第11話 あるはずのない記憶(後編)

「――うわあああ!?」


「なっ!?」


 気が付くと、俺はありったけの力で木剣を振り払っていた。

 突き飛ばされたロレンスが、後ろにつんのめって転びそうになる。


「はー、はー、はー……」

 

 全身から滝みたいに汗が噴き出していた。

 なんだったんださっきの光景?

 喋っていたのは俺の筈なのに、まったく記憶がない。


「ふ、ふんっ、最後の悪あがきと言ったところか。どこまでも見苦しい……よく考えたら、お前みたいな雑魚に手間をかけるのも馬鹿らしいな。一思いに、一撃で成敗してやろう」


 ロレンスは転びそうになったのが恥ずかしいみたいで、ちょっと顔を赤くしながら木剣を振り上げた。


 くそっ、鬱陶しいなこいつ。

 俺は今すぐに、さっきの意味不明な記憶について考えたいのに!

 いらいらしながらロレンスの木剣をまた避ける。


「くっ! なおも逃げるか!」


 空振りしたロレンスは、悔しそうに俺を睨んできた。


「…………」


 というかどうでもいいけど、こいつ動き単調すぎないか?

 最初から威勢がいいだけで、避けようと思えば簡単に避けられる打ち込みばっかりだ。

 落ち着いて動きを見ればまず当たらない。

 こんな調子じゃ、夜中まで続けたって一撃も食らわないと思う。


「……?」


 いや、なんで俺にそんなことが分かるんだ? 

 剣道とか、今日までやったこともなかった筈なのに。


 だけど実際、ロレンスが何度切りかかってきても、俺は全部避けることができている。

 こいつ、自分の打ち込みが雑だってことに気付いてないのか?

 そんな前のめりになっていたら、ちょっと足を引っかけられただけで――


「う、うわあっ!?」


 ほら、転んだ。

 俺に足をかけられたロレンスは、その勢いのまま地面に転がる。


「き、貴様! 足をかけるなんて、よくも卑怯な手を!」


 ロレンスは転んだ体勢のまま、非難するような目で俺を睨んだ。


「なにが卑怯だ。これが真剣勝負だったら、真上から急所を貫かれてお前の負けだぜ?」

 

