第9話 あるはずのない記憶(前編)

 どこをどんな風に走ったのか憶えていない。

 気が付いたら建物の外に出ていたので、とにかく夢中で全力疾走した。

 あの頭のおかしい女どもに捕まったらおしまいだと思った。

 周囲の景色に気を配る余裕なんてなくて、もう肺が潰れる、というくらいまで走り続けて――気が付いたら、町らしき場所に辿り着いていた。


「……はぁ、はぁ……な、なんだここ? 外国か?」


 そこには、とても日本とは思えないような風景が広がっていた。

 

 石を敷き詰めた地面。

 三角の屋根がついた家。

 遠くの煙突から、煙が立っているのが見える。

 昔テレビで見たことがある、ヨーロッパ? みたいな町並みだ。

 少なくとも俺の住んでいる××市に、こんな場所があるなんて聞いたことがない。


「おら、邪魔だ坊主! どけ!」


 と、後ろから怒鳴り声と一緒に馬車が走って来た。慌ててよける――馬車!?


 びっくりして二度見すると、やっぱりテレビとかで見たことがある本物の馬車だった。

 荷台に剥げ頭のおっさんが座っていて、一頭の馬に本体を引かせている。

 当たり前だけど、馬車なんて生まれて初めて見る。

 っていうか、町中で馬車って走らせていいのか? 法律は?


 ……もしかしたら、ここは日本じゃないのかもしれない。

 馬車は走っているのに自動車は見当たらないし、電柱とかも立っていないし、道を歩いている人たちの格好も変だ。

 なんていうか、ファンタジーRPGの村人みたいな格好で、スーツを着たサラリーマンや学生なんて一人もいない。


 まさか、外国?

 俺は知らない間に、日本の外に連れ出されたのか?

 いや、例え外国だとしても、町中で普通に馬車が走っている国とか21世紀に存在しないだろ……。


「――おい、フェリクス! フェリクスじゃないか! こんな所で何してるんだ!?」


 ――心臓が飛び出すかと思った。俺は慌てて声のした方向を振り向く。

 

 あのおねーさんたちが追いかけてきたのかと身構えたけど、違った。

 そこにいたのは俺と同い年くらいの子供だった。

 俺の方を向いて、ニタニタと変な笑顔を浮かべている。


「ようフェリクス。お前が一人で町にいるなんて珍しいな。ママと手を繋いでいなくても大丈夫なのか?」


「…………?」


 いや、知り合いみたいに話しかけてきたけど、誰だよこいつ。


「……なんだお前、このロレンスさまが話しかけてやっているのに、無視するつもりか?」


 俺が何の返事もせずにいると、そのロレンス? とかいう奴は、ニタニタ笑いを引っ込めて俺を睨み付けてきた。


「あんまり調子に乗っているようなら、いつもみたいに泣かすぞ。12歳にもなって未だに母親離れできない弱虫は、ちょっと虐めただけですぐに泣き出すからな」


「…………ええと」


 何か返事した方がいいんだろうか? 

 それにしても、なんか感じの悪い喋り方する奴だな……クラスに一人はいるいじめっ子タイプだ。それも陰湿な。


「ああ、そうか、ビビって言葉も出ないのか。まあ無理もない。今日の試合、『ママっ子』フェリクスの対戦相手はよりによってこのロレンス様だからな」


 と、やっぱり俺は何も言っていないのに、ロレンスは勝手に納得した様子で頷いた。


「まあ逃げずに来たことだけは褒めてやろう。本当は腕の一本でも折ってやろうかと思っていたが、その意気に免じてべそをかかすくらいで済ませてやる。俺は心が広いからな」


「いやあの、お前さっきから何を言って――」


「よし、そうと決まれば早速闘技場に向かうぞ! 今日は父上も見に来てくださるのだ! 試合開始の刻限に遅れるわけにはいかない!」


「うわっ! ちょ、ちょっと待てって!」


 ロレンスは俺の言葉に完全に無視して、強引にどこかへ引っ張っていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……うわぁ、なんだこれ」


 到着した先に立っていたのは、巨大なドーム状の建物だった。

 巨大といってもプロ野球の球場とかよりはぜんぜん小さいと思う。

 たぶん、学校の体育館くらいの大きさだ。


「ふふ、そういえばフェリクスは、この神聖な闘技場で試合をするのは初めてだったか?」


「……闘技場?」


「この闘技場では様々な武芸の大会が開かれるのだ。今日俺たちが参加する大会は少年の部とはいえ、お前のような雑魚には勿体ない舞台だな」


「…………だから、さっきから何の話をしてるんだよ?」


 闘技場? 

