第11話

 女性の叫び声が聴こえ、アリスちゃんが「お姉様」と呟いた。

 それはエヴァンの顔を大きく歪ませた。


「ソフィア王女殿下の声に間違いないのですか!?」


 アリスちゃんの両肩を掴み、珍しく強い口調で問いかけるエヴァン。

 良くどっちの姉かわかったな。ああ、エリザベスは戦姫って言われるほど強いんだっけ。


「いえ、絶対にとは言えませんが……恐らくは……」


 彼女は口元を押さえ、不安に目を彷徨わせながらも肯定する。


「そうですか、わかりました。アレク、申し訳ないのだが……行ってくれるか?」

「……王女様の危機かもって聞いたら仕方ないよね。まあ、頑張ってみるよ」


 え? 何言ってんの? 皆で行けばいいんじゃ……

 あっ、八階層でやれるのがアレクとエヴァンしか居ないじゃん。

 足手纏い二人連れて行くほうがきついからエヴァンが申し訳なさそうにしているのか。


 けど救助もあるんだし、アレクがいくら戦えるって言っても一人じゃ無理だろ……

 でもエヴァンを行かせたら今度はアリスちゃんを守れる奴が居なくなるのか。


 なら、俺が付いて行くしかないか……


「アレク、俺も行く。怪我人運ぶ奴が必要だろ?」

「……行かなくても許される立場なのに、死んでも責任取れないよ?」


「そりゃお互い様だ」そう言って俺は大きく息を吸い込んだ。


「おおおーーーーい。ステラぁぁ! 姫様が危険だぁ、もどれぇぇぇぇ!!!」


 突然の大声に皆が驚いてこちらを見るが、それをスルーして「ほら、お前が先行かないと助けに行けないだろ」とアレクに声を掛ける。


 そして俺達は間をおかず八階層へと走り出した。


 アリスちゃん達に声が届かなくなった直後に走りながらもアレクに声を掛ける。


「なぁ、適当に見回って戻ろうぜ……

 お前が死んだらルンベルトさんに顔向け出来ないし。俺もつらい」


 人が、それも王女様が命の危機かもしれない。そんな時にこんな事を言うのは精神的に削られるが、俺にとっての優先順位はアレクの方が上だ。

 そう考えて声を掛けたんだが、アレクの足は止まらなかった。


「まだ戻れるからカイトは戻りなよ。

 王国騎士になる人間が、王女を見捨てるなんて事は絶対に出来ないんだ。

 それをすれば僕は人生の目標を見失う。だから、嫌でも今は命を賭けなきゃいけない時なんだ。

 そう言ってくれるのは嬉しいけど……ごめんね?」


 ああ、くそっ、なんだよその覚悟の決まった目は……

 俺だけ情けないやつになっちまったな。

 何がヒロインだ。めっちゃヒーローじゃねぇか。

 ……いや、こいつはヒロインでもあるな。覆せない程にやらかしているし。

 うん。兼任だな。決して俺のではないが。


「……わかったよ。付き合う。

 けど、それは無事を確認できたらの話だ。仮に手遅れなら即効で逃げるぞ」

「うん。無駄死にする様な真似はしないよ。カイトの命も預かってるしね?」


 そして、初めての分岐点に到達した。

 どっちに行けばいいのかなんてわからない。アレクに視線を向けるが彼も迷っている。


「ソフィアぁぁ! まだ生きてんなら声を出せぇ! どっちに行けばいいっ!?」


 大声で叫んでみれば、左から「あ、ああぁ!」と声が帰って来た。

 思ったよりも近い。即座に道を左に折れて走る。


 恐らくここを曲がった先にいる。

 頼むから、アレクがやれる範囲の数でいてくれよ。と願いつつ、曲がり角を越え辺りを確認した。


 そこには、足が折れ、胸から血を滴らせ地に伏せるソフィア王女の姿があった。

 