 間髪入れずに俺はそう答えていた。

 考えて声に出した言葉じゃなく、口が勝手に動いたって感じだ。


「ざ、戯れ言を! 弱虫フェリクスの分際で!」


 ロレンスはすぐに立ち上がって、木剣を構え直した。


「手加減はもうやめだ! 全力の打ち込みで、お前の頭を叩き割ってやる!」


「……だから、その構え方じゃ駄目なんだって」


 俺は思わず溜め息をついていた。

 見ていられない。


「……仕方ないな。俺がお前に、まともな打ち込みってものを教えてやるよ」


「お、お前が俺に教えるだと!? コケにするのも大概に――」


 ロレンスがまた何か言い終わる前には、俺はもう切りかかっていた。

 軽く踏み込んで、相手の首めがけて木剣を振るう。

 ロレンスの無茶苦茶な打ち込みとは違って、素早く正確な、当たったら間違いなく首の骨が折れる一撃だ。


「……えっ?」


 ロレンスは変な声を出すだけでまったく反応できていない。

 仕方なく、俺は首元で木剣を寸止めしてやった。


「……え? え?」


「理解できたか? 今のが、アイオライト流剣術の正しい打ち込みだ。お前は基本の型が染み付いていないから、さっきみたいな雑な打ち込みしかできないんだ」


 俺は木剣を下げて、固まったままのミルドを睨んだ。


「お前、もうちょっと真剣に稽古した方がいいぜ。今のままじゃ、相手と実力差があり過ぎて怪我するだけだ」


「……う、あ、あ」


 ロレンスは腰を抜かしたみたいで、へなへなとその場にへたり込んだ。


「――しょ、勝負ありっ!」


 審判のおっさんの声が響く。


「勝者、フェリクス! 二回戦進出!」


「ま、待て! 認めんぞ!」


 怒鳴り声をあげて、ミルドのおっさんが客席から広場に乗り込んでいた。


「こんな結果は無効だ! 審判! 私はこの勝負のやり直しを要求する!」


「ち、父上……」


 へたり込んだままのロレンスが、真っ青な顔でおっさんを見ている。


「ロレンス貴様、よくも私に恥をかかせてくれたな……! 何をぼーっとしている、さっさと立たんか! 立って、その生意気なガキを今度こそ叩きのめすのだ!」


「み、ミルドさま、困ります! 勝手に闘技場に上がられては……」


「黙れ! いいから勝負をやり直せ!」


 ミルドのおっさんは叫びながら、俺の肩を乱暴に掴んで、


「どうせこのガキが何か卑怯な手を使ったに違いないのだ! 本当の実力を出せれば、私の息子がエレンの子供などに遅れを取る筈がない!」


「……っ!」


「さあ、吐け! 不正を認めないなら、多少なりとも痛い目を見させるぞ!」


 敵意の込められた瞳、刺々しい声、俺より遥かに大きな身体……俺を殴りつけたあのクズと同じだ。


『――なんで酒買ってないの? 次切らしたら普通に殺すって言ったよな?』


 おっさんに睨まれて、俺は指一本動かすことが出来なくなっていた。

 逃げ出したいのに、脚が言うことを聞いてくれない。

 くそっ、これだから大人は……。


「――いい加減にしろ、ミルド! 見苦しいぞ!」


 いつの間にか広場に上がっていたエレンが、おっさんの手を振り払っていた。


「何が本当の実力だ。今、目の前で自分の息子が負けたのを、キミは見ていなかったというのか?」


「……う、うるさい! だからそれは、何かの間違いで――」


「間違いなものか。私はこの目で見ていたぞ。私の息子フェリクスが、キミの息子ロレンスに勝利したんだ。これは疑いようのない真実だ」


 エレンは、おっさんを正面から睨み付ける。


「完全な勝利だ。誰にも文句のつけようのない結果だ。それほどに二人の間には、歴然とした実力差があった」


「……ぐ、ぐぬぬ」


「あまり他所の家の教育方針に口出しするものではないがな。ミルド、キミは息子に一体何を教えているんだ? 試合を見させてもらったが、格好ばかりで、基礎がまったく身についていないじゃないか。まあ、基礎鍛錬をサボってばかりだったキミの子供らしいと言えばらしいが……これではロレンスくんが可哀想だ。彼のことを考えるなら、一刻も早くキミの元から離して、もっとちゃんとした剣士に師事させるべきだろうな」


「……え、エレン、貴様ぁ~!」


「安心したよミルド。どれだけ衰えていようと、父上がキミごときを跡取りに指名することなど絶対にないだろう――10年前にも言ったことだが、キミはそんなことを気にする前に、もっと真剣に稽古に打ち込め。以上だ」


 エレンは、もうミルドのおっさんには何の関心もなくなったみたいに視線を外して、俺の手を掴んだ。


「さ、今度こそ帰るぞフェリクス。早く朝ごはんを食べよう」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 エレンに手を引かれて闘技場の外に出たけど、頭の中は「?」の大洪水だった。


 なんかテンションが上がって色々言ったような気がするけど、よく考えてみると訳が分からない。

 どうしてあんなに動けたんだろう? 

 繰り返すけど、俺は剣道なんてやったことがない。

 ただどういうわけか、剣の扱い方を身体の方が理解していた……って感じだ。

 上手く言えないけど、忘れていたことを、思い出したというか。

 むしろ、剣をどう構えていいか分からないでいた自分の方が信じられない。


「腹が空いただろう、フェリクス」


 と、俺の手を引くエレンが声をかけてきた。


「朝ごはん、ディーネ母さんに言って多めに食べさせてもらおうな」


「……あ、うん」


 俺は改めてエレンの横顔を眺めてみた。

 何かに怒っているみたいな、不愛想な顔。

 朝会ったときから、さっきミルドに啖呵を切っていたときまで、ずっと同じ表情だ。

 

 ――でも、これは怒っている訳じゃない。

 この人はこれが素の表情なんだ。

 だからよく誤解されるし、よっぽど感情が昂ぶらないと表情も変わらない。

 昔からずっとそうだった。


 やっぱり、俺はこの人のことも『知っている』。

 知らない女の人の筈なのに、『会ったことがある』。

 信じられない話だけど、『そうと分かる』んだから仕方ない。

 まだ記憶が混乱していて、はっきりとしたことは言えないけど。


「――フェリクス。おい、フェリクス」


「――え?」


 一人で考え込んでいた俺は、エレンの呼びかけにはっと意識を引き戻された。


 ――? どこだここ? 

 さっきまで歩いていた町の大通りじゃない。

 なんかジメジメとしていて、薄暗い路地裏みたいな所だった。


「……い、いきなりこんな場所に連れてきて、ごめんな。すぐ終わるからな」


「……? ?」


「…………路地に入ったとはいえ、外だし、誰かに見られているかもしれない。だから先に謝っておく――で、でも無理だ。家まで我慢できそうにない」


 エレンの両手が、顔の両側に伸びて来た。

 それから間髪入れずに、唇が塞がれる。


「――っ!?」


 反射的に顔を背けようとした。

 でも無理だった。

 どんなに力をかけても、エレンの両手はびくともしない。


「――ああっ、かっこいい! かっこよかったぞフェリクス! ヤバかった、お母さんフェリクスがかっこよすぎて危うく気絶するところだった! ――26年間生きてきたが、あんなにスッとした瞬間はない! ああもうっ、どうして私の息子はこんなに出来がいいかなぁ!」


 エレンのキスはほとんど洪水みたいに、物凄い勢いで俺の顔面に降り注いだ。


「…………ちょ、や、やめっ――」


「これはもうちゅー地獄の刑に処すしかないぞ! フェリクスちゅー嫌がるけど今回ばかりはお母さん我慢できない! フェリクスがかっこよすぎるのが悪い!」


 ……まるまる一分くらい、エレンは俺にキスをし続けた。

 しばらくして満足したように顔から手を離したときには、もうさっきまでの不愛想に戻っていて、


「……さ、行こうかフェリクス。これ以上待たせると、他の母さんたちが怖い」

 

 なんて言って、さっさと表通りの方に歩き初めてしまう。


 俺は震える指先で、自分の唇を撫でた……。


「き、き、キス……? 今、キスされたのか、俺?」


 女の人とキスをしたのなんて、初めてだった。

 あくまで『俺の記憶』の中では、だけど……。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「おい、さっきの戦いぶりを見たか?」

「ああ、見事なものだった……12歳の子供とは、とても思えない」

「やはり『彼』は特別な子供のようだ……5人の母から産まれた、か。もしそれが事実だとするなら」

「そうだ。まさしく我々に必要な存在だ」

「絶対に『彼』を手に入れなくてはならないぞ」

「ああ。どんな手を使っても、な」

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