 そんなのそれこそゲームでしか見たことがない。

 確かに、目の前のドームはそれっぽい形をしているけど。


「――あ、父上! 父上がいらっしゃる!」


 そこで急に、ロレンスがぱああ、と顔を輝かせた。


「おーい、父上!」


 ロレンスが呼びかけた先には、一人のおっさんが立っていた。


 30代くらいの、なんか高そうな服を着たおっさんだ。


「……っ」


 反射的に身が竦んだ。

 大人の男だ……俺の大嫌いな。


「おいおい、はしゃぎすぎだぞロレンス。父親を見つけたくらいでそんなに取り乱してどうする」


「ごめんなさい父上! でも僕、父上が剣術の試合を見にきてくれたのが嬉しくて……」


「ふふっ、可愛い息子の成長を確認する良い機会だからな……ところで、そちらは?」


「今日の対戦相手ですよ! 傍に母親がいなければ何もできない、弱虫フェリクスです!」


「――! ほう、君がフェリクスくんか……」


 おっさんは俺の方を見て、目を細めた。


「くく……そうか。これが、『例の少年』か」


 ……当然のように俺がフェリクスであることを前提に話が進められているけど、否定した方がいいんだろうか?


「お初にお目にかかるね、フェリクスくん。私はそこのロレンスの父親で、ミルドという者だ。実は私は、君のお母さんの古い知り合いなんだよ」


「……は、はあ」


「君のお母さん――エレンとは同じ道場で汗を流した間柄でね。エレンが『あんなこと』になって破門されたときは、本当に残念だったよ。私は彼女のことを、実の妹のように可愛がっていたからね……ぷぷっ」


「……?」


「ぷぷぷっ……いや失礼。しかし、まさか10年の歳月を経て、お互いの息子同士の対決を見られるとは思わなかったな。なんと感動的な巡り合わせだろう」


「…………」


 変なおっさんだな。何言ってるか一つも分からないけど、取り敢えず喋り方がイチイチねちっこい。


「エレンの息子というくらいだから、きっとキミも強いんだろうね。うん、そうに決まっている。ウチの息子では相手にならないかもしれないが、今日は一つ胸を貸してやってくれたまえよ――ぷっ、くははっ、はははははっ!」


 とうとうおっさんは意味不明な所で笑い出した。

 大丈夫かこいつ? 


「――何が実の妹のように可愛がっていた、だ。冗談も大概にしろよ、ミルド!」


 突然真後ろから声が聞こえてきた。

 振り返って、「……げ」と思わず声が出る。

 そこにいたのは謎のおねーさん5号――エレンだった。

 俺のことをここまで追いかけてきたらしい。汗だくで、ぜえぜえ息を切らしている。


「はあ、はあ……フェリクス、急に飛び出すなんてどうしたんだ。お母さんたち、びっくりし過ぎてしばらく動けなかったぞ」


「……あ、っと」

 

 俺はちらりと後ろを確認する。

 今すぐ走ったらまた逃げられるか? 

 いやでも隙をついたさっきとは違って、普通に追いかけられたら大人からは逃げられないだろうし……。


「とにかく帰ろう。みんな朝ごはんを食べずにキミを探しているんだ。何か私たちに言いたいことがあるなら、ちゃんと聞くから――」


「待てエレン。貴様、昔の先輩を無視するとはどういうつもりだ?」


「……ミルド」


 エレンはうんざりしたように表情を暗くして、俺から視線を外した。


「……10年ぶりだな。私が破門されて以来か。元気だったか?」


「おかげさまでな。だが師範――貴様のお父上の方はそうでもないが。自慢の娘に大恥をかかされてからは、すっかり意気消沈してしまったらしい。お気の毒に」


「……今の道場はどうなっているんだ。跡取りは?」


「まだ決まっていない。あの老いぼれが、いつまでも現役を気取るものでな……だが、時間の問題だろう。そして実績を鑑みれば、次の跡取りに使命されるのは恐らく私だ」


「…………」


「お前はお前で幸せみたいだから良いじゃないか。聞いたぞ? なんでも、他の女たちと5人がかりでガキを育てているそうだな……くくっ、訳が分からん。どうして1人の子供に対して、母親が5人も存在するんだ?」


