3.義手を隠す男

宝角瑞季は仕事で使うノートパソコンをシャットダウンして閉じると、よく手入れの行き届いた革張りのダレスバッグにパソコンを仕舞いこんだ。

仕事部屋の窓の外はもう真っ暗闇。今日は久しぶりの長時間労働だ。


「そういや宝角さんの左手、何で今日に限って手袋してるんです?」


さぁ、これから帰ろうか…と思った矢先。

数か月の間だけ共に仕事をすることになった男が声をかけてきた。

宝角はコートを羽織りながら、男の方に身体を向ける。

そのまま、彼は無言で左手を男の方へと突き出した。


「掴んで引っ張ってみれば分かるよ」


思いがけない宝角の言葉に、ほんの少し驚いた男は、恐る恐るといった様子で突き出された左手を引っ張る。

すると、あまり力を込めていないのにも関わらず、宝角の左手は簡単に外れて、ポンと音を立てて取れた。


「え!?え!?義手…!?」


まさか左手が取れるだなんて思っても見なかったのだろう。

男はオーバーなリアクションで驚いた。


その様子を見て小さく笑みを浮かべた宝角。

その直後、男が引っこ抜いた左手は、小さな音を立ててポン、と破裂した。


「うわ!…何だよこれ…」


男は破裂した左手を手から落とすと、少々吹き出た煙を手で払う。

宝角はその一瞬の間に、"本当の左手"の指先に仕込んでいた薬利を、男の机にあった紙コップに混ぜ込んだ。


「引っかかってくれて何よりだ」


宝角は声を上げて笑うと、"ちゃんとした左手"をコートの裾から出して、その手で煙草を咥えた。

男はちゃんとした左手があることを見止めて、どこか脱力したような表情になる。


「何時でも驚かせられるようにね。マジックのネタは仕込んでるんだ」


外れた左手といい、珍しく声を上げて笑った宝角といい、驚かされっぱなしの男は、目を点にして宝角の顔を見つめた。


「ホラ、ちゃんとした手はあるだろ?」


 ・

 ・

 ・


宝角は何時も通い慣れたスナックの扉を開けた。

扉に付けられていた鈴がなり、カウンターに立っていたマスターが宝角に気が付く。

マスターは、珍しく黒いスーツに身を包んだ宝角に驚いたらしく、殆ど変わらない表情が少しだけ変った。


「葬式の帰りか?」

「そ、3か月しか仕事しなかったけど、彼の最期の3か月間の同僚は俺一人だったから」

「死因は?」

「過労死。俺は平気だったけど、彼はこれ以外に、もう一つ人に言えない"仕事"を掛け持ってたから」

「そうか…なんだってまた掛け持ちを?そんなことしなくとも奴は良かったはずなのにな」

「この仕事、結構安い請負でね。その分時間も少ないはずだったんだ。契約上は。だから、暇つぶしとか、怖いもの見たさだったんじゃない?」

「で、仕事は?」

「今回の客が酷く物わかりの悪い客でね、2人で天手古舞になったけど、何とか昨日で上りだけど……ま、こんなことがあって、民事で訴えられたら出番もないかも」


男はそこまで言うと、Yシャツの胸ポケットに入れた煙草の箱を取り出した。

マスターも、宝角の話で気になる部分は聞き終えたからか、彼のキープボトルの酒をグラスに注いで渡す。

それから、封筒を宝角に渡した。


宝角は煙草に火を付けて、煙を吐き出すと、渡された封筒の中身を確認してコートの内ポケットに入れる。

そして、小さく笑って見せて肩を竦めた。


「今回の1月分、これよりも少ないんだ。怖いもの見たさで持ったけど、もう御免だね」

「ほう……今時、そんなもんか?会社にいて中抜きされてんなら分かるけどよ」

「だよね。ま、"過労死"が出て遺族が争う気満々だし、俺からも仕掛けようかなって。残業代未払い他、叩けば叩くほど埃が出るんじゃ、やるっきゃないだろ」


宝角はそう言って笑って見せると、左手に持った煙草を灰皿に置く。

そして、左手を"取り外して見せる"と、外した左手をマスターに渡した。


「暫く左手を使い用事もないし、奈保子さんに渡しておいてくれない?」


唐突に左手を外した男は、マスターにそう言って、鞄から予備の義手を取り出して左手にはめ込んだ。


「注文は?」

「もう奈保子さんには出してる。マスターに渡すことも伝えてるよ」

「了解」


マスターは唐突に渡された義手を持って見つめながら言った。


「そういえば、霧立さんと志希ちゃんは昼に来たんだって?」

「良く知ってるな」

「そりゃ、勤務地が近いからね。この前、信号待ちでバッタリあった時に聞いたんだ」

「ああ…それがどうかしたか?」


マスターは等々に話題を変えた宝角の意図を図るために尋ねた。

右手で煙草を持って、薄笑いを顔に張り付けた彼は、マスターの背後にある、昼に使われていたメニュー表を見ながら口を開いた。


「いやぁ、晩飯、食ってないからさ。ここ2日。何か作ってくれないかなって」

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