第10話 あるはずのない記憶(中編)
「それではこれより、アイオライト流剣術道場所属・ロレンスと、無所属・フェリクスの試合を執り行う。双方、心の準備はいいな?」
突然よく知らないおっさんに尋ねられて俺は戸惑う。
正面のロレンスは相変わらずのニタニタ笑顔で答えた。
「もちろんです。お前も大丈夫だよな? フェリクス」
「…………?」
俺は呆然としたまま、手元の木剣を見つめた。
さっきいきなり手渡されたものだ。
ロレンスも俺と同じ木剣を持っていて、俺に見せつけるみたいにぶんぶん振りまわしている。
俺たちが立っているのはドーム状の建物の内部――『闘技場』だとかいう広場の中央だった。
広場には俺とロレンス、それからなんか審判っぽいおっさんの3人しかいない。
広場の外側の客席らしき場所にはエレンと、感じ悪いおっさん・ミルドの姿が見える。
「よろしい――では、お互いに構えて」
審判っぽいおっさんが両手を挙げて言う。
そうしたら、ロレンスは木剣を振りまわすのをやめて、剣道の選手みたいなちゃんとした構えを取った。
俺はやっぱり、それを眺めることしかできない。
構え?
なにそれ?
「……?」審判のおっさんは、突っ立ったままの俺を不思議そうな目で見つめる。「……まあいい。では、試合開始!」
ばっ、と審判のおっさんが両手を振り下ろした。その途端、正面のロレンスが奇声を上げて切りかかってくる。
「おりゃあああ!」
「――うわっ!?」
びっくりして真横に避けた。ロレンスの木剣が凄い勢いで空を切る。
「ふんっ、相変わらず逃げるのだけは上手いな、弱虫フェリクス」
「い、いきなり何するんだよ!?」
「だが、正々堂々と戦った方がいい。これは剣術の試合なのだから、お前みたいに逃げてばかりでは絶対に勝てないぞ」
「……はぁ?」
なんだそれ? 剣術の試合? 今やらされているこれが?
確かに、剣渡されたし審判っぽい人もいる……いつの間にそんなことをやる流れになっていたんだろう?
剣術の試合って、剣道みたいなことか?
防具とか一切つけていないけど、安全性は?
なんて疑問を口にする余裕はなかった。
ロレンスが、どんどんと切りかかってくるからだ。
「おらおら、フェリクス! いつまで逃げ続けるつもりだ!?」
「ちょ! 待って! 一回待って!」
俺は全神経を集中させて、紙一重のところでロレンスの木剣を避け続けた。
剥き出しの肌に、木剣が直撃したら絶対に痛い。
骨折とかするかもしれない。
「どうしたフェリクス! なぜ構えないんだ!?」
後ろからエレンの叫び声が飛んでくる。
「落ち着け! まずは普段の稽古でやっていることを、一つ一つ思い出すんだ!」
「…………ふ、普段の稽古?」
「ふはは……話に聞いていた以上に酷さだな! まさかまともに打ち込みを受けることすらできないとは!」
今度はミルドのおっさんの高笑いが聞こえてきた。
「おいロレンス! その臆病者に、本当の剣術というものを教えてやれ!」
「はい父上! 見ていてください、僕の腕前を!」
ロレンスの攻撃がいっそう激しくなる。
左右に逃げてばかりいるのもさすがに限界になってきて、足がもつれた。
「やべっ!?」
動けなくなったところに、ロレンスの木剣が迫ってくる。
「――くっ!」
俺は咄嗟の判断で木剣を盾にしていた。
ばちっ! と木と木のぶつかる音が響く。。
俺の木剣は、運よくロレンスの木剣を受け止めてくれたらしい。
「こしゃくなっ!」
ロレンスがそのまま押し込もうとしてきたので、両脚で踏ん張ってなんとか堪える。
時代劇で言うところの、鍔迫り合いみたいな体勢になった。
「……ちっ、よけるのを止めたと思えば、今度は防御一辺倒か。つくづく意気地のない男だなお前は」
「し、知らねぇよそんなの! とにかく一回落ち着いてくれ! このままじゃ怪我する!」
「怪我? ふん、真剣勝負の最中に何を甘えたことを……お前には、剣士としての誇りはないのか?」
ロレンスは至近距離で、なんか見下した感じの目を俺に向けてくる。
「まあ、親が親だから仕方ないか。父上から聞いているぞ。お前の母親が、どんなに卑劣な剣士だったか」
「……?」
「いつも卑怯な手ばかり使って、本当は実力がないのを誤魔化そうとする、浅ましい女だったんだろう? 常に正々堂々と戦う父上とは真逆だ。そんな人間に教えを乞うているのだから、お前がこうして無様な戦い方しかできないのも道理だな。気の毒に。同情するよ」
「い、いや、それはよく分かんねーけど、取り敢えず一旦剣を下ろして――」
「ふっ、だが安心しろ。その歪み切った性根も、これから僕が叩き直す――父上に、僕がどんなに凄いかお見せしなくちゃいけないからな。すぐに一本は取らない。じわじわといたぶって、お前が失禁して許しを請うまで追い詰めてやる」
「……駄目だこいつ、話聞いてねぇ」
どうしよう、『まいった』とか言えばこの意味不明な勝負は終わるんだろうか?
