2.アンバランスな男
霧立巧一朗は、喫煙所で煙草を吸いながらボーっと窓の外を眺めていた。
そこは霧立が勤務する警察署近くの雑居ビルの一角。
たまには後輩達に昼を奢ってやろうと、昼休みを利用して外に出た時の事。
慕ってくれる後輩達に飯を奢り、その後の用事や仕事の都合上、その場で各自散開した後。
残り少なくなった昼休みの時間を、霧立は喫煙で潰すことにして適当な喫煙スペースに立ち寄っていた。
煙たい喫煙所。
少々手狭なスペースに居るのは、霧立と見知らぬ若い男だけ。
霧立は特に気にせず煙草を吸っていたが、男の方は、黙っていればそれなりに"怖い人"の部類に入る霧立の姿を見て、少し怯えているように見えた。
くたびれた、背が高いだけの中年男。
それが霧立の雰囲気を良く表しているのだが、そこから少しだけ観察眼が備わっていれば、そんな雰囲気は嘘っぱちだとすぐに分かる。
黒く仕立ての良いスーツはちょっとしたくたびれ感があるものの、質感は未だに健在で、サイズ感は霧立にピッタリと合わせ込まれている。
見る者が見れば、そのスーツは西欧製のオーダーメイド物だと分かるだろう。
スーツに似合う銀色の腕時計に、使い込まれていながらも、綺麗に磨き込まれた革靴…
それを着こなす霧立の表情に目を向ければ、一見優男っぽく見えるだろう。
だが、その表情をよく見ると、何処となく鋭く、瞳には危うい空気を孕んでいることが良く分かる。
そこから視線を下に向け、体躯の方に目を向ける。
スラリと背の高い体躯…手足が長く、引退したスポーツ選手と間違われてもおかしく無い。
ほんの少しだけ見える手首や首は、常人よりも太く筋肉の付きが良く、中年ながら一切腹の出ていない様子を見るに、そのスーツの内側に秘められた体は未だ鍛え続けられていると想像できる。
霧立をパッと見て、先客としていた男はそれを何となく…感覚的に気づいたのだろう。
ほんの少し体を縮ませ、霧立に目を合わせない様に目を反らしたまま。
霧立はそれを見て、内心で苦笑を浮かべて、そっと肩を竦める。
俺は刑事だっての
霧立はそう言いたくなったが、この状態で話しかけても意味は無いので黙って煙草を吸うに徹する事に決めた。
「……」
煙草を吸い始めて5分後。
若い男は吸っていた煙草が短くなると、サッと灰皿に捨てて逃げるように喫煙所を後にする。
腕時計を確かめると、昼休みが終わるまで後15分というところ。
ここから警察署まで、5分も掛からない…もう1本煙草は吸えるだろう。
霧立はそう決めて、まだ吸えそうながらも、短くなってきて久しい煙草を灰皿に放り込む。
そして、新しい煙草を取り出して咥え、それに火を付けようとしたところで、喫煙所に男が1人入って来た。
「火、貰えませんか?」
入ってきて行き成りの一言…イントネーションから察するに、西の方の出身だろう。
霧立よりも少し年上くらいに見える中年男で、キチっとネクタイをしている所を見ると、それなりの所で働いているような見た目をしていた。
霧立は少し驚きながらも、特に断ることはせず、男が手にした煙草に火を付けてやる。
「ども」
礼を言って煙草を咥えた男。
吸っているのは、見たこともない銘柄の煙草だ。
霧立はその煙草が発する煙をなるべく吸わない様にしながら、男に注意を向ける。
「この辺のお勤め?」
男が喫煙所に現れた時から、霧立の脳裏にはその男が誰なのか…そう言う人物なのかが分かっていた。
男の性格も…全て、頭の中にインプットされている。
霧立は男がフランクに話しかけてきた事に、少し驚いたフリをすると、コクリと頷いて見せた。
「そうですね。この近辺ですよ」
当たり障りのない回答。
本当のことを言えば、霧立は目の前の男と敵対しなければならない。
男はその答えにゆっくりと頷くと、手にしたスーツケースに目を向け、再び霧立に目を合わせた。
「出張でしてな。北海道は初めてなんすわ」
「それは…思ったより暑いでしょう?」
「えぇ〜驚きまして。で、暑くて昼もまだ食べとらんのですよ。行き成りですけど、ココであったのもなんかの縁。お勧めはありませんか?」
男は初対面の霧立にもフランクで、フレンドリーな応対を見せる。
霧立は、それを聞いて…少し考えた素振りを見せると、何かを思いついたような表情を浮かべてこう答えた。
「こっから上に上がって…向こうの、大学の方に歩いて行った先の"ごった食堂"ってのがお勧めですかね。街中にあるのにしょぼくれてて、古くて怪しい感じですけど、味は保障出来ますよ。オマケに安いですし」
「ほう!有名どころじゃない辺り、地元っぽいですな」
「まぁ。でも、言っておいて何ですが、行くなら夕方かな。今からなら行列に並ぶ羽目になる」
「なるほどなるほど…それはゴメンですね。ま、昼にももう遅いですし…夕方、行ってみますよ」
「ええ。なんでも美味しいですから…」
昼食の店の話をキッカケに、霧立は男と暫し雑談に興じる。
それが少し続いたのち、霧立は何気ない所作で腕時計に目を向けると、ハッとした表情を浮かべて見せた。
「…っと。そろそろ戻らないと」
「すいませんねぇ。引き留めたみたいで」
「いえいえ。では」
灰皿に煙草を捨て、男に会釈して喫煙所を後にする。
衣服を整え、人の流れに紛れ込むと、ポケットからスマホを取り出した。
パっとメッセンジャーアプリを開いて、目当ての人物にメッセージを送る。
"夕方にごった食堂。面を拝めるかもしれないぜ"
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