を強く打ち付けたせいです」
「……?」
「『頭を強く打ち付ける』というのは、あなたの前世におけるもっとも鮮烈な記憶ですからね。その衝撃が、『フェリクス』の精神を強く揺さぶったのでしょう」
頭を強く打ち付ける……俺はたんこぶのことを思い出した。
「なるほど……まとめるとこういうことだな。『××××』としての俺は、12歳で殺された。そこで記憶喪失になって、別の世界で『フェリクス』として12年間を過ごした。で、今度は『フェリクス』としての記憶を失って、でも代わりに『××××』としての記憶を取り戻すことができた。『フェリクス』としての記憶も、これから1年くらいで全部取り戻せる」
「その通りです。理解が早くて助かります」
「……でも、一つ分からないことがあるな」
俺は目覚めてから、一番意味不明だったことを尋ねる。
「『フェリクス』と一緒に暮らしているあの女の人たちは、一体何者なんだ?」
「あの女の人たちというのは、エレン・アイオライト、ディーネ・ストラトス、イヴリン・エルメンヒルデ、プリシラ・フロックハート、スズ・リヴィングストンの5名のことですか?」
「いや、フルネームまでは知らないけど……」
「あれはあなたの母親です。全員ね」
神様の婆さんはあっさりと答えた。
「あなたは『フェリクス』として生を受ける際、彼女たちの腹から産まれました。そして今も一緒に暮らしています。それだけの話です」
「……い、いやいや、おかしいだろ。なんで母親が5人もいるんだよ」
「5分の1ずつ出産したからです。彼女たちの言い方を借りればね」
「はぁ? 5分の1ずつ?」
「……面倒ですね」
神様の婆さんは言って、片手をかざした。
「特別です。当時の出来事を少しだけのぞかせてあげましょう」
「――っ!」
すると突然頭の中に、大量の情報が流れ込んできた。
処女で妊娠。
勘当。
同じ境遇の5人の少女。
教会での会話。
出産。
光の球。
消えた赤ん坊。
5つの光の球の合体。
1人の赤ん坊。
5人で育てていく……。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
夢の中だっていうのに、息が荒くなる。
「……な、なんだよこれ。12年前に、こんなことがあったのか?」
「どうやら理解できたようですね」
「……理解はできたけど、意味は分からない」
他人に説明しろと言われても出来る気がしない。
「なんで俺はこんな生まれ方をしたんだ? 母親が5人っていうのも、異世界に転生するときの決まりなのか?」
「何を言っているのですか。あなたが望んだことでしょう」
「……は?」
「普通の奴より五倍優しくされて、普通の奴の五倍愛されたい。俺のことを大好きでいてくれるお母さんが、五人くらい欲しい――それがあなたの、末期の際の願いではなかったのですか?」
「…………」
確かに死ぬ間際、俺はそんな訳の分からないことを考えていた。
「……い、いや、あんなの、なんとなく思い付いたってだけだけど」
「嘘ですね、あれは心の底からの願いでした。母がほしい。愛されたい。年上の優しい女性に甘えたい……死を目前にしたあなたの脳内は、そんな感情に満たされていました」
「……は、はぁ!?」
「だから、私はそれを叶えてあげたのです。仮にも神として、死にゆく子供の切なる願いを聞き入れない訳にもいきませんからね。まあ、前世からの卒業祝いのようなものだと思ってください」
「……な、なんだよそれ。別に俺、そんなこと頼んでないのに」
何かよく分からないけど、すごく恥ずかしいことを指摘されている気分だ。
「5人を妊娠させるって、具体的にどうやったんだよ。父親は? 子供を作るときって、その……男女で、しかるべきことをする必要があるはずだけど……」
「その辺りは神の権限で、限定的に世界の摂理を捻じ曲げておきました。大変だったんですよ? 純潔の娘を懐妊させたり、産まれたものを一つに融合させたりするのは」
婆さんはそこで微笑んで、
「その年で、『どうやって子供ができるか?』の知識はあるのですね。やはり精神が大人びていると、そういったものに興味を持つのも早くなるものですか」
「……いや、普通に知る機会があっただけだよ。家庭環境的に」
別に知りたくもなかった。
ウチに入り浸るような奴らは、大声でそういう話をするから、結果的に変な知識がついてしまっただけだ。
あいつら、子供のいる前でも平然とAVとか流すしな……。
「……勝手に転生させて、頼んでもないのに母親が5人かよ。神様っていうのは随分横暴なんだな」
「おや、お気に召しませんでしたか?」
「当然だろ――俺は大人が大嫌いなんだ」
神様が相手だろうが関係ない。
俺は婆さんのことを思い切り睨みつけてやった。
「知らない大人5人と暮らさなきゃいけないなんて、冗談じゃない。一回死んで思い知ったよ。大人はやっぱり俺の敵だ。俺はもう、大人の都合で殺されたりするのは絶対に御免だ」
「……なるほど。前世でもあなたは、親元から自立したがっていましたからね」
「ああ、今度は失敗しない。一秒でも早く自立してやる。母親が5人とか知ったことか――大きなお世話だ。俺には頼れる大人なんて、1人だって必要ないんだ」
「……そうですか。まあ、ひとまずはそういう姿勢でもいいでしょう。そろそろ時間ですしね」
「――?」
「説明すべきことはすべて説明しました。私があなたの前に現れるのはこれが最初で最後です。ちなみに同じ人間が2度転生することは絶対にないのであしからず。精々この世界で、悔いのないように生きることですね――」
婆さんの言葉とともに、白い空間がぐにゃりと歪んだ。
浮かんでいた意識が、どこかへ引っ張られる。
「ちょ、まだ話は――」
慌てて叫ぼうとしたけど、最後まで言い切ることはできなかった。
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