「……それは――」


「『5分の1ずつ妊娠していたから』か? 馬鹿馬鹿しい。そんなことがあるわけないだろう――お前たちが町でなんと噂されているか教えてやろうか。どこからか攫ってきた子供を自分の子供だと言い張り、町外れの屋敷で家族ごっこに興じる頭のおかしい女ども、だ。あのとき孕んでいた赤ん坊はどうしたんだ? 流産でもしたのか?」


「…………よく分かった。これ以上キミと話すのは、時間の無駄らしい」


 エレンは溜め息をついて、俺の手を掴んだ。「帰るぞフェリクス」


「おいエレン、そのガキをどこに連れていくつもりだ? そいつは今から、私の息子と剣術の試合をする予定なんだが」


「……すまないが、棄権させてもらう。今日はもともと、その手続きをするつもりだったんだ。フェリクスは負傷していて、全力で戦える状態にない」


「はっ、負傷だと? どこを負傷していると言うんだ? ピンピンしているではないか」


「……。負傷しているものは負傷しているんだ。キミに詳細を説明する義理はない」


「父上、その女が言っていることは嘘ですよ。フェリクスは怪我なんてしていません」


 急にロレンスが口を開いた。


「フェリクスは、ちょっと膝を擦りむいたくらいで痛がる根性ナシなんです。どうせ僕に負けるのが怖いから、尻尾を巻いて逃げようとしているだけです」


「はぁ? おい、冗談だろう? エレン貴様、自分の息子をそんな軟弱に育てているのか?」


「…………」エレンは、気まずそうに目線を逸らしていた。「……いやでも、あんなに痛そうなたんこぶが出来てるし」


「は? なんだって? よく聞こえないぞ!」


「あ、頭の怪我は怖いんだ! 大事を取って取り過ぎるということはない!」


「…………まさか貴様、自分の息子が無様に敗北して恥をかくのが嫌なのか?」


「……なんだと?」


「いや、いい。そういうことなら合点がいった――何せお前の息子の腕前については、ロレンスから何度も聞かされているからな。心の底から同情するよ。その年齢で、試合に一度も勝ったことがないんだろう?」


 おっさんは例のムカつくニタニタ笑いを浮かべていた。「その点、ウチのロレンスはモノが違う。まだ小さい頃から、この私直々に剣術の基礎を叩き込んでいるからな。少なくとも同年代に、ロレンスの相手になる剣士はいないだろう」


「光栄です父上! フェリクスごとき、目を瞑ってでもボコボコにしてみせます!」


「はっはっはっ。くれぐれも怪我をさせないよう手加減してやれよ?」


「…………」


「どうしたエレン、怖い顔をして。これから戦うのはお前ではなく、お前の無能な息子だぞ? ――それとも、尻尾を巻いて逃げるか? それなら確かに恥をかかずに済むかもしれないな。剣士としての誇りは地に堕ちるだろうが」


「………………」

 

 エレンは眉間に皺を寄せたままで、俺の方を向いた。「……フェリクス。さっきあんなに走れたんだから、頭の怪我はもう大丈夫だな?」


「え?」


「大丈夫、だな?」


「……えっと、たぶん」


 凄い迫力で睨まれて、思わずそう答えてしまう。


「――では、前言を撤回しよう。これから試合を行い、私のフェリクスがキミの息子を叩きのめす」


「――なっ!?」


「恥をかきたくないなら、キミの方こそ尻尾を巻いて逃げることだな、ミルド」


「……貴様、吐いた唾を飲むなよ?」


「――というわけだ。かましてこい、フェリクス。普段の稽古通りの力を出せれば問題ない」


「……えっ?」


 エレンにぽん、と肩を叩かれて、俺はやっと我に返った。


 なんだ? 俺は今から、何をやらされるんだ……?

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