人知れぬ終幕劇

1.懐かしの未来から来た女

常名志希は、狸小路の隅で適当に始めた弾き語りを終えると、ギターケースを背負って歩き始めた。

目的地は、近場の立駐…スッカリ当たり前になったルーティンだ。

古風な眼鏡を掛け、昔はやった髪型に敢えてセットしたその容姿は、まるで30年以上前の世界からやって来たかのよう。


志希は周囲から時折浴びせられる奇異な目にも怯むことなく、飄々と夜の街を歩き進んでいった。

そのまま、普段使っている駐車場へ入って行く。

志希の車は、今時の時代では目立つ部類に入る白いスポーツカー。


車に乗って目指すのは、自宅ではなく酒場。

酒は飲めないが、居心地が良くて気に入っている、ちょっと中心部の外れの方にあるスナック。

エンジンを掛け、慣れた手さばき足さばきで車を出すと、夜の街に昭和の車を溶け込ませた。


気が付けば、大学に入って2年が経つ。

ギターケースを背負い始めたのはもっと前…スナックに入り浸るようになったのは…

ふと、そんなことが頭の中に過る。

夜の街、車を転がしながら、脳裏に過去の情景がフッと出て来ては消えていく。

志希は元々過去を振り返るような性質ではないが、最近、偶に過去を振り返るようになっていた。


過去を振り返るのも、最近の変化がキッカケだろう。

志希は客観的に自分を見つめなおす。

初めての"仕事"…これから向かうスナックのマスターから受け取った"法外な報酬"…


ココ数年、志希は金欠に喘ぐようなことは一切無かった。

それどころか、客観的に判断しても、他の同世代よりもお金を持っている方だろう。

夜の街を仕事場にしている同級生も数名知っている。

彼らが煌びやかに身なりを繕う為に使う額を聞いたことがあったが、志希にとっては"その程度か…"と思える額だった。


そんな夢の時間も終わりを告げる。

マスターからは予め伝えられていた終焉。

いつか来ると、最初から知っていたが、終わってみると改めて自らのやっていた事が異常だったと実感できる。


志希は上着のポケットから、1枚のSDカードを取り出した。

それを手で揉んで、再びポケットに仕舞いこむ。

これが、志希にとって最後の"仕事"の成果物。

スナックのマスターが言っていた言葉を借りるなら…生態系の崩れた街を元に戻した後の"後始末"を終えた証。


車で数分。

夜に輝いていた中心部から少し離れ、夜らしい暗さが所々に見える場所。

志希は何度も通った道を迷うことなく走り抜け、スナックが入った雑居ビルの前に車を止めた。


車を降りて、雑居ビルの中へと入って行く。

スナックは、そのビルに入って直ぐの扉の先。


「こんばんわー」


扉を開けた先、何時もと変わらぬ光景がそこにあった。

カウンター越しには、白髪と赤眼が特徴的なマスターが表情一つ変えずに立っていて、向かい側…カウンター席には1人、ガタイの良い男…七星邦孝が座っている。


「よぉ。さっき狸小路で歌ってたよな」


志希が男から1つ席を開けた場所に腰かけると、邦孝が話しかけてきた。


「なんだ、聞いて行けば良かったのに」


志希より一回り…二回り弱程年上の男。

彼女は年にも強面の見た目にも怯まず答える。


「どーせココで聞けるだろうしな」

「ま、それもそっか」


会って早々の軽口。

マスターが志希にジュースを出した事で一旦2人は口を閉じる。


「禁煙してるのか?」


本題に入る前…マスターは志希の様子を見て尋ねる。

志希は苦笑いを浮かべてコクリと頷いた。


「煙草のせいで2回程失敗してね」


そう答えると、志希は胸ポケットに入っていたSDカードをマスターに手渡す。


「煙草ってのは確実に臓物腐らせるからな。昔は当たり前だったんだが」

「今はねぇ…滅多に吸ってる子って居ないし」

「志希が古すぎるだけだと思うが」


"仕事"の話に入ったのにも関わらず、3人は軽口を叩き合った。

マスターは苦笑いを浮かべつつも、SDカードを端末に挿し込んで中身を確認し始める。


「これで最後か」


確認しながら、マスターがポツリと呟いた。

ネットに繋がっていない古いPC…それでSDカードの中身を確認し…その全てを消去し終えたマスターは、PCを閉じて志希に封筒を手渡す。


「金の感覚、狂わせるんじゃねーぞ」


封筒のやり取りを見ていた邦孝がポツリと釘を刺した。

志希はニヤリと笑って首を左右に振る。


「生憎、私は浪費家じゃないみたい。この稼ぎ、9割貯金してるのよ」


そう言って、カウンターの上のグラスを手に取った志希は、クイっとジュースを飲み干した。


「マスター、デンモクとマイク貸してよ。歌い足りなくて」

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