 ま、魔物は!? そう思って周囲を確認するが見える範囲には魔物が居ない。

 息絶え絶えに倒れているソフィアだけだ。彼女に声を掛けても反応がない。


 ここはS字クランクになっている。その曲がった先に居るのだろうか、と小走りで彼女を通り越してその先を見た。見てしまった……


 血溜まりと装備だけが残っている惨状を。

 あの、この世界に着たばかりの時と同じ光景を。


「あ、あ、アレク! 王女を抱えて即逃げるぞ!」


 できるだけ声を窄めて怒鳴り声を上げ、アレクに強い視線を送る。


「わかった。けど抱えるのはカイトの仕事でしょ!?」


 ああ、そうだった。


 だが、彼女の足は逆に折れていてお姫様抱っこは無理だ。


 これはどうやって持てば……と少し迷ったが、正面から抱きしめてお尻を抱えた。

 胸の傷も酷く、抱きかかえるとぬめっとした生暖かい感触が伝わる。


 こんな美少女を抱きしめるなって初めての経験なのに、何一つ嬉しくねぇ……

 あーあ、こりゃ後でアリスちゃんにでも抱きしめさせて貰えなきゃ割りに合わねぇな。いや、絶対に無理だろうけど。そんなことしたら処刑されちまいそうだ。


 そんな雑念を払いすぐさま走る。意識を失っていて尚、振動で痛みが走るのか、彼女が暴れて持ちづらかったが必死に押さえ付けながら逃げた。


 少しでもレベル上げておいてよかった。これ、前のままなら絶対落としてたわ。

 もしこんな状況で落としてダメージでも与えていたらと考え、冷や汗をかきながらも走っていれば、アレクに声を掛けられた。


「拙いね……その傷、上に出て保健室に行くまでもつかな?」


 アレクはソフィアの傷を見て顔を顰め口をへの字に引き絞った。

 けど、今は他人の心配より危機を脱出する為だけに尽力してくれよ。


「わかんねぇ。けど、全速力で行って間に合うことを願うしかないだろ。

 そんな事より、後ろ心配しろ! 最低三十は居たんだぞ!?」

「うわっ……僕らもギリギリで助かったんだね……」


 暫く走り、もう階段の近くには来ていたので後ろは問題ないとは思うが、それでもエヴァンたちと合流するまでは気を抜けない。

 その時一つの不安が頭を過ぎる。


「なぁ、魔物って階段上がったり出来んのか?」

「そりゃ、目の前で人が上がって行くのを見ればね。

 けど、それ以外では移動しないよ。それこそ長いこと放置して溢れないかぎり」


「それを聞いて安心した」とほっと息をつく。


 今の所後ろから追ってきている気配はない。俺たちはもう階段を上がっている。何とか逃げ切れたんだ。

 途中から暴れなくなったソフィアを抱えて七階層まで戻ることが出来た。


「お、お姉様ぁ!!」


 アリスちゃんが駆け寄り、酷く傷ついたソフィアの体を確認すると泣き叫ぶように声を上げた。


「傷を見せろ」と端的に言うエヴァンに従い、彼女をそっと地に降ろす。

 冷静になって傷口を確認してみれば、思っていたよりも更に酷い有様な事を知った。

 防具の胸当てをしていたはずだが、付けて居らず、食い破られた所為で胸が出ている。だが、当然こんな状態では顔を背けたくなる苦さしか生まれない。


「これは、拙いな。何時間もは持たないぞ。下手したら今すぐにでも……

 だ、誰か、回復魔法の心得がある者は?」


 当然俺らにそんな事は出来ない。全員が首を横に振る。

 可能性があるとすればまだ戻って来ていないステラちゃんくらいだろう。


「リーズに期待するしかないな。取り合えず移動しよう。

 アレクが抱えて最速で上を目指す。道中の敵は俺がなんとかする。

 それでいいな?」


 問われたアレクが頷いたのだが、そこで一つの疑問が生まれた。


「待て、月の雫が無くても回復って可能なのか?」

「ああ。効果は薄いがな。だが、命を繋ぐ時には有効だ。

 くそっ、詠唱は知っているのに……古代語をもっと深く学んで置くべきだった……」


 なら、俺ならいけるんじゃないか? 魔力を放出するだけでいいんだよな?


