5.掃除屋を継いだ男
七星邦孝は、今日8杯目のカクテルを作るために、棚からグラスを取り出した。
綺麗に磨き上げられ、少々冷やされた状態で保存していたグラス。
それをカウンターの上…既に置かれていたカクテルシェーカーの横に置く。
「お前がコレを頼むとは珍しいな」
次に邦孝は、彼の背後に整然と並べられたボトル棚から、注文に合ったカクテルを作るためのボトルを2つ、取り出してグラスの横に置いた。
「"仕事"が終わるまで辞めにしたんだ。マスター、俺の好み、忘れちまったかい?」
常連との会話。
邦孝の言葉に軽い口調で答えるは、霧立巧一朗。
邦孝は、ニヤリとした表情を浮かべると、手際よく氷をシェーカーに入れ、それから2種類の酒を注いだ。
ストレーナーとトップを付け、カシャン!と一振り。
それから少しの間、店内に邦孝がカクテルシェーカーを振る音が響き渡る。
「今日は気合入ってるね」
「カッコつけなのよ、昔から」
シェーカーの音。
そのバックには、常名志希が歌う昭和のアイドルソングがかかっている。
邦孝を茶化すのは、宝角瑞季と天城奈保子。
彼らの前には、既に空になったグラスが置かれていた。
「っと…」
シェーカーを振り終えた邦孝は、トップを開けるとグラスに中身を注いでゆく。
そっとやらず、豪快に…大胆に中身を注いでいった。
グラスに、爽やかな青い液体が注がれていく。
「はいよ」
中身を零さず綺麗に注ぎ終えた邦孝は、グラスを巧一朗の方へと滑らせる。
巧一朗はそれを受け取ると、グラスを手にして、掲げてからクイっと一気に飲み干した。
「久々に飲んだな。何年ぶりかね」
「"仕事"を始めたのは3年前。元号が変わる直前だったから、それ以来だろうよ」
「そんなになるか。あっという間だよな?…あー、瑞季の髪色が変わったくらいか?」
「志希ちゃんだって大学生になったでしょ。彼女もう2年生だよ」
巧一朗の言葉を起点に再び会話を重ねる4人。
背後で1人歌い続ける志希は、既に予約済みだった次の曲を歌いだした。
「そっかー…志希ちゃん、もう2年生なんだ。じゃ、初めて会ったときは…高校生?」
「中3の終わりだな。引っ越してきて直ぐの時だ」
「そう考えりゃ、良く志希を"入れた"よな」
「霧立さん、立場的には止めなきゃいけないのにね」
「そうそう、巧一朗は止めるどころか、私達を逮捕しないとダメなのにね」
話題は常名の昔話。
4人は背後で歌い続ける"歌姫"の声をBGMに、会話を続ける。
「お前等だって立場的にはヤバいだろう」
「僕は大丈夫ですよ」
「宝角君だけだね。立場的に気にならないの。ああ、マスターもか」
「そうだな」
邦孝は奈保子の言葉に頷くと、適当に出していたグラスでジントニックを作り始める。
「なし崩し的に"掃除屋"を継ぐ羽目になった時には、こうなると思ってなかったが」
そのジントニックは、邦孝自らが飲むために作ったもの。
適当に会話を進めながら作ったそれを、言葉の合間で一口飲んで喉を潤す。
「継いだのは15年も前なんだ。あの時の俺はお前等みたいな立場でな。前の"仕事"が終わるときに継げと言われて継いだ…断れる訳も無いし、そもそもあの時に徹底的に"掃除"したんだ。俺が引退するまで"事"は起きないだろうってな」
酒が入ったのを言い訳に、少し口を軽くした邦孝は、4人に向けて"仕事"の話を始めた。
「綻びなんて、やっぱどっからでも出てくるもんだ。人間楽できるならそっちに靡くからな」
そう言うと、更にもう一口、ジントニックを流し込む。
「ん…12年経って、"仕事"の依頼が来た時には焦ったもんだ。俺一人でも仕事は出来るが、量的に無理がある。巧一朗が居たことが救いだったな」
「それはどうも」
「お世辞じゃないぜ。巧一朗を1人目にして、そこから広げて瑞季に奈保子…志希もコッチ側についてくれたのが上手く行ったんだろうな」
邦孝は照れ隠しにもう一口…残っていたジントニックを飲み干した。
「ま、無事にこの街の汚れ落としが出来たんだ。消えるべき人間を消したし…安全になって"勘違い"した人間もついでに消して"秩序を取り戻せた"…十分だろ」
邦孝の言葉に頷く3人。
その3人…そして志希が座っていた席の前に、邦孝は封筒を置いていく。
「マスター…これは?」
「皆に退職祝いさ。雇い主からじゃないぜ、俺からのボーナスだ。」
瑞季の問いに、邦孝は短い答えを告げる。
「これで全部終わりだな」
「…跡継ぎは?」
「済ませたが…お前が知る事じゃないさ。今後俺等の知らない所で"仕事"が起きたとしても、第3者じゃそれを感知出来ないだろうからな」
封筒を確認しながら告げられた巧一朗からの問い。
邦孝は深みを持たせた笑みを浮かべて答えた。
「俺等の番は終わった。この後の事は何も分からない」
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