5.黄昏の中にいる男

七星邦孝は、暗闇に染まった街の中を歩いていた。

今日は店を開けていない…元々予告してあった定休日。

邦孝は、仕立ての良い衣服に身を包み、終電も終わった時間の街を行く。


この夜、邦孝は良く目立った。

道行く人々が、一度は彼の方に目を向けて驚いた顔を浮かべる。

客引きも、目立つ身なりの邦孝には積極的に声をかけてきた。


邦孝は、その何にも気にかけることなく、淡々と前を向いて歩き続ける。

一度邦孝の事を見た一般人や、面白半分で声をかけてきた客引きの若者たちは、彼からそれとなく感じるプレッシャーに押され道を開けていく。


目指す目的地は、何の変哲もない裏路地。

ポケットに手を入れて、淡々と歩いて目的地を目指す。


「おい、そこの白髪」


路地の方へ入って行く邦孝の背後から声がかけられる。

邦孝はピタリと動きを止めた。


「何だ」


すぐさま振り返り、声の主に尋ねる。

その声、その眼…その態度…明らかに苛立ちが混じっていた。


「い、いえ…何も」


声をかけた若者は、その迫力に圧されて威勢を失う。

邦孝は、何も言わず若者の瞳をジッと見据えると、やがて踵を返し路地裏へと消えていった。


暗闇の路地裏。

歩いて向かうのは、何処の建物というわけでもない…目指すのはただ1台の車。

狭い路地の中間あたりにポツリと止まった古いセリカが、彼の目的地だった。


「……」


車に歩み寄ると、窓を叩く。

運転席で半分眠りかけていた女がその音で飛び起きると、邦孝の姿を見止めて助手席の方を指さした。


「急にすまないな」


助手席に回り込み、ドアを開けて中に乗り込むと、邦孝はそう言って女に封筒を手渡す。

女…常名志希は封筒を受け取ると、首を左右に振った。


「全然。暇してたからね」

「…今日は外に出てなかったんだな」

「あぁ…ホラ、最近何かと厄介になって来たから…」


志希はそう言いながら、封筒を懐に仕舞いこむと、後部座席の方へと体を回して何かを探し始める。


「厄介…ねぇ。生態系のバランスがちょっと崩れただけだ」


邦孝はボーっと外を眺めながら言った。

直ぐに志希が何かを手にして戻ってくる。

そして、手にしたそれを邦孝へ手渡した。


「マスター、この程度で十分なの?ちょっとヤバい気がするんだけど」


手渡した志希は、どこか不安げな表情を浮かべて邦孝を見る。

邦孝は、受け取った物…簡易的な変装セットを見つめながら、小さく苦笑いを浮かべた。


「問題ない。奈保子に言って凝った事しても良かったんだがな。そんなことすりゃまた元通り…"レベルを下げる"なら、多少リスキーでもこれくらいの方が都合がいいんだ」


そう言うと、手慣れた手つきでパッと変装セットに含まれている物を身に着けていく。

カラーコンタクトを付けて、眼鏡も変え…カツラを被り…普段の邦孝ではやらないような髪型にカツラの髪を整えた。


志希は、安っぽい変装セットながらも、パッと見で邦孝ではないと分かる姿に変わって行く様子をじっと見つめつつ、時折周囲に気を配る。

幸い、ココに車を止めてから誰にも注目されていない。

古い車だから目立つかとも思ったが…この場所は街の"死角"のような所なのだろう。


「っと。鏡持ってるか?」

「はい。どうぞ」


準備を終えた邦孝に、志希は普段持ち歩いている手鏡を見せる。

手鏡で自らの姿を確認した邦孝は、珍しく口元に分かりやすい笑みを浮かべると、志希の方に顔を向けた。


「じゃ、30分後にココから移動し始めな。そのまま真っ直ぐ帰るんだ」

「分かった。マスター、明日は店開ける?」

「開けるさ。何時も通り」


邦孝は変貌した顔を志希に向けてそう言うと、小さく笑みを浮かべて見せた。

志希は滅多に表情を変えないマスターの"偽物の笑顔"を見て苦笑いを浮かべると、小さく頷いて手を振った。


「じゃ、また明日」

「ああ。また明日」


2人は最後にそう、言葉を交わしてから別れる。

邦孝は車の外に出て、暗い路地裏へと姿を消していった。


仕立ての良い服。

黒い髪に黒い瞳。

その手に握られたのは、安物のナイフ。

懐に握られたナイフと同じものを数十本隠し持ち、邦孝は夜の街へと消えていく。


「耳が良すぎるのも考え物だな」


ポツリと一言、誰にも聞かれない独り言を呟いた邦孝は、真上の月を見上げると、フッと表情を消して"仕事"に向かった。

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