第38話

 オルバンズの領主の館にて、男の声が響く。


「何ぃ!? ハンナからの連絡が途絶えただと!?」


 男は執務机を叩き、目の前に土下座する少女に声を荒げた。


「はいぃっ! 昨日来るはずの連絡が終日までなかった。と通信魔具にてアイネアース王都に潜伏する者からの報告を受けましたぁ!」


 男はその報告へ言葉を返さずぶつぶつと独り言をつぶやく。


「くっ、あと少し、あと少しだったものを……いや、愚かなるアイネアースの奴等であれば、戦争の事までは気が付いて居ないという線もありえるか?

 だが、流石にその腹積もりで居てはイカンな。

 くそっ! これではまた金が掛かるではないか! なんの為に準備して来たと思っているのだ! あの使えないババアめ!」


 頭を上げた少女は彼の激昂に気圧されつつも、彼の上げた声に言葉を返す。


「お父上、やっぱり即開戦ですか?」


 その提案に男は灰皿を投げつけ、更に激昂する。カランカランと音が響く。


「即開戦だと!? ふざけるなぁ! 圧勝できねば何の意味もないだろうがぁ!

 貴様、そんな話を外で振りまいてはいるまいなっ!?」


 少女は男の激昂に体を震わせ床に頭を付けた。


「ごめんなさい! お許しください! 

 じょ、情報が漏れたかもしれないと思えば、あのホワイトが戦死し騎士団が百以下に減った今、立て直す前こそがチャンスだと……周囲のものが言ってたから……」


 少女の言は正論とも言える。

 だが、伯爵は知っていた。アイネアースの力を。


 オルバンズでも、ダンジョンの深層へと赴けば種類こそ違うものの東部森林と変わらぬ強さの魔物が出る。

 それが群れを成して攻めてきても、街に被害を出さずに防衛が出来ている時点で驚異的戦力を持っていると容易に考えられた。

 それはハンナの戦力調査でも予想を違わぬものであった。王国騎士団が存命ならば勝てぬと断言できる程に。

 第一目標をクリアした彼はハンナを使い『希望の光』の戦力を削いでから開戦に踏み切る算段であった。


「……ダメだ。まだアンドリューが居る。あの街の戦力を奪えたのは雑魚だけだ。

 貴様はまだそんな簡単な事もわからぬのか。

 私は無駄な出費を抑える為に二十年の歳月を使い手を回して居るのだ!

 クソっ、サットーラの奴め。中央にまで手を回しおって……何が反意を示すほどの戦力と言えるだ。

 アイネアースを取ったら真綿で首を絞め続けていつか殺してやる……」


 怒りに返す言葉も失い平伏を続ける娘を見て、伯爵は顎を撫でると表情を一転させ笑みを浮かべた。


「お前、今年でいくつだ?」

「へっ!? 十五でありますが……?」


 彼女はその言葉に恐怖し顔を歪めた。家族に無頓着な父が年齢を聞くなど、政略結婚に使う時くらいだろうと考えたからだ。

 だが、その答えは予想を反するものだった。


「ほう。ならばアイネアースの首都に赴き、王女を攫ってこい。

 勿論戦姫をとは言わん。出来損ないの方で良い。上手くやればアイネアースを取った後、街の一つでも任せてやる」


 それは、空いたハンナの席だった。どうしても後一手欲しいと焦る伯爵は惜しまずその席を渡すと約束した。

 

 その言葉に少女は目を見開く。彼女は三人居る側室の子の中でも容姿が優れぬ方。

 頭脳も明晰とは言えず一度も期待など受けた事がない。

 とっくに婚約くらいはしてもおかしくない中で、今与えられている仕事は諜報部からの連絡要因。

 この事からまともな相手が用意されない事がわかる。ゆくゆくはご機嫌取りの政略結婚で中年男の側室が関の山。


 容姿に優れない彼女はこの国の常識に照らせば最悪、軟禁され奴隷に近い扱いをされる事すら考えられた。


 それが一転街の代官に成れる。これは破格の条件と言えた。

 彼女の顔が喜色に染まる。


「ふっ、良い顔になったではないか。これは重要な任だ。契約書も作ってやる。

 最終的にはバレても構わんし、生きて居ればそれで良い。

 だが、失敗し情報を洩らせばここに戻れても命はないものと思え」 


 そう言って伯爵は魔紙に古代語を連ねていく。


「は、はい。このリディア、一命を賭して任をこなして見せます。

 ですが、潜入はどの様に? 一般人としてでは王女に近づけるでしょうか?」


 彼女の疑問に伯爵は口端を吊り上げる。


「そんなもの、養子縁組を回していけばどうとでもなるわ。

 ブライトを経由し、オルドフォードのロザム男爵家に入らせる。その名を持って王女の通う士官学校へと入れば良いだけだ」


「こういう時の為に貴様らを嫁に出しておるんだからな」と彼は背もたれに体を預け、足を組んだ。

 直接策略に使う道具だと突きつけられたリディアの顔に陰りが差す。


 オルバンズ領の西にあるブライト領。その南方にあるアイネアース国オルドフォード領。そこから更に王都ヘ向かうとなると結構な時を要する。

 彼女は気を取り直し「そこまで遠回りするのでは急がねばなりませんね」と言葉を返すが、その言葉に伯爵は声を荒げ、再び近くのものを投げつけた。それは鉄の文鎮だった。少女の頭部に当たり、額から血を垂らす。


