2.霧立巧一朗(Kiritachi Koichiro)

男は家路についていた。

少しだけよれたチャコールグレーのスーツに、使い込まれた革靴…皺の寄ったコート。

若干増えた白髪に、中年になってハリが失せてきた肌もあいまって、全体的に少しだけくたびれた印象を受ける男。

だが、背は曲がっておらず、180を優に超える長身ながら、身体は細身でガッチリと引き締まっていた。


彼は雪の降りしきる住宅街を、足早に歩いている。

途中、交通量の多い交差点の赤信号につかまって、歩道の端に立ち止まった。

交通量も多いということは、人通りもそれなりにある。

だが、それも普段の話。今は吹雪模様も相まって、男の横に並んだ若い男以外に人は見当たらなかった。


少しだけ待った後、信号が青に切り替わる。

2人の男は、足早に歩き出した。

信号待ちをしていた車が、雪に足を取られながら男2人の横を走り去ってゆく。


信号を渡り切って、少しした場所にある大きな橋。

街灯に照らされていたものの、歩道を行く2人の男以外には、車も何も居なかった。

男はふーっと、白い溜息を付くと、ポケットに突っ込んでいた手を手早く若い男の背後から首元に回していった。


「!?」

「やりすぎだ。そういえば、分かるよな」


それは一瞬よりも短い出来事だった。

首元に回された両手が、勢いよく捻られ、何かが折れた感覚が男の両手に伝わって来た。


足元のおぼつかない、新雪の降り積もった歩道の上で、美しい所作を以って若い男を抱え上げた男は、若い男の耳元でそう呟くと、躊躇なく橋の手すりから男の身体を投げ捨てる。


男は、若い男を投げ捨てた直後、一瞬立ち止まったが、直ぐにポケットに手を突っ込んで家路を急ぐことにした。


 ・

 ・

 ・


「なんだ、随分と歌いだしが早いじゃないか」


男は常連になっているスナックの扉を開けるなりそう言った。

見ると、ステージの上に立った若い女が昭和の歌のイントロに合わせてポーズを取り出したところだった。


男はそれを見ながら、女が座っていたと思われる席の横に座り、慣れた手つきで煙草を取り出して一本咥える。

顔を上げると、仏頂面のマスターが男の咥えた煙草をじっと見ているものだから、男は苦笑いを浮かべて、もう一本取り出してマスターに手渡した。


「火は?」

「ある。それより首尾は?」


男とマスターは、互いに自分のジッポーライターで煙草に火を付ける。

男はポケットから取り出した四つ折りのプリントを手渡した。

マスターは、そのプリントを見るなり、直ぐに懐から封筒を取り出して男に渡した。

男は封筒に入った札の束を確認すると、着ていたコートの内ポケットに仕舞いこむ。


「酒に酔った挙句、橋から落ちて運悪く首がボキッと一発。ウチの鑑識も仏を見て思わず笑ってたな。チャラ男の最期にしちゃ安っぽすぎるって」

「そうか。事件性は?」

「無いってことになった。余計な仕事を増やす趣味は俺達には無いんでね。それよりもっとデカい山が転がって来たからな」


男は煙草を吹かしながらマスターをじっと見る。

マスターは男の目を見返すと、何も言わずに酒の入ったグラスをカウンターに置いた。


「……仏から反応あり。家に出向けばわんさか出てきた宝の山ってな」

「宝の山…」


男からの話を聞いたマスターは、そう呟くと、小さく首を左右に振った。


「で、先は?」

「明日から残業続きだろうな…ま、俺は何時も通り、適当に仕事して、残業代稼ぎに使うけど」

「何時も通りだな」

「そ、あれだけの山があっても、それを越えることは絶対にないってわけ…でも、仕事があるって言い訳にはうってつけだろう?」


男はどこか投げやりな様子で言うと、グラスに入った酒を一気に煽ってグラスを空にして見せる。

BGM代わりに聴いていた女の1曲目が、丁度終わった頃合いだった。


「アイツは今回関係あるのか?」


男は2曲目のイントロに合わせてモニター側を向いた女を指さして言った。


「少しだけ」


マスターは手短に答えた。


「そう」


男は煙草の箱を仕舞ったポケットからもう一枚の用紙を取り出してマスターに手渡す。


「これは?」


マスターは咥えていた煙草を取って灰皿にもみ消すと、用紙に書かれた内容を見て首を傾げる。


「後腐れ防止一覧」


男は2本目の煙草を取り出しながら言った。

マスターはその用紙をじっと見つめると、折りたたみなおして着ていたスーツのポケットに仕舞った。


「なるほどね。助かる」


マスターはそう言って、今夜2杯目の酒を注ぎ始めた。


「最底辺にいる割には、案外藪蛇ものだったってな」

「最底辺に変わりはないさ。この程度で断ち切れるなら」

「それもそうか…割り振りはどうする?」


男はカウンターに置かれたグラスを片手に持って行った。

もう片方の手で咥えていた煙草を灰皿に載せる。


「そうだな……」


マスターはほんの少しだけ考える素振りを見せる。

だが、考えは既に纏まっていた。


「偶には運動するか……」

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