「おい! その詠唱を教えろ! 魔法を使う時のコツもだ!」


 エヴァンは「何故今……」と目を細め訝しげにこちらを見たが、問いにはそのまま答えてくれた。


「我、女神アプロディーナ様の加護を賜りし者なり。

 我にお力の一端を貸し与え給え。聖なる癒しをヒール

 これが詠唱の呪文だ。

 だがお前は三階層程度しか行けないほどの加護なのだろう?」


 一回でも発動できりゃいいんだからそこは関係ないだろ。

 いや、言い返すよりも先ずはやってみよう。


「カイト、まず王女殿下の一番酷い傷の所、胸のあたりに手を添えて。

 詠唱をしながら古代語を順に思い浮かべる。その言葉の意味も一緒に。

 それで魔法名を唱える所で魔力を出す。出来ていれば後は勝手に癒してくれるよ」


 そう考えて居たら、アレクがアドバイスを送ってくれた。

 さすが俺の相棒だ。


 ソフィアの胸の辺りに手を出して、早速詠唱を開始する。


「我、女神アプロディーナ様の加護を賜りし者なり。

 我にお力の一端を貸し与え給え。聖なる癒しを『ヒール』」


 ゆっくりと唱えながら一つ一つ意味を考え思い浮かべる。

 意味を思い浮かべるのはなんて事はない。いや、実はちょっと聖なるの意味って何よとも思ったが、確か清いとか尊いとかそんな感じだと思い出した。

 そして、ヒールと唱えた時に魔力を放出した。どれだけ出せばわからないから一杯出した。


 案の定、黒い靄が噴出したのだが、その直後淡い緑色した綺麗な光へと変わる。


 そして感覚的に理解した。

 ああ、成功したと。


「なっ!? 黒い魔力だと!?」

「えっ!? カイト、聞いてないんだけど!?」

「まさか!? それではカイトさんは……」


 思い思いに問いかける彼らにイラッと来て声を荒げる。


「今そこを言ってる場合か!? お前ら今一番大切なことはなんだよ!

 ソフィアの命じゃねえの? ヒールだけじゃ、命繋いだだけなんだろ!?」

 

 そう告げながら、何処まで治ったのかを確認――――したのだが、特に傷は見当たらない。


 あれ? 命繋いだだけじゃないの!?


 逆に折れて酷い有様だった足も元通り。大きく抉られた胸も治っている。乱れた髪や、破れた服はそのままだが。

 要するに、ただ綺麗なおっぱいが丸出しの美少女だということだ。


 なるほど。ピンク色か……良い色だ。


 今なら傷があった場所に触れてもいいんじゃないか?

 堂々とお医者さんっポイことを言えば許されるんじゃないか?


 これはもう間違いなく助かっただろうと思えば、早くもそんな事が頭を過ぎる。

 思春期だもの、しょうがないよね。


「ま、まだ油断はできないよな。しょ、触診します!」

「カイトさん!!」


 くわっ! っと目を見開いて声を上げるアリスちゃん。

 あう。見破られていた様だ。致し方なし。


「じょ、冗談だ。余りに治り過ぎていて気が動転していた。うん。気になってもダメだよね。触診は……

 け、けどさ、ヒールってこれくらい治るものなの?

 ああ、治ったのは表面だけとか?」


 そう、気が動転していたのだ。今もしている。嘘がバレていないだろうかと。

 いい訳しながらもそんな心配をしていたのだが、エヴァンが間髪入れずに言葉を返してきた。


「そんなはずがあるか! ヒールなど擦り傷の治療や腫れを少し引かせる程度のものだ。

 深い傷や骨折などには僅かに治りを早める程度の力しか無い。あれほどの重症であれば、何度も掛けてとりあえず命を繋ぐ程度だろう。

 お前、一体何者なんだ!?」


 いや……そう言われてもな。


 魔力の色が違う理由なんてわからねぇよ。召還されたんだろうから、地球人な事が原因臭くはあるけど、それはそれで言いたくねぇし。


 まぁ実際、正直に言ったって何言ってんの状態だろうしな。


「あれじゃね? 俺の母国の使ってる文字が古代語だったから、意味を深く理解していて効果が大きかったとか……」

「いや、どう考えても魔力の方だよね?

