2.軸のブレた男
霧立巧一朗は、ポケットに手を突っ込んで往来の様子をジッと見定めていた。
街の中心部…平日と言えど、人でごった返している場所もチラホラと見える。
キッチリと仕立てられたスーツに身を包み、人混みの中に埋もれるように立ち尽くした霧立は、やがて目当ての人物を見つけてほんの少し口元をニヤつかせた。
街の一角…建物の近くに立ったまま、誰かを待っている風を装っていた霧立は、遠くに見えた人影の方へ向けてゆっくりと歩き始める。
背が高く、ガタイが良い霧立の歩く先は、自然と道が開けていた。
"目立つな…"
時折不自然に道が開く。
こう言いたくはないが、大人しそうに見える人や老人程、霧立の姿を見止めて道を開けていた。
彼はそれに時折頭を下げつつ、低姿勢で人畜無害な男であることを出来るだけ示しつつ先を急ぐ。
遠くに見えた人影を追いかけ数百メートル。
人混みになっていた駅前通りから一本小道に入った所。
人で賑わう街の喧騒を特に感じられるほど、シンと静まり返った細い路地。
霧立は周囲を気にする素振りも見せず、目に映った人物が入って行った路地へ足を踏み入れた。
そのまま、路地を進み…その路地に面した小さなビルを見止める。
1階部分が駐車場になっているビルだ。
霧立が見止めた男は、そのビルの1階に止まった大柄な黒いSUVのロックを解除して、今まさに乗り込もうとしている所…
「すいません!」
霧立はその様子を見て、声を上げつつ駆け寄っていく。
男は悪態を付きつつ驚いた様子を見せたが、霧立の身なりを見止めるなり襟を正した。
「何か」
ぶっきらぼうな対応を見せる男。
霧立は仕事でも使う自然な笑みを男に見せつつ近づいた。
「少々お尋ねしたいことがありまして…」
そう言いつつ、名刺でも取り出すような姿勢を見せる。
スーツの上着に手を突っ込みつつ、霧立は順調に男との距離を縮めていった。
「営業ならお断りですが」
男は訝しがったが、それ以上の事は起こさない。
霧立は男との間合いに入った瞬間、その表情を一変させた。
「な…!」
驚愕する男。
寒気のする笑みを浮かべた霧立。
路地は何も起きていないかのように静けさを保ったまま。
…やがて、路地から霧立が出てきた。
ただ、通り抜けてきただけのような素振り。
持ち物も、様子も変わったところは一切無い。
霧立は、ポケットの中に忍ばせた"戦利品"の感触を確かめつつ、再び人混みの中へと消えていった。
・
・
その日、霧立は勤務を終えた足で行きつけのスナックを訪れた。
まだ夜の営業が始まって間もない時間帯。
「どうも」
誰もいない店内…ただ一人、顔なじみのマスターが霧立を出迎える。
「よう」
早い時間帯の来訪に、マスター…七星邦孝はほんの少し驚いた様子を見せたが、直ぐに慣れた手つきで最初の1杯目となるカクテルを用意して霧立に提供する。
「こういう日はビールの方が喜ばれるんだぜ?」
「お前はそう言ってもジントニックだと言い続けてたよな」
「よく覚えてる」
軽いやり取り。
霧立が警察官になる前からの知り合いは、霧立の弄りにも一切動じる気配を見せない。
それを見て苦笑いを浮かべた彼は、差し出されたグラスを手にして一口、冷たいジントニックで喉を潤した。
「これで最後か…」
喉を潤して数秒後。
周囲を見回し、まだ客が来ないことを悟った霧立は、スーツのポケットに忍ばせていた"午後の戦利品"をマスターに差し出した。
「物的証拠とは、今時古風なモノだねぇ」
差し出したそれ…USBメモリとSDカードを見ながら霧立がボソッと呟く。
七星はそれを受け取ると、中身を確認することなく、霧立に封筒を差し出した。
「確認は?」
「お前だからさ」
珍しいこともあるものだ。
何処まで行っても職人気質である七星のことをよーく知っている霧立は、何時もと違う対応を見せた七星の事を驚いた目で見つめていた。
「どうせ最後…終わっていようがいまいが…もう俺にも関係なくってな」
七星は滅多に崩さない表情を、ほんの少しニヤつかせる形で変えてそう言うと、手元で適当なカクテルを作り始める。
「珍しい。明日は大雨かもな」
「うるせぇ。ようやく終わるんだ。これくらいは許されるだろうさ」
ジントニックをもう一杯。
客用ではなく、自分用に作った七星は、グラスを掲げて言った。
「この1杯、お前の奢りで良いよな」
霧立は、そのセリフに目を見開いたが、直ぐにフッ笑みを浮かべグラスを掲げる、
「別に。全員から1杯貰ったって足りねぇと思うよ」
そう言うと、2人は静かにグラスを合わせた。
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