勉強できる子卑屈化社会

「勉強ばかりしてるとろくな人間にならない」という言葉は、誰しもが聞いたことのあるものでしょう。本書は、この言葉を例に、「勉強ばかりしてる子」の生きづらさを説いたものです。


 たとえば、恋愛も遊びもまともにせず、日々を勉強に費やして有名大学に合格した高校生がいたとします。

 彼に対して世間が言葉を送るなら、「すごいね」「頭いいね」あるいは、「高校生活を楽しめなくてかわいそう」「きっとつまらない人間になる」でしょう。

 しかし彼の目標が有名大学合格ではなくオリンピック出場だったら? 音楽コンクール優勝だったら? 目標のために青春を捨てたことは、おそらく美談として受け取られるでしょう。その違いは一体何なのか。同じ努力なのに、同じ才能なのに、なぜこうも違う感想が向けられるのか。


 かく言う私も、いわゆる「勉強ばかりしてる子」だと思われていました。運動や容姿に秀でたところが無く、しかし勉強だけは得意だったからです。

 学校の授業自体は嫌いでした。特に国語や道徳が嫌いで、退屈だと思っていました。

 でも考えることは好きでした。図鑑や本を眺めたり、なぞなぞを解いたりすると、頭の中が知識と発見で満たされていくのがよくわかりました。


 たまたま得意なものと好きなものが一緒だったというだけで、「ガリ勉」と呼ばれ、課題をサボるためだけに利用されたことがありました。机の中から消えていた問題集が、ほとんど話したことのないクラスメイトから戻ってきたとき、絶望に似た感情が広がったことを覚えています。

 しかしそのことを他人に話せば、嫌味だと受け取られてしまう。些細な、しかし確実に心を削る悩み事は、同じ経験のある人にしか理解されないものです。


 このことは、割と本気で日本の教育問題だと思っています。

 とある有名な漫画家の方は、子供の頃学校で描いた絵を、「自分で書いたものじゃないだろう」と教師に一方的に決めつけられたことがあるそうです。

 「出る杭は打たれる」という言葉を体現したかのような、みんな同じ、みんな平等を強制する体制が、成長過程の子供の稀有な才能を潰していることだってあり得るでしょう。本書はその問題に、大きな警鐘を鳴らしています。

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