4.奈保子のライフワーク
天城奈保子は車の時計を気にしながら運転を続ける。
目的地は、彼女がちょくちょく立ち寄るスナック。
今日はお呼ばれしていたのだが、家庭の事情で到着が遅れていた。
酒を飲むつもりはないからと、車で向かおうとしたのが失敗だった。
家の都合で遅れ、向かう頃には道が混みあう時間帯にかち合ったのだ。
奈保子は車内で小さく毒づくと、助手席に置かれたケースに目を向ける。
信号待ちで、ふとケースの中身が気になった彼女は、ケースのロックを外して中身を確認した。
中身に問題は無い。
こうも後手後手に、中途半端に悪い方向に向かう日だったから、もしかして…と思ったのだが…それは杞憂に終わり、彼女はホッと小さな溜息を付く。
「!」
溜息をついた直後、彼女の車の窓が叩かれた。
軽いノックの音が数回…その音にビクッと反応した彼女は助手席の方へ眼を向ける。
そして、窓を叩いた主を見止めた彼女は、呆れ顔と行き場のない感情を入り混ぜた表情を浮かべて、車のロックを解除する。
「驚かせないでよ!」
奈保子はドアを開けて入って来た男に開口一番文句を付ける。
入って来た男…霧立巧一朗は砕けた笑みを浮かべると、少し茶目っ気を見せて手を上げた。
助手席に置かれていたケースを取って座り、ケースを膝の上に載せる。
「サンキュー。怪しい軽が居たもんでな」
「失礼ね。まさか巧一朗だとは思わなかったわ」
「目立つ格好じゃないからな。それはそうと…このケース、余り大っぴらに開くもんじゃないぜ」
巧一朗はそう言いながら、膝の上に乗せたケースを開いた。
中身は、幾つかの細かな工具類…奈保子のような、落ち着いた容姿の女が持つ物にしては、少々違和感がある品だ。
「点数稼ぎのネタにされる」
「巧一朗みたいな?」
「俺はんなもんに興味はねぇよ。あったら今頃もうちょい階級上がってる」
「そう。……忠告どうも、今度から気を付けるわ」
砕けた会話。
微かに感じる"危険"を感じながら、奈保子は口元に小さな笑みを浮かべた。
・
・
マスターは店の前に止まった赤い車の影に目を向ける。
それから、そっとカウンター席の男…宝角瑞季の方へ、作っていたカクテルのグラスをそっと滑らせた。
「来たみたいだ」
一言、カウンターに座る瑞季に告げた。
瑞季はグラスを受け取ると、背後に体を回してすりガラスの影に目を向ける。
見えたのは赤い車の影…そして視線の隅に、一人カラオケを熱唱している常名志希の姿が目に入った。
「奈保子さんに何か出してあげてよ。お代は俺にツケといて…っと誰かと一緒だ」
「巧一朗だろうな」
「珍しい。2人一緒なんて」
志希の歌声と演奏の音に紛れて会話する2人。
すりガラスの向こう側に見えた人影はガラスから消え失せ、直後にドアの向こうから実体となって現れた。
「こんばんは。遅くなっちゃった」
「どうも、全然待ってないから大丈夫ですよ。それより…霧立さんと一緒なのは珍しいですね」
「よぉ、そこの角で見かけてな。乗っけて来てもらったって訳」
「なるほど」
奈保子と巧一朗は挨拶も程々に、いつもの席に付く。
上着を脱いで椅子に引っ掛け、座って一息ついた2人の前…マスターは飲み物が入ったコップを置いた。
「ビールだろ?奈保子は紅茶を、瑞季の奢りだ」
「俺も?」
「そんなわけあるか。奈保子の方だよ」
「あら、ありがとう」
「いえいえ」
巧一朗の分かり切った冗談を切欠に、2人は出されたコップに手を付ける。
それから、適当に雑談を…
昭和の歌謡曲と、幾つかの煙草の煙に包まれた空間で、4人は他愛の無い会話を繰り広げた。
「さて、そろそろ良いかな。本題」
雑談がひと段落着いた頃。
それを見計らっていた様に瑞季が切り出す。
それと同時に左手の義手を外して見せた。
「調子悪いんだってね」
奈保子は目の前に置かれた義手を手に取って軽く点検し始める。
「何かやった?」
「仕事だけ。あー、ちょっと変に捻ったかなってのはあるけど」
「ま、大したことは無いのね」
「そう」
簡単なやり取りをしつつ、瑞季の義手を手際よく解体していく奈保子。
その作業を進めつつ、持ってきていたケースの中に閉まっていた"予備"の義手を取り出して瑞季の方へと滑らせた。
「直近で急を要する用事はある?」
「いや、特に無い…かな。暫くは"平和"」
瑞季の返答を聞いた奈保子は、ヒューっと口を鳴らすと、手を止めて解体していた義手をケースに仕舞いこんだ。
「オーケー…じゃ、1週間それで過ごしてくれる?」
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