「馬鹿か貴様! 名前だけ借りて直接王都に行くに決まって居ろうがっ!」

「申し訳ございません。お許しを……お許しを……」

「ちっ、そんな事をすらわからんとは、貴様に任せようと思った事が間違いだったわ。エベレットを呼べ、貴様には任せられん」


 彼は契約書を書き換え、エベレットを代官に立て彼女を補佐官に添えると記した。

 リディアは代官補佐として名が残った事にホッとした安堵の表情を見せ、同じ母を持ち長男であるエベレットを駆け足で呼びに行った。


 それから彼女の兄エベレットを交えれば再び王女を攫えとの命令が下された。

 二人は二つ返事で了承し、部屋を出て行く。


「ふん。あの馬鹿をうろつかせても捕まらぬ様であれば気がついて居ないだろう。

 しかし、エベレットはもう少し頭が回るかと思ったが、就任期間にすら触れんとはな。本当に暫く任せてもいいかと思ったがあれも使えんか……

 まあ、草は多い方が良い。定期連絡を待つとしよう」


 伯爵は意気揚々と別邸へ荷物を纏めに行く二人を見て、詰まらなそうに呟いた。


 ◇◆◇◆◇




「しかし良くやったリディ。お前が馬鹿なお陰でこれが上手く行けば俺は代官だ」


 二人は名を変名し商人に身をやつしアイネアースに入国すると、今度は本名を少し弄った名前に変えてロザム男爵の子供として王都への侵入を果たした。

 士官学校への編入もすんなり通り、二人は晴れてこの学校の生徒となった。


「私も良かった。兄上の補佐なら楽そう。私を使おうなんて思わないでしょう?」

「ああ、これが成れば楽くらいさせてやる。お前はブスで使えんから俺も顔を見たくないしな。適当に男でも選ばせて後は好きにさせてやる。

 だから、役割はキッチリこなせよ?

 王女の友人になり一度で良いから食事を共に取れる機会を作り俺を呼べ。

 その程度もできないようなら本気で殺すからな?」


 面と向かってブスと罵られたが、彼女に気にした様子は無い。いつもの事だと、少し息を吐く程度のものだ。

「お、男!? 私が選べるの!? イケメン居るかな!?」などと声を上ずらせるが、本気で殺すという言葉を使われたのは初めてだった。

 確かにこの男は加減を知らず、女であろうと暴力を振るう。人殺しですら平気でする男だ。

 彼の情の欠片も無い目をみて彼女はブルリと震え、表情を改める。


「……さ、三人居るんでしょう。どれを狙うんですか?」

「長女か三女だ。そのどちらでも良いのだから、気を許しそうな方へと近づけ。

 先ずは近づく機会が多い同学年の第二王女の方からだ」


 意気込んで通い始めた彼らだが、二日経っても三日経っても一向に王女が登校しなかった。

 確かに考えてみれば、王女が士官学校へと通いつめる必要はない。

 現に皇国では皇都の貴族学校へと皇子は通うことになっているが、来ない場合が多いと聞く。

 姫がダンジョンに行ける環境に置くアイネアースの習慣の方がおかしいのだ。


 とはいえ学校に来ないことには接点を作る事などできない。

 二人に与えられた期間は三ヶ月。

 彼らは気を揉みながら、一週間の時をすごした。 


 そして一週間と一日が経ったその日、とうとう目標である第三王女が登校した。


 だが……


「おい、リディ。お前これ近づけるか?」


 べレットが指す先には第三王女を中心に膝を着く大勢の男子学生の姿があった。

 皆、思い思いにお傍に置いて欲しいと詰め寄っているが、王女の振る舞いから困っている様子が見て取れる。


「絶対無理ですよ。毎回こんなに男が群がってるの?

 あ、でもこれ兄上の出番じゃないですか? もし見初められれば……」

「馬鹿言うな。この中の一人になって何の意味がある。

 お前は群がられた事が無いからわからんかもしれんが、こうなってはどう思っても誰も受け入れられん。特に異性はな」


 と、分析している時だった。

 王女が雑踏を掻き分け、一人の男の方へと手を伸ばす。


「カイトさーん! た、助けてぇ! わ、私の王子さまぁぁ……チラチラ」


 王子様と呼ばれた男は挙動不審に周囲を見回し、全力で首を横に振ると猛ダッシュで逃走した。

 姫のお付きが周囲の男どもを威嚇する中、第三王女は床に這い蹲り「どうしてぇ」と呟いている。


「な、何が起きたんですか? 私の位置からは良く見えませんでしたけど、この国に王子なんて居ませんよね?」 


 リディは逃げた男を捜し周囲を見渡しているが、それは叶わず兄ベレットへと視線を向けた。

 見逃した事の失態を責められるかと思ったが、彼の表情を見て安堵に息を吐く。


「ふふ、なるほどな。これで突破口が見えた!

