2.金狼と呼ばれた男

霧立巧一朗はネクタイを緩めると、気だるげな表情を浮かべながら煙草を咥えた。

駅のプラットフォームの端に設けられた喫煙室…煙たいその中で、霧立も周囲の人間と同じように煙草に火を付けて、煙を吹かす。

近年の禁煙ブーム…分煙が煩くなってきた世の中で、肩身の狭さを感じる瞬間だ。


霧立は煙草を一本吸ってから、やって来た電車に乗り込む。

薄暗くなってきた時間帯の電車は、何時ものように混み合っている。

霧立は普通電車で3駅しか乗らないので、何時も適当な場所に立つことにしていた。


鞄を棚に置いて、コートから取り出したスマホの通知を確認して…何も通知がないのを確認すると、コートにスマホを仕舞う。

やがて、定刻通りに電車が走り出した。


電車に揺られる時間は、そんなに無い。

霧立は3駅目の駅で降りて、駅を出ると、何時もの家路を歩き出す。

普段は家まで10分少々の道のりだったが、今日の霧立には立ち寄る所が一か所だけあった。


普段は真っ直ぐ行く、駅前の交差点を右に曲がって、そのまま歩いていくと、やがて人気の少なくなる住宅街へと入っていく。

その一角にあった、木々の生い茂るそこそこの規模の公園。

そこが、霧立の目的地だ。彼は周囲に誰も人が居ないことを確かめてから、中に入っていった。


コートのポケットから皮の手袋を取り出した彼は、両手に手袋を履くと、公園の中でも人目に付かない小さな休憩所の方へと向かっていった。

休憩所に見えるのは、2人分の人影。

霧立はそれを見止めて小さく口元を綻ばせると、コートの内ポケットから取り出した小型のサバイバルナイフを取り出して、そっと近づいていく。


偶々通りがかった会社帰りの男を装った霧立に、休憩所にいた2人の人影は少し過剰に反応した。


「おっさん。見かけない顔だな」


若い男がそう言って霧立を揶揄うような態度を見せる。

男2人から見れば、霧立は背が高くとも、身なりから察すればただのうだつの上がらない男にしか見えなかった。


足を止めた霧立に、ヘラヘラとした様子で近づいていく2人の男。

暗がりで、霧立の顔は良く見えなかったが、近づいていくにつれて、男2人の表情は少しずつ真顔になっていった。


「……!」


人伝に聞いたことがある"金狼と呼ばれた元不良の現役刑事"の風貌を見止めた瞬間。

男2人の人生は呆気ない終焉を迎える。

霧立は、手早く1人の男を捕まえて羽交い締めにして見せると、もう一人の男の目の前で、首筋を切り裂いて、もう一人の男に血を浴びせた。


1人目が声を出す間も無く死を迎え、もう一人の男もアッと驚いている間に襲い掛かって来た霧立に呆気なく捕まり、心臓を貫かれて生気を失った。


霧立は血を一滴も浴びずに事を終えて、心臓を貫いた男にナイフを握らせる。

その後、ナイフを抜き取って…首筋を切り裂いた男の手にナイフを持たせて、現場を立ち去っていった。


 ・

 ・

 ・


霧立は昼間の食事時に、部下を1人連れだってスナックの扉を潜った。


「いらっしゃいませ…あら、霧立さん。お勤めご苦労様です」


出迎えたマスターの奥さんはそう言って2人を出迎える。


「2人。空いてる?」

「空いてますよ」

「そう、じゃ、お前ちょっと先に行って座っててくれねぇか?ちょっとマスターに用があってな」


霧立はそう言って、部下を先に店内に入れると、彼は混みあった店内を見回してから、厨房の方へと歩いていった。

部下も、霧立がこのスナックの常連であることは知っていたから、特に怪しむこともなく頷いて、中に入っていく。


「マスター。ちょっといいか?」


何時もの口調でマスターを呼ぶと、忙しそうにしていたマスターが少しだけ眉を潜めて厨房から出てくる。


「悪い。仕事が立て込んでてな、今しか無かった」


霧立は喧騒に掻き消される程の小声でそう言って、そっと折りたたまれた分厚い書類をマスターに手渡した。


「取引決裂による突発的な行動が招いた死。それでケースクローズ…俺らはその周囲に浮かんできた人間を洗うことになった」

「了解…今度は何時来れる?」

「早くても来週」


2人の男は、手短に会話を交わすと、それぞれの仕事に戻っていった。


「霧立さん、珍しいっすね昼にここに来ようだなんて」


席に座ると、先にメニューを開いていた部下が話しかけてくる。

霧立は煙草を咥えながらひょうきんな表情を見せると、小さく苦笑いを浮かべた。


「良いだろ。午後からこの辺りで動くんだし。それに、最近忙しくて来れてなかったからな」


霧立はそう答えて煙草に火を付ける。

今時、店内で気兼ねなく煙草を吸える店がここくらいしかなかったのも、今日ここに来た理由の一つだった。


「どうせ今回のもポーズ半分なんだし、そうカツカツすんなよ?」

「それは…何となく分かってますけど…」

「良いの良いの。こういうのはいきなりドカンと壊すんじゃなくて、じわじわとやるのが筋ってものさ」

「……影響が大きいってことですか?」

「そ、問題は崩してる間に大きくなってくってところだがな?」


霧立は、真面目さが勝って空回りしがちな部下に冗談交じりの口調で言った。

評価はしているし筋は良いが部下には柔軟性がない。

霧立は小さく口元を緩めると、手を上げてマスターの奥さんを呼び出した。


「注文いいか?」


霧立は、目の前に居る育て甲斐のある部下に目を掛けながら、普段昼に来た時に頼むメニューを彼女に伝えた。

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