4.琴線に触れない女

天城奈保子は、昼下がりの狸小路の中を歩いていた。

今日は、たまたま気まぐれで取った有給日。

朝、夫と子供たちを送り出した後で、久しぶりに何もしなくていい時間がやって来た。


奈保子は、滅多に見なくなった平日の光景を横目に見ながら小路を過ぎて行き、エスカレーターに乗って地下街…ポールタウンへと降りていく。

久しぶりの、何もない時間…家でダラダラしようと決めて居たはずなのだが、気づけば私服に着替えて化粧もして、流れるような動きで家を出ていた自分がいた。


当ても無く外に出て、滅多に見ない景色を眺めながら…ウィンドウショッピングを楽しみながら、札幌の中心部を歩き回ること3時間少々…

ポールタウンに降りて、ふと足を止めた時、不意にスマートフォンが振動した。


"3時の方向20m先"


振動の原因はメッセンジャーアプリ。

振動に気づいて、スマホを手に取って、表示された文章を見て目を見開いた彼女は、通知に書かれた通りの方向に顔を向ける。


「あぁ…」


目を向けた先、人混みの中でも目立つ姿の知り合いがそこに居た。

真っ白い髪に、真っ赤な瞳。

スラリとして、それでもガッチリとした体躯を持つ男…七星邦孝がそこに居た。


「仕事休みか?」


奈保子の元に歩み寄った邦孝が尋ねる。

奈保子はコクリと首を縦に振った。


「ええ。有給は使わないとダメな決まりらしくて」

「この間も使ってなかったか?」

「溜まりに溜まってるのよ。効率よくサボらないと」

「奈保子が言うと違和感凄いな。ま、時代か」


奈保子の返しに、邦孝はニヤリと笑みを浮かべる。


「して、ちょっと時間あるか?」


そのまま、流れるように本題へと話を向けた。


「あるけど。事による…かな」


奈保子は周囲を見回して、それから自分の予定を思い返してから答える。

邦孝は「大したことじゃない」と言うと、近くにあったコーヒーショップを指さした。


「ちょっと話に付き合ってくれりゃそれでいい。時間潰しの真っ最中で暇なんだ」


 ・

 ・


ポールタウンの喫茶店に入った2人。

店内は人もまばらで、2人は注文した物を持って適当な席に座った。

奈保子はブラックを、邦孝はブレンドコーヒーだ。


「偶に休みを取ると、珍しい事も起こるものね」


奈保子はコーヒーカップを手にそう言うと、クイっと一口喉を潤す。

邦孝もそれに頷くと、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「ちょっと手詰まりでな」


コーヒーには手を付けず、そう言って奈保子にメモ帳を渡した。

普段、仕事中でも胸ポケットに仕舞っている使い捨てのメモ帳…

奈保子は、その中に何が書かれているのかを知っている。

だからこそ、ほんの少し驚いた顔を浮かべつつ、さり気無く周囲を気にしつつそれを受け取る。


「マスターが何に詰まる事があるのよ」


口調はフランクさを保ったまま。

口調も顔も、仕事の応用で当たり障りのないものを作って表に出したが、メモの内容を理解する頭の中は驚愕で一杯だった。


「服だ」

「はぁ?」


何気ない問い、メモの内容に全く関係ない答え。

奈保子は滅多にしない反応を見せた。


「服って、マスター。どういうこと?」

「服は服だろ。着てく服さ。それに悩んでてな。この辺ウロついてた訳だ」


奈保子の確認に、邦孝は平然とした様子で答える。

奈保子は数秒間、目をパチクリさせた後、メモ帳を邦孝に返して溜息をついた。


それから、コーヒーを一口。

苦味で一度頭の中をリセットさせる。


「何時も通りじゃダメなの?」

「ああ。"身なりが良すぎる"んでな」


"仕事"モードに切り替えた奈保子の問いに、邦孝は調子を変えずに淡々とした口調で答えた。

奈保子はその言葉と、メモ帳に書かれていた内容を重ね合わせて頭を働かせる。

そして、ようやく邦孝の意図に気が付いた。


「マスター」


少々呆れ顔になった奈保子はそう口を開く。


「何だ」


邦孝は何かに気づいた様子の奈保子を見て、続きを促した。


「案が2つ。後、もう少し分かりやすくして」


奈保子が端的に"仕事"の話と愚痴を告げる。

邦孝は、ニヤリと笑うと小さく頷いた。

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