 まったく、この一週間気を揉ませてくれやがって……」


 兄、エベレット改めべレットはニヤリとほくそ笑み、彼が逃げた方向へと歩を進めた。どうやら彼の位置からは顔が見えていた様だ。


「ちょっと、折角のチャンスなのにどちらへ行かれるんですか。

 兄上、ここで姫を颯爽と助ければ話しは簡単なのでは?」

「馬鹿か! だからお前はリディアなのだ!」

「ちょっと、今はリディです。あいたぁ!!」


「黙れ! いいか、良く聞け」と彼は彼女の頭を強く叩き、妹に作戦の変更を告げる。


 その作戦とは、リディが先ほどの男と知己となり姫の恋路を応援するというストーリーだった。

 仮に恋じゃなくとも、あれほど親密であれば利点は多いと語る。


「それなら男同士の兄上が仲良くなるべきでは?」

「本当にお前は阿呆だな……

 それではどうやって姫を応援するという立場に持っていくんだ。

 同姓のお前だからこそ仲を取り持つのがスムーズにいくのだろうが」


 幸い、お前の外見は醜いから嫉妬を受け難いと彼は付け加えた。


「あそっか。わかりました。とりあえず、あの逃げた奴に声掛けて……それから?」

「……本当に察しが悪いな。何故父上はこんなブスのカスを選んだんだ……

 良く聞けよ? そいつが第三王女と話している所に間に入り、睨まれる前に第三王女に貴方を応援しますとでも告げればいいだけだ」

「そう言うなら相手にされなそうな私より、兄上が彼と仲良くなって紹介してくれませんか。

 同姓は同姓で行けば楽そうじゃないですか?」

「ふむ。確かに後々を考えれば悪くは無いな……

 ならばお前が相手にもされなければ俺が行ってやる。安心して袖にされてこい」


 ぶすっとした顔でそっぽを向きつつもリディは了承の意を示した。その時、リディの肩に誰かがぶつかった。


「あら、失礼。貴方も気をつけなさい」

「はいはい、失礼しました。気をつけまーす」


 不機嫌な所への叱責にリディはぶっきらぼうに答えたが、彼女は本を読み耽りながら気にせずつかつかと歩いていった。


「ま、待て。あれは第一王女じゃないか!

 お前、何やってんだっ! 死にてぇのか!?」

「ええっ!? し、知らなかったんだもん!」

「ふざけるなぁ! 標的の顔くらい覚えて置け、このクソブスがぁ!」 


 我慢の許容限界を超えたべレットの容赦の無い顔面パンチがリディを襲い、彼女は壁に吹き飛ばされた。


 将来、戦場にぶち込まれると思い鍛え上げてきた彼の一撃は重い。リディの意識を即座に奪い、無防備に壁に叩きつけられるはずだった。


 だが、寸での所で彼女を受け止めた男がいた。


「おいおいおいおい、何があったか知らないがこりゃいくら何でもやり過ぎだろ。

 だ、大丈夫か!? って意識飛んじゃってるじゃん」


 突如現れべレットを批難する男は先ほどの姫のお相手だろうと思われる男だった。

 タイミングが悪すぎると舌打ちをしつつも「待ってくれ」と手を伸ばした。


「そいつは俺の妹だ。俺の大事な物を壊しやがってな。

 だが、正直やり過ぎた。受け止めてくれて感謝する」

「そ、そうなん?

 つってもどこまで大切な物かも知らんけど、流石にこの状況下じゃ渡せねぇぜ?」


 その言葉を受けて彼は思いついた。『ああ、ならば面倒な妹の相手はこいつに押し付ければ一石二丁だ』と。


「なら済まないが介抱を頼めないか?

 そんなブスで良ければ好きに扱って構わない。

 必要なら治療費も後で支払う。どうだ?」

「え? あー、うん。渡せないって言っちゃったしそれしかないか。

 まあ、わかった。治療は任せてくれ。事情を聞いて問題無さそうならそのまま解放するし」


 彼は頭を搔きながらも受け入れる。計画通りだとべレットは口端を僅かに上げた。


 彼は心の中で一人ごちる。


 ふっ、第一王女には近づき難くなったが、これで一応面識はできた。

 後であのブスと仲良しアピールでもしないと警戒されてしまうのが難点だが……

 ちっ、これで結果を出せなければ覚えて居ろよリディア……


 まったく面倒なと彼は優々と廊下を歩き下校する。

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