こいつ全然話聞かないから、それでも切りかかってきそうな気がする。
くそっ……訳の分からないことだらけだ。
朝起きたら知らない部屋にいて、知らない女が一緒に寝ていて、他にも知らない女がたくさん出てきて『フェリクス』とかいう名前で俺を呼んできて――5人とも俺の母親だとか名乗りやがった。
完全にサイコ集団だろ。
5人の母親とか意味不明だし、そもそも俺はあんな奴ら見たことないし。ここがどこなのかも分からない。
今、何をやらされているのかも分からない。
分からない、分からない、分からない……。
「――っ!?」
その瞬間、頭が強烈に痛んだ。激痛で意識が飛びそうになる――。
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「――フェリクスはえらいな」
……痛みと一緒に、記憶が流れこんでくる。
なんだこれ?
いつの記憶だ?
そこは、だだっ広い草原だった。
遠くに夕焼け空が見える。
正面から、心地いい風が吹いてくる。
「キミは、毎日の稽古で決して手を抜かない。その年で基礎を固める大切さを理解できているというのは、並大抵のことじゃない。きっと将来、一流の剣士になれるぞ」
俺に語りかけてきているのは、青い髪の女の人――エレンだった。
汗に濡れていて、片手で木剣を握っている。
「……嘘はやめてよ、エレン母さん」
続いて、泣きそうな声が聞こえてきた。
…………?
この声は誰のだ?
「だって僕、エレン母さんに毎日稽古をつけてもらってるのに、誰にも勝てないもん……今日もロレンスくんに泣かされたんだ。『お前みたいな弱虫は、今すぐ剣士をやめるべきだ』って。僕、悔しかったけど、言い返せなかった」
「…………」
「僕、才能ないし、剣術辞めた方がいいのかな……このままじゃ僕だけじゃなくて、エレン母さんまで馬鹿にされちゃうよ」
「……それは絶対に違うぞ、フェリクス。キミに剣術の才能がないなんてことは絶対にない。技術だけで言うなら、キミは既に飛びぬけたものを持っている。ただ、性格が少しばかり優し過ぎるというだけだ」
「……エレン母さん」
「『私が馬鹿にされるかも』とか、そんな下らないこと考えなくていい。キミの実力を見抜けないような間抜けにどう思われようと、エレン母さんは何にも気にならないからな」
「…………ぐすっ」
誰かのすすり泣くような声が聞こえてくる。
だから、さっきからこの声は誰のだ?
……いや、どこかで聞いたことがあるような気もするけど。
「……エレン母さん、僕、絶対に一人前の剣士になるよ。それで、みんなにこう言ってやるんだ……『僕が強くなれたのは、エレン母さんに鍛えてもらったおかげだ』って」
そうだ、やっぱり知っている声だ。
俺はこの声を、物心ついたときからずっと聞いていたような……。
「だから、それまで待っててね、エレン母さん。僕、エレン母さんのために、うんと強くなってみせるから」
というかさっきから喋っているの、俺だった。
聞き間違える筈がない。
これは間違いなく俺の声で、俺の言葉だ。
「――ふぇ、フェリクスっ!」
エレンは雷に打たれたみたいに身体をよろめかせた。
「……き、キミはほんと……そうやって唐突に可愛いこと言うの、本当にずるいぞ」
「……? 可愛い? 何が?」
「あああもう駄目だ。そんなこと言われたらもう我慢できない……」
エレンは言いながら、周囲をキョロキョロと見渡す。
「……な、なあフェリクス。外だけど、近くには誰もいないし……しないか?」
「え? だ、駄目だよ! ぼ、僕もう子供じゃないんだし……いい加減、お母さんとそういうことするのは卒業しないと……」
「……そんなこと言って、知っているんだぞ? ディーネ母さんとはまだこっそりしているんだろう?」
「――!? え、な、なんで!?」
「この前たまたま覗き見たんだ……ショックだったぞ。どうしてディーネ母さんはよくて、エレン母さんは駄目なんだ?」
「ち、違うよ! あれは、ディーネ母さんが無理やり迫ってくるだけで……」
「……なるほど。だったら私も、無理やり迫ればいいんだな?」
がっ、と両肩をエレンに掴まれる。
「安心しろ。他の母さんたちには内緒にするから……」
ぐぐぐ、とエレンの優しそうな顔と、ぷにぷにとした唇が、俺の口元に近づいてくる……。
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