第6話 そして出産へ(後編)
私はすぐさま部屋を飛び出していた。
ベッドの脇で驚愕に固まっていた使用人が、慌ててどこに行くのかと尋ねてきたが答えている余裕などない。
屋敷の外に出て、遠くの山々めがけて一目散で駆け出す。
着替えている暇もなかったから寝間着のままだし、そういえば靴も履き忘れたが、どうでもいいことだ。
そんなことより急がないと、あの光の球に追いつけなくなる。
「――くそっ! 久しぶりだな、こんな元気よく走れるのはっ!」
妊娠前の自分に戻ったようだった。こんなに腹が軽いと、まるで今日までの妊娠がすべて嘘のように思えてくる――そんなわけないのだが。
あの陣痛が嘘だったなんて、あの子と過ごした9ヶ月間が幻だったなんて、それこそ嘘に決まっている。
山の中に入っても、私は全力疾走を緩めなかった。砂利やら木の枝やらを踏みつけて足が傷だらけになるがまるで気にならない。
「待ってろ……待ってろスレイン……!」
光の球は間違いなくこの先だ――どういう理屈か分からないが、気配のようなものを感じ取ることができるのだ。
恐らくそこまで距離は離れていない。
このまま走り続けていれば、必ず追い付ける。
どれだけ走っただろう。朝方から走り始めて、気付けばもう日が傾きかけている。
小さな山々を幾つも超え、私はやがて小高い丘に辿り着いていた。
「はぁ……はぁ……」
流石に走り疲れて、その場にへたり込む。
「……こ、ここだ。ここに違いない」
ずっと追い続けていた気配を強烈に感じる――ここがゴールだ。光の球は、この丘のどこかに隠れている。
「――エレンさん?」
「……おいおい、なんでお前までいるんだよ?」
と、横合いから聞き覚えのある声が響いてきた。
視線をやって私は驚く。
「……キミたち、何故ここに?」
へたり込む私を見下ろすように立っていたのは、二人の少女――ディーネとプリシラだった。
「そ、それはこちらの台詞ですよ、エレンさん……こんな山奥まで、その足で走ってきたんですか?」
パジャマ姿のディーネは、私の傷だらけの足を見て口元を抑える――そんな彼女の下腹部からは、綺麗さっぱり膨らみが消えていた。
「ディーネ……その腹は、まさか」
「はい。今朝産まれたんですけど……」
ディーネは表情を曇らせて言う。
「直後に光の球になって、遠くの山の方へ飛んで行ってしまったんです」
「なんてことだ……キミもだったか」
「それで私、慌てて光の球を追いかけて山に入ったんです。でも、慣れない山道で足を踏み外してしまって……崖から落ちそうになっている所を、たまたま通りかかったプリシラさんに助けられたんです」
私はプリシラの方へ視線を移した。彼女の下腹部もまた膨らみがない。
「プリシラ……まさかキミも、光の球を追いかけてきたのか?」
「その口ぶりだと、お前もそうみてーだな……ったく、いよいよわけわかんねー」
プリシラは険しい表情で髪を掻きむしった。
「ああ、そうだよ。あたしはリュカを追いかけてここまで来たんだ。魔術師の里から必死こいてな」
「『リュカ』……?」
「あたしのガキの名前だよ……文脈から分かるだろそれくらい」
やや苛立ったような口調でプリシラは答えた。
その額には大量の汗が滲んでいる。
半年前に会ったときと比べると、かなり平静を失っている様子だった。
「ああ、くそっ、ようやくリュカの顔を見られると思ったのに……光の球になって飛んでいくとか、意味わかんねー!」
しかし私だけでなく、ディーネとプリシラも同じ状況になっていたとは……ということは、他の2人も――
「――私の赤ちゃんはどこっ!?」
背後から甲高い叫び声が響いてきた。振り向くと、目を血走らせたイヴリンの姿があった。
「い、イヴリンさん!? どうしたんですか!? 血まみれじゃないですか!?」
ディーネが悲鳴じみた声を上げる。彼女の言葉通り、イヴリンは身体中傷だらけで頭からおびただしい量の血を流していた。
「あ、あなたたち……なんでこんな所にいるのか知らないけど、わたくしの赤ちゃんを見なかった!? こ、こっちに飛んできた筈なのよ!」
血を失い過ぎているせいか、イヴリンは虚ろな表情で尋ねてくる。
「と、取り敢えず横になってくださいイヴリンさん! 危険です!」
「別に、こんな傷大したことありませんわ……ここにくる途中に崖から転落して、そのあとクマに襲われただけですもの。それより、私の赤ちゃんを、フランツを探さないと」
言いながらイヴリンは、ふらふらとその場に倒れこんだ。
「ああ、だから言ったのに!」
ディーネが血相を変えてイヴリンの元に駆け寄る。
「うう、フランツ……わたくしの赤ちゃん、わたくしがお腹を痛めて産んだ子、返してよぉ」
イヴリンは倒れ込んでもなお、うわ言のように何事かをブツブツと呟いている。
「きっと天罰があたったんだわ……わたくしがあの子に、酷いことをたくさん言ってしまったから……あの子になにかあったら、わたくしのせいだわぁ」
「……イヴリン」
『フランツ』というのは彼女の子供の名前だろう。
この半年でどんな心境の変化があったのかは分からない。
だがどうやらイヴリンは自分の赤ん坊に名前をつけ、産み育てることを決意したらしい。
こんな傷だらけになってさえ、赤ん坊を追いかけてくるほどに。
――やがてスズもやってきた。
彼女も下腹部の膨らみが消えていて、相変わらずの無表情だが、どこか冷静さを欠いている様子だった。
「……なぜあなたたちがここにいる?」
スズは早口で私たちに尋ねつつ、キョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡す。
