黄昏時の5人

1.時代不詳の女

常名志希は、大学の構内から少し離れた定食屋に来ていた。

いつも通りの日常…大学の講義を終えて帰る途中だった。

注文を終えて、今は料理が運ばれてくるのを待っている最中。


"次のニュースです。今日午前3時頃、ススキノの…"


スマホも出さず、ただ、定食屋の壁に掛けられた古く大きなブラウン管テレビが映し出す映像をジッと見つめている。

やっていたのは、何てことのない道内ニュース。

常名は、それをただただボーっと眺めていた。


"この後6時40分からは。札幌市清田区にある魅惑のスイーツを特集します!"


他の大多数と同じように、スマホを取り出して弄るというのは、常名の趣味に合わない。

膨大な情報をぶつけられても困るし、それなら何気ない景色を眺めている方が、常名にとって性に合っている。


テレビを見上げてボーっと見つめている中で、常名はふと窓の外に目を向けた。

ここは大学近くの定食屋…年季の入ったアルミサッシの窓越しに、札幌中心部の一角の光景が良く見える。


行き交う車に、行き交う人々。

夏真っ盛りで、まだ空には微かに午後の光が残っている。

青からオレンジ色に変わりだした空の下の街の景色…常名は、そっと煙草の箱を取り出して、そこから一本取り出して、口に咥えた。


テーブルに置いてあった灰皿を引き寄せると、咥えた煙草に火を付ける。

ゆっくりと味わって、それからフーっと一息、煙を吐き出した。

最初の灰を灰皿に落とすと、再び煙草を咥えて、再びテレビの方に目を向ける。


「お待たせしました。オムライスです」


テレビに目を向けた直後、やって来た壮年の店主らしき人物が常名の前に皿を置く。

常名はコクリと頭を下げると、煙草を一旦灰皿に置いてスプーンを取った。

フーっと煙を吐き出して、お冷で喉を潤して、スプーンを手にしたまま両手を合わせる。


「……」


…食べ始めて数分後。

半分ほど食べ進めた辺りで、閑散としていた店の扉のベルが鳴る。

常名は何気なく、扉の方に目を向けた。


入って来たのは、中年の冴えないサラリーマン。

この暑い中でもネクタイを外せない辺り、それなりに規律の厳しい所で働いているのだろうか…それともただのブラック企業勤めか…


常名がチラッと見る限り、男からエリートの風味は感じない。

勝手に後者だろうと決めつけた常名は、男の顔を再度視界に入れてハッとする。


「……」


ハッとしたのは内心だけ。

表情や態度には一ミリも表さなかった。


男は常名から離れた席に、背を向けて座って大きなため息を一つ付く。

そこに店主らしき男が歩み寄ると、定型句と共にメニューとお冷を置いて立ち去った。


常名は半分ほど残ったオムライスを食べ進めながら、男が誰なのかを脳裏から引っ張り出す。

見覚えのある顔…それは、先週の土曜日にマスターの店で見た書類にあった事を思い出す。


書類…それは"仕事"の書類。

常名は書類の内容を思い出すと、目の前の男が急に哀れな者に思えてきた。

…元々、冴えないブラック企業勤めだと勝手に決めつけていたのだが…


残ったオムライスを淡々と平らげ、口元を拭いて、残ったお冷を飲み干すと、常名は短くなった煙草の灰を落として、再び煙草を咥える。


テレビの映像…窓の外の街の景色…そして店内に、常名に背を向けて座る男の後ろ姿。

外に目を向けない限り、とても令和とは思えない光景に、常名は小さく口元を歪めた。

そこに溶け込む自分の姿…暗くなった今、窓に鮮明に映り込む自分の姿も、とてもじゃないが10代も終わりかけの、若い女の姿にしてはちょっと違う。


短くなった煙草で、数度紫色の煙を吐き出した常名は、煙草を灰皿でもみ消して捨てると、そっと席を立ち上がった。

トレードマークになっているギターケース…すぐ横に置いてあったそれを背負うと、伝票を持ってレジの方へと歩いていく。


「ありがとうございます。…えーっと…750円ですね」

「これで」

「千円からで…じゃ、250円のお釣りでした」

「どうも」


彼女は入り口の方に体を向ける。

丁度、彼女が扉に手を掛けた時、表にいたであろう誰かが先に扉を開いた。


「っと…すいません。お先どうぞ」


常名は特に驚かない。

出した手を引っ込めて、扉の開いた先に見えた男を見て小さく一礼をする。


「ありがと」


店を出る常名に道を譲ってくれた男…宝角瑞季に小さくそう言って、常名は人の流れに消えていく。

互いに、互いを他人として扱った。

常名は今の事を"記憶しない"し、瑞季もそれは同じ。

プライベートと"仕事"の境目、その境界線は、互いにキッチリと護っていた。


常名は店の方を振り返ることなく、車を止めたパーキングの方へと足を向ける。

そのまま、彼女は日常を維持したまま、今日という日を終えるために歩き出した。

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