3.マジックアワーの青年

宝角瑞季は、仕事を早めに切り上げて帰路についていた。

最近、彼が請け負っている仕事は、デスマーチとも呼べる強行軍が続いていたが、それもようやく一段落が付いた頃。


久しぶりに薄明かりの中の街を歩く。

瑞季は左手の動きを確かめるように開いては閉じるを繰り返しながら、夕暮れ時の街を歩いていた。


この間、天城奈保子に治してもらった義手の調子はすこぶる良い。

動きにも問題が無いし、何より今まで以上に精巧な動きが再現できる。

瑞季はほんの少し口角を上げると、いつもの帰り道から外れていった。


向かう先は、大学近くの食堂。


"夕方にごった食堂。面を拝めるかもしれないぜ"


昼過ぎに貰ったメッセージを鵜呑みにして、瑞季は夕食ついでに"ごった食堂"へと歩いていく。

マジックアワーの時間帯…後少しで、空は夜の色に染まりそうだ。


道行く人を避けながら歩き続ける。

前を行く、歩くのが遅い人を右に左に避けて進む。

瑞季は少しだけ早歩きで歩いていた。


理由は特に無い。

ただ、何となく、空の色がオレンジ色の間に食堂に入りたかった。


真っ直ぐ突き進み、信号のある交差点を2つ渡って…角を1つ右に曲がる。

そうすれば"ごった食堂"が見えてくる。

それなりに栄えた街の中心部の建物に紛れた時代遅れの店構えが、瑞季の視界に入って来た。


「同期の誰かから聞いたんですよね。昔からある店らしくって」


普通であれば、見過ごしてしまいそうな程に地味な店を知っているのには訳がある。

瑞季の脳裏で、店を教えてくれた女との会話が過った。


 ・

 ・


「ボロボロで、見たら絶対入りたくねーって思うかもですけど、味は良いんです。安いし」

「学生の味方か。そんな店、ちゃんとあるんだね」

「ねー、瑞季さん、偶にその辺で仕事でしょ?」

「ああ、偶に。ま、覚えてたら行ってみるかな」


 ・

 ・


つい先日交わしたばかりの、馴染みの店でのやり取りが思い起こされる。

話半分程度で聞いていて、本当に、覚えてたら行こうと思っていた程度なのだが…

まさか本当にその店に行くとは…行くのがこうも早いとは思わなかった。


早歩きで店の前に向かって行き、何も考えずに店の扉に手を掛ける。

扉に付いたすりガラスの向こう側…誰かの人影に気づいたのはその直後だった。


「おっと」


瑞季はちょっと目を見開いて、それからすぐに扉を開け、道を開ける。


「っと…すいません。お先どうぞ」


開けてすぐ、扉の向こうの人物が常名志希であると気づいたが、他人のような態度を崩さない。


「ありがと」


志希も瑞季に気づいた様だったが、それは表に一切出さなかった。

小さく礼を言って、瑞季の横を通り抜けていく。


「いらっしゃいませ…お好きな所へどうぞ」


志希と入れ替わりで店内に入り、扉を閉めた瑞季は、店の人の声に従って、適当に開いていた席に腰かけた。

店内にいる客はただ1人…中年の冴えないサラリーマン風の男。

その顔を見て、瑞季は直ぐにその男が"メッセージ"で告げられていた男だと気づく。


瑞季が座ったのは、その男から少し離れた席。

恐らく、志希もこの近辺に座っていたのだろう…綺麗に完食された皿がテーブルに残っていた。


「お決まりでしたらお声かけ下さい」


直ぐに店主がやってきて、瑞季の前にお冷を置く。

彼はコクリと頷いて、テーブルに置かれていたメニュー表を取って開いた。


「…」


仕事帰り。

瑞季はそれなりにメニュー数が多いメニュー表を眺めて首を傾げる。


もう一つの"仕事"の方に関わる男が目の前にいるが、瑞季は彼をジロジロと眺めるような真似はしなかった。

今回の"仕事"内容は、予めマスターから全て告げられている。

だから、瑞季はそれに従うだけ…今こうして"メッセージ"の通りに店に来たのは、ほんの少し気が向いたからに他ならない。

恐らく、メッセージを送った霧立巧一朗も、さっきすれ違った常名志希も、男の存在を確認した事だろう…だが、彼らも何もしていないはずだ。


「……」


注文する品を迷っている最中、不意に瑞季の端末がブルっと震えた。

彼は少し驚くと、ポケットから端末を取り出してやって来た通知の内容を確認する。

それは、先程すれ違った志希からのメッセージだった。


"お勧めはオムライス"

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