「まあいい。そんなことより、ここにクーファが来ている筈。光る大きな球体を見かけなかった?」
「……一応聞くが、『クーファ』というのは?」
「私の子供の名前。さきほど出産したが、なぜか消えてしまった」
「……それは私たちも同じだ」
私はスズに、5人が5人とも光の球を追いかけてここにやってきたことを説明した。
「……そう。それならあなたたちはあなたたちで捜索を続けるといい。とにかく私は、一刻も早くクーファを見つけて逃げないといけない」
「……逃げる? 何からだ?」
「一族から――私は一族を抜けた。すぐに私とクーファを殺すための追っ手がくる。だから、早く遠くに逃げないと」
「一族を抜けた? どういうことだ? 何かあったのか?」
「……首領の命令に逆らった。クーファが光る球体になって私の傍から消えた後、首領は私にクーファを探すことを禁じた。『そこまで得体の知れないものは駒としてコントロールできない』『子供などまた作れば
いい』――まるで意味が分からない命令。従う合理性が感じられなかった。だから一族を抜けてきた」
「……暗殺稼業の一族を抜けるなんてしたら、とんでもないことになるんじゃないのか?」
「……。だからさっきからそう言っている。いいから、クーファがどこにいるか教えて」
スズは懇願するような目を私に向けてきた。
半年前に自分の子供を『駒』と言い切った少女と、同一人物とはとても思えない。
「一族を裏切って生き延びた人間はいない。私も殺されるかもしれない……命に代えても、あの子だけは守らないと」
「――落ち着きなさい!」
ぱんっ、とディーネが強く掌を打った。
「皆さん、取り乱しすぎです。仮にも母親になった女が、そんなことでどうしますか。慌てふためいて事態が解決するのですか?」
ディーネの口調は力強く、極めて理性的だった。
「私だって本当は、エリオットのことが心配で堪りません――ですが、こんなときだからこそ、私たちは冷静になる必要があります。混乱したままでは可愛い我が子を救うことなど出来ません。違いますか?」
分からないものだ、と思う。半年前は世間知らずのお嬢様という印象だったが、今はこの中の誰よりも『母親』の表情を浮かべている。出産を経験して肝が据わったのだろうか? そしてやはり彼女も、我が子に『エリオット』という名前をつけているらしい。
「ディーネの言う通りだ。私も、さっきまではスレインのことで頭がいっぱいだったが、少し落ち着いた。全員、一旦冷静になろう。光の球を探すのは、それからでも遅くは――」
――その瞬間だった。
私たち5人の頭上に、突如として、5つの光りの球が出現していた。
「――フランツ!?」「エリオット!?」「リュカ!?」「クーファ!?」「スレイン!?」
私たちはほぼ同時にそれぞれの子供の名前を叫んでいた(イヴリンなど頭から血が噴き出しているにも関わらず半身を起こしている)。
5つの光の球はぐるぐると空中を回っている。思い切り跳躍しても届かない高さだ――くそっ、せめて近くに木の一本でも生えていれば叩き落とせるのに。
しかし事態は、予想だにしない展開を見せる。
5つの光りの球が、合体したのだ。
「「「「「――!?」」」」」
声にならない悲鳴を上げたのは、5人とも完全に同時だったように思う。
合体した巨大な光の球は、ゆっくりと降下していく。やがて地面に降り立った光の球は……徐々に形状を変化させ、赤ん坊の姿になった。
「……おぎゃぁぁぁぁぁ!」
甲高い産声を上げる、天使のような――『1人』の赤ん坊を、私たちは呆然と見つめる。
「……どういうことですの?」
イヴリンがぽつりと、その場にいた全員の気持ちを代弁した。
「光の球が赤ん坊の姿になった……これってつまり、元の姿に戻ったってことですよね?」
「でも、1人だけだぜ? 他の4人はどこ行ったんだ?」
「……あの子は誰の子供?」
4人とも、あまりの出来事に理解が追い付いていないらしい――そんな中、私だけが赤ん坊に歩み寄っていた。
「…………」
私は無言のまま、泣き喚く赤ん坊を優しく抱き上げる。
ずっしりとした重み。
今にも折れてしまいそうな細い首。
生まれたてのつるつるの頭皮。
そして、私の瞳を真っ直ぐ見据えて逃さない、無垢な眼差し。
「……ああ、そうか」
その瞬間どういうわけか、私は自分の身に起こった全てを完全に理解していた――考えてみれば当たり前の話だった。
私たちは1人として、まともな形で妊娠していない。
だから出産にしたって、そもそもまともである筈がなかったのだ。
「……この子は、私たち5人の子供だ」
私は他の4人の方を振り向いて言った。
「私たちは今日まで、5分の1ずつを妊娠していたんだ。それが合体して、この子になった。この子はディーネが産んだ子で、イヴリンが産んだ子で、プリシラが産んだ子で、スズが産んだ子で、そして私が産んだ子だ。誰の子というわけではなく、全員の子供なんだ」
「……な、何を言っているんですか、エレンさん?」
訳が分からない、という表情を浮かべるディーネ。
他の3人も似たような顔をしている。
私はそんな彼女たちに理解させるため、語気を強めて言った。
「私たちは今日からこの子の母親だ。5人で支えあって、この子を普通の人間の5倍幸せにしてやらなければいけないんだ――この子を産んだ私たちには、その責任がある」
この日、私の妊娠生活は終わりをつげ、エレン・アイオライトは一児の母になった。
そして、12年の月日が流れた。
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