5.邦孝の後始末

七星邦孝は何時ものように店のカウンターに立つと、夜の為の仕込みを始めた。

今は昼…ランチタイムの後片付けを終えた後、午後3時過ぎ。

彼の店のメニュー表から考えると、仕込みを始めるには少し早い。


だが、こんな時間からカウンターに立つのには訳がある。

七星が作業を始めて数分後、店のすりガラスに何かの影が映り込んだ。


「早かったな」


準備中と掲げているはずの店の扉を、躊躇なく開いてきた人物に、七星は驚く様子も無く話しかける。

入って来たのは、初老の男だった。


「この後、ジムで約束があるんでね」


年で言えば、もう70に近いだろうか…

深い皺が刻まれた男は、適当に答えると、カウンター席に腰かける。


「仕事は終わったみたいだな」


男は、少しの間を置いた後でボソッと言うと、煙草を取り出して咥え、火を付ける。

七星は、そんな男に、冷たい茶で満たしたグラスを出してやった。


「すまんな」

「気にしないでいい。長引かせたくないんでな」


男の言葉に、七星は即座に答える。

なるべく、目の前の男との会話は長引かせたくない。

七星は、隠すことなく本心を告げると、男は小さく口元を歪ませた。


「支払いと、忠告に来た」


煙草を灰皿に置いた男は、そう言いながら、懐から封筒を取り出して七星の方に滑らせる。

カウンター越しに、その封筒を受け取った七星は、何も言わずに封筒を開いて中身を確認し始める。


「今回は普段の相場の倍近い額にさせてもらったよ。話とは違うが…ボーナスになるだろう?」


七星の行動をじっと見つめながら男が告げる。

七星が封筒越しに見たその顔には、温厚そうな笑みが浮かんでいた。


「思っていた以上だが…その分、この文章を読むのが怖くなったもんだ」


七星は、中に入っていた札束を確認した後、そう言って苦い表情を浮かべる。

真っ赤な紙が1枚、封筒の中に見えていた。


この男からの手紙は、紙の色で危険度が分かるようになっている。

白は何も無く、そこから、緑・黄・赤と危険度が増していくにつれて色が変わる。

七星が赤い紙を見たのは久しぶりの事だったが、ずっと前に赤い紙を受け取った後に起きた事を脳裏に思い浮かべると、封筒に同封されていた"ボーナス"も素直に喜べない。


「この間程酷くはならない。黄色でも良い内容だ」


苦い顔を浮かべる七星に、男がそう言って苦笑いを浮かべた。

再び煙草を咥えて燻らせて…紫色の煙が両者の間に流れ込む。


「この街の浄化も大分進んだ。今回の件で、ヤケを起こす人間は消えたとみて良いだろう」


赤い紙に目を通す七星の前で、男は淡々と語り始めた。


「よく…水清ければ魚棲まず…と言うだろう。まだ、少し残ってる」


語り始めた内容は、赤い紙に書かれた内容とリンクしている。

七星は視線を男の方へ向けた。


「それでいい…と、この街の住民は判断した。多少の棘は残しておくべきだ…と」


男は淡々と、ゆっくりと語り続ける。


「邦孝。ここまで来れたのはお前のお蔭だ」


煙草を燻らせながら語る男。

七星は、それを見据えながらほんの少し眉を潜めた。


「なら、この赤の意味が分からないな。俺とてやりたくてやった仕事じゃない。今の話を聞いている限り、これで終わりだと言われてもおかしく無いと思ったんだが」


再び赤い紙に目を通して、七星が一言。

男はその言葉を聞き入れると、ゆっくりと首を縦に振った。


「そうだな。終わり…なはずだった」


男はそう言って、煙を吐き出す。


「これ以上、何があると思う?」

「は?」


男の問いに、七星は答えを出せず首を傾げる。


「定期的に、掃除を続けてきた。その最後の後始末だ」


男は七星の目をじっと見据えたまま告げる。


「慣れてきた者は、やがて大きな過ちを犯す。何も起きない、何の危険もないあの街に慣れてきた者が居る」


来店してから変わらない、淡々とした、落ち着いた口調で紡がれた言葉。

それを聞いた瞬間、七星の脳裏に嫌な想像が思い浮かんだ。


「まさか…」

「あるものは、邪魔が消えたと言って、より大胆になる。あるものは、ならばこれもと要求を送ってくる」


七星の予想は、男の言葉によって徐々に現実味を帯びてきた。


「邦孝、最後の仕上げだ。荒波を少し…穏やかに戻さなくてはならない」

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