 僕知ってるからね。黒い魔力は英雄の証だって」

「私も存じ上げておりますわ! 小さい頃絵本で一杯読みました」


 エヴァンも答えろと言わんばかりに腕を組んでジッとこちらを見ている。

 そこに丁度良くステラちゃんが戻ってきた。


「皆、どうして来てくれないのよ。探しちゃったわ」


 いや、あなたのご主人一歩も動いてないんだけど……

 俺のあの呼び声が聞こえないとかどれだけ遠くに言ってたんだよ、とか今更かよとか突っ込みたいが、話しを逸らす切っ掛けとしては丁度いい。

 ありがとう。ポンコツちゃん。


「まあ、俺が弱いのは変わらないし黙ってて欲しいんだけど、ダメかな?」

「いや、気持ちはわかるぞ? 確かに隠す方が平穏に過ごせるだろう。

 しかし、周りには隠しても上層部だけには伝えないとダメだろう?

 迂闊なお前のことだ。どうせすぐにバレる。

 その時に伝わっていれば守って貰えるんだぞ」


 迂闊とか言うなよ、見に沁みてるっての!


「いや、それでも頼むよ。俺さ、英雄とかじゃないの。ただの一般人な訳」

「そんなの当たり前じゃないの。こいつは何を言ってるの?」


 ちょっとポンコツちゃん、黙ってて。ハウス。そこで薙刀振り回してていいから。

 あれ? そういえばこいつ、ソフィアの事に触れないな。

 まさか、気が付いてないのか!?

 まあいいや。面倒だし。話を戻そう。


「だからね、ダンジョンで強くなってそこそこモテればそれでいいの。

 国とか貴族とかを相手にすると疲れるの」

「えぇ……英雄扱いを嫌がるとか、カイトって本当に変わってるよね。

 僕なら喜んじゃうなぁ」


 もし国で囲うなんて話が出たら好き勝手にダンジョンとか行けなくなるじゃん。

 お城やお屋敷で自由を縛られたりなんかされたりしたら、さっきのアレクじゃないが、生きる目標を見失うっての。


 って、何でアリスちゃんが泣きそうな顔してんの!?


「そ、そんなぁ……私、お邪魔だったのですかぁ……?」

「ちょ、アリスちゃんは別枠! 当たり前だろ!?

 ほらっ、俺はいつでもキミの笑顔を守りたいって思ってるぞっ!」


 ほら笑えと言わんばかりに滑稽にスタイリッシュターンを決めて、気障なセリフを言いながらアリスちゃんのおでこを人差し指でつんと弾いた。

 彼女はおでこを両手でさするとにへらっと表情を崩した。

 何その顔、可愛すぎんだろ。萌え死ぬわ!


 俺もアリスちゃんににへらっと笑みを返して、さあ話はおわったと思ったのだが、エヴァンは納得してくれなかった。


「だが、なぁ……

 このような事を王家に隠し立てするなど、臣下としてあるまじき行為なのだ。

 大事でなければ素直に頷いてやりたいところなんだがな」

「大丈夫だって。エリザベスも知ってるし。あっ、王女殿下」

「あなた、そろそろ本当に死刑になるわよ?」


 どうにか説得しようと思ったのだが、エヴァンは頑なにそういう訳にはいかないと首を横に振った。

 まあ確かに、エヴァンの立場を考えれば厳しい隠し事なのかもな。

 じゃあ、間を取ってバックレればいいか。

 うん。やらかし度合いが積み重なってきた気がするし、丁度いいかも。


「わかった。諦めるよ」

「すまんな。だが、出来るだけ自由に過ごせるように説得する。

 だから余り心配するな」


 そう言って優しく肩を叩くエヴァン。

 そんな時女性の悲鳴が響いた。


「い、いやぁぁ!」

「お、お姉様!!」


 とうとう事の元凶である、第一王女ソフィア王女殿下が目を覚ました。

 こいつが無理した所為なんだろうと先日の会話からも推測できる。

 さっさとダンジョンに帰りたいし、まずはこいつをなんとかせねば。


 ここもダンジョンだという事はわかっているが、俺のハウスは今の所あそこなのだ。


 俺は、ソフィアが胸を腕で隠す様を威圧的に見下ろし、その隠した先が何色になっているのかももう知っているぜ、とじっと眺めた。


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